チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

今年も我家の鳥たちはにぎやか!

2014年07月21日 | 日々のこと

晴れ、27度、88%

 我家の鉢置きで、鳥たちにえさを与えはじめたのはかれこれ10年近く前からです。まだ、イチジクの木があった頃からです。一夏に5個も実を付ければ精一杯の鉢植えのイチジクです。その実にある時くちばしで突いたあとがありました。私の大事なイチジクです。イチジクを守るために、イチジクに木の下にパンくず入れを作りました。しめしめ、鳥たちはイチジクではなくパンに惹かれるようになりました。ところが夏が終わって、イチジクがならなくなっても鳥たちはやって来ます。以来、私が焼くパンはモモさん、私、鳥たちで分けていました。そのうちにイチジクが枯れました。来る鳥は、コウラン、白頭の2種類だったのが、ハトが来るようになりました。ハトが来ると、スズメも付いてやって来ます。

 2年ほど前からはコウランが巣立ち前のひなを連れて来るようになりました。コウランは、私が手を出しても逃げません。ほんとによく慣れました。私の姿が部屋にちらつくと、きれいな鳴き声でえさを催促します。朝などは、大きな口の主人に、中くらいのモモさん、小さな口の鳥たちと、私はみんなにえさを運びます。座っている暇なんてありません。もちろん、その合間を縫って自分の口にもご飯を放り込みます。

 こうして、小さいながらも我家の鳥たちの世界は何らかの秩序を持って生活していました。それがこの夏の初め、ひなが孵った頃から来る鳥たちの顔ぶれが変わりました。まず、ハトが4羽に増えました。ハトはつがいで行動している様子はありません。4羽がお互いに牽制します。コウランがひと回り小さく見えます。子育ての頃は痩せるものですが、手を出すと逃げるところを見ると、別のコウランに違いありません。このコウランが2つがい。そしてスズメたち。このスズメも外で見るスズメよりひと回り小さく、きっとまだ巣立ったばかりのスズメです。

 主人が鳥の寿命は短いから世代交代が早いのだと言います。調べてみると、スズメはかえって1年以内に70%が亡くなり、コウランは、8年近く生きるそうです。ハトにいたっては10年は野生でも行きて行くそうです。そうなると、この春はコウランの世代交代だったのですね。

  コウランとハトがえさ籠で仲良く餌をついばんでいます。 スズメがハトが散らかすえさを待っています。

 このひと月ほどで、この鳥たちも序列が出来たようでけんかがなくなりました。台風が来るといえば、えさをたくさん与えます。冬は木の実が少ないだろうと、えさをたくさん与えます。今では、私のパンでは追いつかず、スーパーでパンを買って来る始末です。

 見出し写真のコウラン、香港では一般的な鳥ですが鳴き声が澄んでいて、心地よく思います。見た目も、冠といい、尾っぽのオレンジ色といい可愛い鳥です。

 

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オイル OIL

2014年07月20日 | 日々のこと

雨、26度、97%    雷注意報

  私の30代から40代にかけて、我家の台所にはたくさんの種類のオイルやお酢やスパイスがありました。もちろん使うために買ったものですが、どんな味だろう、どんな匂いだろうという好奇心が先行していました。香港ですから、中華の調味料はもとより、西洋料理の調味料、はては東南アジアの調味料まで集まります。オイルひとつをとっても、かなりの数でした。ところが、息子が日本に帰り夫婦二人になると使う量も減って来ます。ある時思い切って、オイルもお酢もお醤油の類いもひとつにしたことがあります。流しの下はすっきりと片付きました。さて、1週類に絞ってどれくらいが経ったでしょう、15年ほどかな。昨日、急に流しの下の掃除をはじめました。なぜかいつも急に思い立ちます。すると、オイルだけでも写真の数だけありました。

 オイルにしても、お酢にしても1種類に絞ることは難しい。全ての料理に合うお醤油なんてやはりありません。それでも、一番多かった頃に比べると随分減ってはいます。オイルについて言えば、中華料理で一番使うピーナッツオイルは姿を消しました。熱々に焼いた中華鍋に注ぐピーナッツオイルの香りは最高です。今やオリーブオイルで代用です。写真の中オリーブオイルは3本あります。紺色の缶に入ったのは、先日主人がポルトガルからお土産に買って来てくれたものです。ポルトガルのオイルは初めて使います。左奥の2本がオリーブオイルですが、バージンオイルは加熱にはむかないので、加熱用の普通のオリーブオイルとサラダにかけるバージンオイルを用意しています。日本のごま油も欠かせません。中華料理はごま油と思ってる人が多いようですが、ごま油は調理したあとからかけることが多いように思います。日本のごま油は香りが高いので、地元のごま油の3倍ほどの値段でも売れています。

