曇、4度、80%
家庭を持って43年目の今年のお正月、初めて「おせち」を一切作りませんでした。過去に一度、お正月に旅行に出かけた時ですら、黒豆を炊いて持って行きました。このお正月は散々迷った末、孫娘たちがやって来てくれました。年末から数日、我が家に滞在しました。「おせち」は当然作るつもりでいました。ふと3年前息子家族と過ごしたお正月を思い出しました。大人も含めて「おせち」を喜んで口にしてくれた記憶がありません。昔と違いお正月にしか食べられないものがあるわけでなく、日頃から栄養価の高いものが食卓に上る現代です。その上、帰国以来私自身、12月に入るとスーパーの店頭に並ぶおせちのパックに考えさせられていました。30年間の香港暮らし、あしらいものなど日本独特のものが手に入らない中、作り続けて来た「おせち」です。
「おせち」は母から料理を学ぶことのなかった私にたくさんのことを教えてくれました。買い出しに始まり、料理の手順、年々、品数も増え重箱に詰める要領もわかって来ました。実際台所に立つ時間は3時間ほどの作業です。それが分かっていて敢えて「おせち」作りをやめました。
孫娘、やって来る前から私と遊ぶつもりです。コロナで遠出を控えていた私も足を伸ばしてみたい所もありました。喜ばない料理よりお鍋をみんなで囲んだり、孫娘の好きなピザをデリバリーで取ったりしたお正月でした。
作らないと決めて、一番大きかったことは私の束縛された観念が解き放たれて、気楽になったことです。「おせち」を作らなかったことへの寂しさと小さな後ろめたさは残りました。30年も日本を留守にして感じるのは、時代が変わってしまったことです。当たり前のことですが、30数年前の日本とは人も物も変わっています。
とは言っても、お掃除だけは心いくまでして気持ちよく新年を迎えたい、クリスマス明けから大掃除を始めました。晦日には最後の拭き上げだけを残しました。孫娘と過ごす時間、家族で遠くまで出かける時間も心置きなく楽しむことが出来ました。
来年もおせちを作らないかって?いえ、わかりません。寒い年末の台所に立って次々に料理を仕上げ、重箱に詰める時の楽しさはしっかりと私に根付いています。来年はまたその時に応じて考えることにしましょう。