チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

歯が抜ける

2014年07月11日 | 日々のこと

雨、27度、92%

  3日前、急に右上の一番奥の歯がぐらっと動いたように思いました。舌先でちょっと突いてやると、やはり動きます。自分の口を大きく開けて、口の中なんて見る勇気もありません。怪我をしても、傷口は見ないで、バンドエイドで隠してしまいます。何ともない時はちっとも気付かない歯です。痛みもありません。まだ30代の初めに、虫歯の治療をしてもらった親知らずだと思います。そのとき先生が「抜きましょう。」と仰るのを残してもらいました。神経も取ってもらったはずです。痛みがないので、普通にご飯を食べていると、グニュッと大きく動きます。次の日も、気が付けば舌先で、奥歯をチョコチョコ突いています。いよいよ、予約を取って歯医者に行こうと決めました。

 近くの歯医者さんです。香港人の私より少し若い女医さんです。もう永いお付き合いですから、気心も知れています。なのに歯医者に行く時は、よいしょっと掛け声をかけないと、重い腰が上がりません。お昼ご飯を済ませて、午後一番に診てもらえれば夕飯も食べれるしなどと勝手に考えます。九時になったら予約の電話をしようと、モモさんと朝の散歩に出ました。

 気が付くと舌先で上の奥歯を触っています。なんと落ち着きのないことか、その時、急に2年前モモさんの歯が2本抜けたことを思い出しました。モモさん8歳の時です。台所の床にグレーの小さな塊が落ちていました。成犬の歯ですから、深い根っこの付いた歯でした。パグさんたちはあの口の形なので、歯が抜けることが多いとは聞いていましたが、やはりショックです。しかも、モモさんは私と同じものを毎日食べています。痛かったねえと、抱きしめて、「全部歯がなくなっても、柔らかくしたご飯を作るからね。」と約束しました。

 モモさんも、あの2本の歯が取れる前は、今の私のように口の中が変な感じだったはずです。しかも、モモさんの歯は神経が付いていたのですから。歯医者に行って、麻酔をかけてもらって歯を抜く自分が、みすぼらしく思えます。モモさん偉いね、と前を歩くモモさんに声をかけます。動物は歯がグラグラし始めたら、きっと硬いものを噛んで、歯を取るのかもしれません。昔の人はどうだったのかな?と考えます。みんな50過ぎまで生きてなかったから、歯がぐらつくこともなかったのかもしれません。じゃあ、今山奥に住んでる人はどうするのかな?糸かなんかで引っ張って抜くのかな?いろんなことを考えながら、やはり絶えず口の中では舌先が動いています。

 散歩の帰り道、信号を半分まで渡った時でした、舌の上にポロッと奥歯が落ちました。そっと手で取ると、小さな歯でした。親知らずですからね。舌先であたっている時は大きな歯だと思っていたのに。3日間も舌先で動かしていたからか、血も出ていません。痛みもなくポロッと落ちました。

 家に帰って、取ってあるモモさんの歯と比べると同じくらいの大きさです。こうやって、ねじがひとつひとつ取れて、いつかはクシャッとこの世から消えてなくなるのね、とモモさんの顔を見つめます。

 見出し写真は、モモさんの乳歯の抜けたものと、2年前抜けた2本の歯が入っている容れ物です。

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フルーツみつ豆

2014年07月10日 | 日々のこと

小雨、28度、88%

 香港は年間を通して、最低気温と最高気温の差があまりありません。これは、体が休まる暇がないということです。私のように早朝走っても、太陽光線を浴びないというだけで、暑いことには変わりがありません。家に着く頃には汗だく、いえ、汗がポトポト滴っています。

 お腹はペコペコ、水分補給もしなくては、家に帰ると冷蔵庫を覗きます。手早く食事を調えます。こんなに暑いのに、一番に飲むものは決まって熱いものです。これは家が一日中クーラーが付いているので出来ること。一通り食事を終えたのに、まだ何か食べたい気分です。冷蔵庫を開けて覗きます。上のだんの奥の方に、ひと缶、フルーツみつ豆を見つけました。

 滅多にこんな缶詰は買いません。香港島東の日系のスーパー、中心部から外れた場所にも関わらず、最近駐車料金がセントラルやトンローワンなみに高くなりました。香港$200以上買い物をすると1時間駐車料金がフリーになります。主婦ですからしっかりとケチです。ところが買い物しながら、いくら買ったか計算をするのは苦手です。レジの行列(なぜかこのスーパーレジでいつも長い行列ができています。)に並んで、かごを見ていると$200には足りないような不安を覚えます。これはいつものことです。すぐ側に山積みにしてあったこのフルーツみつ豆をひと缶、かごに放り込みました。以来冷蔵庫に入れたまますっかり忘れていたのです。