 前の中央の小さな瓶は、ラー油です。辛い物好きな私には、最後のひとかけに使います。手前右は、くるみのオイル。これも加熱しないで使うのが主流です。マヨネーズに似た香りがします。くるみのパンを焼くときは、このオイルを使います。奥の黄色い蓋のオイルは、珍しいオイルです。マスタードシードのオイルです。インド料理に使うのですが、熱い鍋に流し入れただけで涙が出るという代物、ところがこのオイルの味は辛いながらも甘みがあります。右奥は、アボガドオイルです。きれいなグリーンをしていて、これもサラダやドレッシングに使います。アボガド特有の青臭さはありません。

 これ以上は増やさないつもりですが、これだけは必要です。オイルといえば冷蔵庫には、数種類のバターにラードが入っています。バターは体に良くないとマーガリンがもてはやされた時代もありました。今度はトランスファットがどうのこうのとマーガリンはよくないと言われたり、時代によって変わります。私もオイルの摂取の仕方が、年齢とともに変わりました。オイルは体に大事だと思うようになりました。魚の脂も牛や豚の脂も若い時よりたくさん食べています。オイルは大事です。

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台風 香港

2014年07月19日 | 香港

雨、28度、88%

 大型の台風九号が、香港を外れてベトナムに上陸したようです。フィリピンや台湾ほどではありませんが、香港も台風がよくやって来ます。フィリッピンなどに比べれば小さな場所ですから、あたる確率としてはかなり高い方ではないでしょうか。

 台風の大きさに関わらず、香港より800キロ圏内に台風が入れば、シグナル1が気象台より出されます。もっと近づくと、シグナル3、直撃コースに入るといっきにシグナル8が出ます。シグナル8が出ると、家から出ない方が賢明です。というか家から出ないようにという勧告です。公共の交通機関は、ほとんど止まります。2階建てバスなど風で煽られますから、倒れることもあります。電車だって、2階建てですから危険です。タクシーも走りません。かろうじて、地下鉄が間隔をあけて走っています。もちろんフェリーは全て止まります。スターフェリーばかりではありません。香港の離島へ出て行くフェリー、マカオフェリーも止まります。学校は全部休み、公共機関も銀行を含めて休み。お店を開けるのは勝手ですが、自営の店以外はこれまた全部閉まっています。

 台風が来ると、香港は旧正月より街の中が静かになります。聞こえるのは風の音だけ。喜んではいられません。全面ガラス張りのビルの壁面は、ひび割れて飛び散るは、サッシの窓でさえすきま風に煽られると窓枠ごと宙に舞い上がります。街路樹は根っこを見せて同じ方向に倒れ、大きな看板までが飛ばされることもあります。やはり、勧告通りに家にいるのが一番です。

 以前は、台風のシグナルは雨風の注意警報でしたが、最近、風と雨の警報が別に出るようになりました。シグナルは風の警報、雲マークは、雨の注意報です。台風で、大雨を伴うときは、シグナル8、黒雲マークが出されます。風、雨共に強い台風は、岩盤で出来た香港では大きな土砂崩れも起きます。

 我家だって台風準備をします。見出し写真のように、鉢置きにあるバジルやシソは全部家の中へ入れます。いつもは客用の風呂場に入れるのですが、今回は大した台風でないと思って窓際に入れました。風の向きによって雨が隙間からはいる場所には、タオルを重ねておきます。

 ただ、台風でも欠かせないのが、 テーブルに上ってバジルのにおいを嗅いでいるこの方、モモさんのトイレです。雨や風の様子を見て、急ぎ外に連れ出します。先程、シグナル1が消えました。と思う間もなく、次の台風がやって来ています。やれやれ、台風シーズンです。

