曇、29度、74%
住む人がいなくなった主人の実家に月数回、足を運びます。郵便物の点検、家の状態の確認。玄関のドアを開けると、この家に初めて訪れた40数年前と変わらぬ匂いがします。この家の匂いです。40数年前と違うのは、私を迎えてくれた義父母の笑顔がないことです。
お仏壇に挨拶して、家を一回りします。主人が帰る度に家財道具の片付けをしていました。ガラガラになった食器棚に「ボヘミアのカットガラス」があるのに気付いたのは、数日前のことでした。義母がよく食卓に置いては使うともなく眺めていたバスケット型のカットガラスです。 ちょうど、施設に日用品を届けに行く途中でしたので、義母の元に持って行こうと袋に入れました。
コロナ感染拡大で施設の玄関での荷物のやり取りも厳しくなりました。「義母にこれを渡してください。」と出てきた職員の方にカットガラスを手渡し、車に向かいました。車を出そうとしていると「下川さん」と声がします。職員を取りまとめる女性がカットガラス片手に走ってみえました。「高価なものは職員が掃除の時に壊したりすると困るので、持ち帰ってください。」とおっしゃいます。「壊れても構いません。」と私。「いえ、壊れてご本人が立腹されたり、がっかりされますので。」私は無理にとは言いたくないので持ち帰りました。施設で使う食器は全員同じプラスチック製です。味気ないものだと常々思います。せめて身の回りに何か自分の使い慣れたものをと持って行ったのに残念です。持ち帰ったカットガラス、どこに置こうかと迷います。
玄関を入って目に付くところに置きました。出かけるときは「義母さん行ってきます。」帰宅すれば「ただいま義母さん」忙しさにかまけると時折施設にいる義母のことを思い出さない日があります。玄関でこうして声にすればその時だけでも「今日は元気かな」と思い出します。本当は義母のそばに置いて欲しかった「ボヘミアのカットガラス」です。