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怒る

2014年07月18日 | 日々のこと

曇。、28度、88%    シグナル3

 若い時はよく怒っていました。息子がいた頃は、叱るのにも声に出す、手も出る、怒って叱ったあとには体もぐったりしたものです。それに家庭教師という仕事柄、宿題を忘れたり、嘘をつく子をやはり声を出して叱りました。叱ったり、怒りの感情のあとはなんともイヤなものです。疲れるばかりではありません、相手も嫌な気でいるだろうなと思うと、「言い過ぎたね、ごめん。」などと電話をしたりします。最近では、怒ることも少なくなりました。香港人の横柄な態度や中国人の割り込みなどでいちいち怒っていたのでは、この香港で生活できません。家には血圧がやや高い方がいます。その方を怒らせないためには、こちらも悠長に構えていないと困ります。それに、年齢です。まあ、こんなこともあるさと、思える年齢のせいで、怒りは少し姿を消していました。それが、昨日、久々に怒ってしまいました。

 私の実家の改築は、すでに1年を随分と過ぎました。私たちがすぐに住むわけでもありません。ちょくちょく現場を見に行くことも出来ません。4月の消費税値上げもありました。建築ラッシュもあったでしょう。それに古い家です。手がかかるだろうと、主人とも工事が延び延びになるのをじっと我慢していました。建築の方は当初、3月とおしゃっていました。それが6月、7月とずれ込んできました。家が出来ても家周りの庭がそれにひと月かかります。6月といわれた段階で、私の母の初盆と1周忌を実家ですることは出来ないと諦めました。心底残念な思いがします。早く仏壇や位牌を家に戻してやりたいと思います。このお盆、父や母はどこに戻ればいいのかなとも思います。それでも、怒ったりしませんでした。

 昨日は、朝から主人と「いよいよ庭周りの仕事が始まるね。」と話していました。家の方は17日までに終わらせるという約束でした。あと、ひと月でやっと形になるそんな安堵感を覚えました。ところが朝一番、庭を頼んである人からメールです。家の方が17日までに終わらないという連絡があり、庭周りは来週から始めますという報告でした。びっくりしました。すでに家の方は終わっているとばかり思っていたからです。しかも、15日、16日と私は別の用事で建設の方と電話で話しているのに、何一つ工期が延びることの話はありませんでした。たかだか数日と思われてのことでしょうか。工期が延びることを園芸の方から聞くのは筋でないと思い、建設の方にその旨メールしました。いえ、ほんとに怒ったのはこのメールの返事をもらってからです。

 私のメールの返事には、雨続きで工事が遅れていると書かれています。メールの頭に連絡が遅れたことの「ごめんなさい。」とも、「すみません。」ともありませんでした。これで怒ったのです。

 もし、「ごめんなさい、言い忘れてしまった!」とか「すみません、うっかりしてて。」と書かれていたら、ウン、言い忘れってあるよね、うかっりすることだってあるよね、って思えていたはずです。

 「いつも言い訳ばかりですみません。」とは書かれていますが、「連絡が遅れてすみません。」とは一言も書かれていません。納得いかないので怒りが爆発しました。といっても声に出すわけではありません。私の小さな頭の中が怒りで一杯です。

 夕方には、頭の中が疲れ切っています。お風呂に入ると、頭が寝たいと言います。よしよし、寝なさい。

 そんなわけで、昨日は一人で怒っていました。怒りは、体に良くないとつくづく思います。出来ることなら、怒らないそんな毎日を送りたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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水ようかん

2014年07月17日 | 菓子

晴れ、28度、78%   シグナル1

 私の実家の近くに「ふるさと」という和菓子屋がありました。ご夫婦二人だけでやっている店でした。小さな店構えでしたが、お菓子の種類もあり、その和菓子自体が品のいいものでした。予め頼んであった菓子を取りにお使いで行きました。ガラスの引き戸を開けると、店の奥から真っ白なのれんをくぐって、真っ白なエプロンをかけ、真っ白な手ぬぐいで手を拭きながら、おじさんかおばさんが出て来ます。小さな私にまで「いらっしゃいませ。」と頭を下げてくれました。

 亡くなった父は、この店の水ようかんが大好きでした。夏には、ちょっと回り道をしてこの店の前の車を止めると、包みをふたつほどもって出て来ます。決まって、水ようかんは12個。葛桜は母にでした。お酒も好きでしたが、甘いものも大好きな父でした。「ふるさと」の水ようかんは、さっぱりとして12個なんてすぐになくなりました。

 缶入りの水ようかんが、お中元などで出回るようになったのはいつごろからでしょうか。あの量の少なさ、べっとりと手に付くような甘さ、買ってまで食べようとは思いません。私の味覚の記憶の底には、「ふるさと」の水ようかんがデンと居座っています。

 さて、それならばと作ってみると、大方のレシピはあのべっとりな水ようかんに仕上がります。寒天液に入れる砂糖の量が半端ではありません。先日、京都のある店の青竹に入っている水ようかんのレシピを見ることがありました。随分と砂糖の量が少なめです。そこで、思い切っていつもの半分の砂糖にしました。砂糖を半量にするには勇気がいります。 出来上がった水ようかんは、はい、「ふるさと」のあの味です。固さはすっとスプーンが入るくらい、口当たりを考えて、葛を溶いていれました。15センチ角の流し型で作った水ようかん、あっという間に私のお腹に入ってしまいました。

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北角 ノースポイント 香港

2014年07月16日 | 香港

腫れ、27度、86%

 香港島のやや東、大きな市場を挟んだ街が北角です。日本人も多く集まる銅鑼湾から車で10分ほどのところですが、街の雰囲気ががらりと変わります。高層のホテルなども出来てきたにも関わらず、香港の地元という顔をしています。アグネスチャンが育った街です。ビクトリア湾に面していて、小さなフェリーも出ています。観光で、この街をわざわざ訪れる人はいないと思いますが、この街には見物がひとつ。あの二階建てチンチン電車、トラムが市場の真ん中を単線ですが走ります。 

 香港の市場は、街、街でそれぞれ違います。この北角の市場、さて、なんと表現したらいいのか、開けっぴろげとでも言いましょうか、ドンと荷台を店の前に出して、野菜も果物も山積みで売っています。

  このトマトの山。こちらは豚肉を売る昔ながらの店です。 私が毎日通うセントラルの市場は、土地が高いこともありますが、もっとこじんまりとしています。野菜果物はどこの市場も売ってるものは同じです。ところが魚は市場によって特徴があります。 太刀魚が売られているのは、ここだけです。実は私はタコを探しにやって来ました。生きたタコです。時折、北角の市場で魚屋の荷台の下に、たまたま捕れたタコが売られています。残念なことにタコは見つかりません。売られている魚の種類が違うのは、そこに住む人が中国のどこの出身かで決まります。北角の辺りには昔から上海出身の人が多く住んでいるそうです。

 先日、このトラムの市場に乗り入れを廃止するかもしれないと新聞に書かれていました。確かに危険です。でも、この市場を通るトラムは、この街の普段です。今では両脇の小さな店が整理されました。もっとゴチャゴチャしていた頃が懐かしく思います。家にクーラーがないお年寄りたちが、海風を受けるために小さなベンチに集まっています。なにを話すでもなく、木陰に座っているだけです。これが、香港の素顔です。

  予定のタコはなく、こんなものを買って来ました。我家の近くで姿を消した、アメリカの布袋入りの小麦粉。ひよこ豆。左奥は、1ポンドもある切り干し大根、おそらく中国のものだと思います。切り干し大根、香港では日系のスーパー以外ではなかなか手に入りません。しかも、1ポンドの大入りです。いつもの黒酢が、近くより$4安かったので買いました。

 香港に住んでいることを、時折忘れてしまいそうになります。そんな時、この街を訪れると自分の足元を見ることが出来るような気がします。

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herbes de provence  エルブ ドゥ プロヴァン

2014年07月15日 | 料理

晴れ、28度、84%

 夏になると度々テーブルに登場するのが、ラタトゥイユです。夏野菜ばかりをトマトと煮込んだ家庭料理、オリーブオイルとニンニクが隠し味です。 夏野菜といっても、野菜の季節感がなくなった昨今ですが、やはり夏野菜は夏が一番美味しい。もう永年作って来たラタトゥイユですから、作り方はほんとに適当です。弱火でゆっくりと炒めたら、あとはトマトを加えてお鍋まかせに煮込みます。味付けは、いいお塩を少しと胡椒だけ。ただ、香り付けに一振りするのが、エルブ ドゥ プロバン、乾燥したハーブです。この一振りは、鍋の蓋をとったとき、大いに効果を発揮してくれます。 タイムやローズマリー、ローリエ、サリエットなどのミックスされた香りが鍋の中で充満しています。

 見出し写真は、主人が先日フランスからお土産に持って帰ってくれたものです。ちょうど、このミックスハーブがきれていました。 こうした乾燥ハーブは、それぞれの料理に合わせて調合されたものもあります。右の小さなものは、魚用。左は、ピザ用。エルブ ドゥ プロバンの空いた素焼きに容れ物には、我家のローリエが入っています。料理別に用意しなくても、このエルブ ドゥ プロバンひとつで充分です。ラムのローストやサバやイワシの煮込みにもこの一振りは、いつもの料理とは違った一品にしてくれること請け合いです。ただ、振りかける時に一ひねりしてやってください。山椒の葉っぱをポンとたたくのと同じで、香りがより立ち上がるように思います。

 主人が買って来てくれたエルブ ドゥ プロバン、プロバンス地方の布が被っているだけで、蓋がありません。乾燥した南フランスならいざ知らず、ここ香港では湿ってしまいそうです。それで小さく切った和紙を挟みました。素焼きの容れ物は、通気性があると聞きます。乾燥したハーブを蓄えておくには、適した容れ物です。

 粉末のスパイス、生のハーブともちょっと趣が違います。布の袋に入ったものも売っているはずです。お試しください。

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「暮らしを旅する」中村好文

2014年07月14日 | 

曇、28度、79%

 日本の建築家は世界の至る所で活躍中です。新しいルーブル美術館も日本人の二人の建築家、そういえば磯崎新の新しいビルが香港のセントラルにも建ったばかりです。

 世界で活躍する建築家とはひと味違った建築家として、私が好きなのが中村好文です。木工家の三谷龍二の小さな家の設計をしたのが中村好文だと知って以来、折に触れて、出版物も求めて来ました。雑誌などの小さな文章でも切り抜くほど、中村好文の文章はすっと身に沿って来ます。コルビジェのような建築家のことを書く時ですら、まるで、隣のおじさんのことを書いているような気安さです。丸眼鏡の風貌にも現れている人柄のせいでしょうか。

 高校の頃大好きだった詩人で建築家の立原道造、24歳で急逝した立原道三が週末の家にと考えた5坪ほどの家はヒヤシンスハウスと名付けられ、その幾つかの設計図にも見惚れたものです。このヒヤシンスハウスは今ではさいたま市のどこかに建てられているとか。そんな小さな家の流れを汲む中村好文の作る家の感覚は、明かり取りの窓ひとつにも妙を得ています。

 「暮らしを旅する」中村好文の随筆の短編集です。先月の帰国前に作った買って来る本のリストの4冊のうちの1冊です。人がほとんどいない建築関係の本棚の前で、この本を取り上げたとき、なぜか、暖かさが伝わって来ました。パラパラとめくると、どこかで読んだ文章ばかりです。買わずに帰ろうと本棚に戻そうとした時、外表紙の紙に目が行きました。アルファベットが印字されています。デザインよりもその紙の色と手触り、紙の表紙が暖かさを届けてくれます。この外表紙は、中村好文が設計したフレンチレストランのランチョンマットだそうです。触らない色といい、紙の質感が伝わって来ます。もう一度手に取り直して、やはりレジにと向かいました。

 家の設計といっても、そこに置かれる本と生活、そこに置かれる焼き物と生活、そんな機微まで含めた建築家中村好文の世界、本屋で見かけたら手に取ってみてください。立ち読みできるほどの小さな本です。

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種の使用期限

2014年07月13日 | 日々のこと

曇、28度、82%

 香港に来た初めの頃のことです。普通に売られている大根の首はみどりで大根にしては小さなものでした。人参といえばその逆、こんな大きな人参!と声を上げたほどです。土地が違えば野菜も変わります。そんな軽い気持ちで、地元の野菜にも慣れて行きました。ところがしばらくすると、日本の大根のような立派な白い大根が売られるようになりました。

 香港島のマカオフェリー乗り場の前には来た当初から、種の卸の店が2軒ありました。バジルの種を買いに、春になると少なくとも一度は足を運びます。日本のような大根が市場に並ぶようになった頃、その種の卸屋には、日本の大根の大きな缶入りの種が並ぶようになりました。これは小売りではありません。農業をやる人が買って行きます。こうして、日本のキュウリや人参の種も小売りではありませんが、香港にやって来ます。おいしい大根やキュウリが食べられるようになったのも、こうした背景があったのです。

 私が買うバジルの種は、30年近くオーストラリアからの輸入物です。春になると大葉の種も蒔きます。この大葉の種は日本で買って来ます。それに主人が出張すると、その先々で、野菜やハーブの種をお土産に持って帰ってくれます。そんなふうなので、私の種入れにはオランダ語、英語、ドイツ語、日本語の種の袋がごっちゃに入っています。

 2、3年前からどうも腑に落ちないことがあります。蒔かないで取って置いたバジルの種は、翌春まいても芽が出て育ちます。ところが、同じように取ってあった大葉の種は芽が出ません。そこで、初めて、種の使用期限に気が付きました。袋裏、下の方にどの国の種も書かれています。

  日本の大葉。 オーストラリアのバジル。

  オランダのルッコラ。この使用期限に、発芽率まで書かれているのは、日本だけです。ところが、日本以外の種の使用期限は、種の取れた年から3年から5年後までの期間です。日本の種は総べて1年後が使用期限となっています。そして、確かに一年過ぎると芽が出ません。

 私は日本の種は優秀だから、3年先でも芽が出そうだと思うのに、なぜ1年後には芽が出なくなるのかな?

 先日、主人がオランダから買って来てくれたハーブの種。 3年、4年先が使用期限です。10月になったら蒔くつもりです。この種の使用期限、気になって仕方がありません。

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石井桃子の随筆

2014年07月12日 | 

曇、29度、92%

 日本に帰る前になると、一応、新刊のチェックをします。ところがここ数年、あまり興味のある本に出会えません。日本から帰る時にほとんど本を持ち帰らなくなりました。日本人の作家で、新刊を待ちわびるような人がいなくなったのです。先月の帰国前のメモに書いた本の数は、4冊。その中の一冊が、「ノンちゃん雲にに乗る」を書いた石井桃子の随筆「みがけば光る」でした。

 石井桃子の名は、「ノンちゃん雲に乗る」より私には「くまのプーさん」の翻訳者としての方が馴染み深く思います。 いったいお幾つで、どんな方なのか、一向に興味がなかった私は知りません。今回初めて、すでに亡くなった方だと知りました。

 本屋の本棚には、「みがけば光る」以外に3冊、全部で4冊の石井桃子の随筆が並んでいました。中をパラパラとめくって、内容の気に入った3冊を求めました。「新しいおとな」「家と庭と犬とねこ」

 ピンクにブルーに黄緑、買わなかったもう一冊は確か黄色でした。遠くからもこの表紙の色がきれいに見えますが、この本たち、なかなか憎い装幀です。それぞれ違った模様が表紙には描かれています。中を開けると、印字の色がそれぞれ違います。「家と庭と犬とねこ」では、 深いブルーの印字です、そして、しおりも同じブルー。紙の本の楽しさを存分に味わうことが出来る本です。

 どの本も、1950年代から1960年代にかけての短編をまとめたものです。昨今の作家の小説や随筆とは趣が違います。石井桃子の性格もあるのでしょうが、のんびりと流れる随筆です。コンピューターも携帯電話もない時代、テレビがやっと普及しはじめた頃、石井桃子ならずとも、ゆったりと豊かな空気が流れていた頃の文章です。

 流石に子供の作家だけあって、難しい表現を極力避けています。しかも、かな文字の多いこと。分かり易い言葉で書くことがいかに難しいか、そして、かなばかりの文章はややもすると読み辛いものですが、口ずさむようにに読み始めると、文章が流れはじめます。久しぶりにいい日本語に出会えました。

 「たのしいかわべ」や「くまのぷーさん」は私の本です。ともに岩波の愛蔵版で初版本、私が6、7歳の時の本です。この本を一人で読んだのは、小学の5年のとき、何分にも文字が読めるようになったのが遅かった私です。「ノンちゃん雲に乗る」も実家の整理の時に出て来たのですが、この本、小さい時から好きではありませんでした。始末したと思います。きれいなきれいな空色の表紙と箱の色が記憶にあります。

 「くまのプーさん」の本を見ながら思います。最近の子供の本は、みんな軽装版になってしまいました。息子が小さい頃はそれでもまだ、きちんと厚い本が出ていたのに、と一番大事な時期の子供たちの本がないがしろにされているような寂しさがあります。

 日本の印刷、製本技術は世界でも屈指だそうです。内容と装幀がひとつになったような本は、本好きに取って最高の楽しみです。

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