 日本にいた頃お中元でいただいたみつ豆のシロップが、ベッタリと手に付くほど甘くてどうにも好きになれないでいました。このみつ豆、 ごくごくと飲めるほど、サラッとしたシロップです。寒天に赤豆。小さい頃は赤豆が嫌いだったのに、色といい、味といい、みつ豆には無くてはならないものと思います。このひと缶をあっという間に、モモさんと食べ上げました。

 香港には、「糖水」といって、いろんな豆の汁粉から昆布や卵の白身を浮かした甘いスープがあります。冬は熱く、夏は冷たくして街角の甘み屋さんで男も女も、年寄りも子供も食べています。この「糖水」お砂糖がロックシュガーを使います。べとつかない、さっぱりした砂糖です。

 暑い夏を乗り切るのに、水分、塩分そして糖分もお忘れなく。

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KUSMI TEA

2014年07月09日 | お茶

曇、28度、88%

 主人が出張から帰って来ると、出張先がどこであろうと、モモと私は主人が荷を解く横にじっと座っています。荷物からは次々にお土産が出てきます。頼んだわけではありません。だから何が出て来るか分かりません。それこそ主人のスーツケースは玉手箱です。モモさんが小さい時は、その土地その土地でぬいぐるみを買って来てくれました。ロンドンからはピーターラビット。北京からはパンダ。オークランドからは何のぬいぐるみだったっけ?私にも本に始まり、いろんなものを買って来てくれます。

 今回は、飛行機に乗っている方が多いようなタイトなヨーロッパの出張でした。旅程を知っているだけに、「お土産なんていらないよ。」と言ってあったにもかかわらず。一抱えほどのお土産です。最後にトランジットしたのがパリのシャルルドゴール空港、外に出るほどの時間がなかったのでと、飛行場で求めたといって手渡してくれたのが、KUSMI TEAです。

 2年ほど前までは、香港のレンクロフォードでも売っていたKUSMI TEA。知人が、アールグレーが美味しいというので、早速買ったことがありました。ところが私の好みのお茶ではありませんでした。何が好みでないのか、季節によっても変わる私のお茶の嗜好ですから一概には言えません。

 主人のお土産のKUSMI TEA,素敵なシルバ−の缶を明けると、 8種類のティーバックが入っています。

  KUSMI TEAの中でも有名なお茶ぞろいです。プリンス ウラデミール、アナスタシア、カシミールチャイ、セントペテロスブルグ、フラワーブーケ、インペリアルラベル、クリスマスティー、グリーンセントペテロスブルグ。この1週間、ひたすらこの紅茶たちを飲み続けています。

 中のティーバックは、 布製の小さな四角です。

 KUSMI TEAは、ロシア生まれのお茶屋です。ところが革命でパリに逃れて来て、今ではパリのお茶屋になっています。イギリスのお茶文化とは違い、フランスではフレーバーティーが主流です。フレーバーもその店その店によって、同じアールグレーと銘打たれていても香りが違います。その上お茶は葉っぱですから、葉っぱの種類、産地によっては味が違ってきます。クリスマスティーと名の付くものは、アールグレーの次によく見るフレーバーティーですが、これまた一種類のフレーバーではないので、香りは随分変化に飛んでいます。

 実は、このKUSMI TEA、私にはどうもむきません。暑い夏だからかもしれません。とにかく、8種類どれもが香りがきつく感じます。封を切った時の香りは、同じフランスのマリアージュの紅茶の方が香りはきついのですが、口に含んだとき香りの拡がり方が違います。KUSMI TEAは、紅茶の味がしないのです。マリアージュの紅茶は、まず、紅茶の味がしてその奥からフレーバーが香ってきます。KUSMI TEAが小さなティーバックなので、充分に紅茶が出切らないのかもしれません。ともあれ、残りは冬まで大事に保管しておくつもりです。

 折角、主人が買って来てくれた紅茶ですが、「私にはむかないよ。」と申し上げました。すると、「じゃあ今度は、日本で日東紅茶を買って来てあげよう。」とおっしゃいます。日東紅茶のグリーン缶のセイロンティー、香港のリプトンの黄色い缶のセイロンティー、このふたつは、どんな時にも外れません。色、渋み、香り、どうしてかと思うほど品質が一定された紅茶です。

 お茶は嗜好品です。好みがあります。向き不向きがあります。それでも、人気が高い、しかもお値段も高いKUSMI TEAです。お茶好きの方、是非ご自分で飲んで判断してください。

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私の月曜病

2014年07月08日 | 日々のこと

曇、27度、84%

  月曜日の朝になると、仕事や学校に行きたくないと思うのが月曜病だそうです。お休みの明けは、よいしょっとなるのは分かります。小さい頃から、月曜日に学校に行くのは一番の楽しみでした。家にいても一人っ子ですから、遊び相手もいません。仕事に行くようになっても、月曜日が重荷になったことがありません。今や学校も仕事もない身軽さです。ところがどうしたことか、最近月曜日の朝、主人を見送って玄関を閉めた途端に、ふっと肩から力が抜けたようになります。月曜ですから、細々した用事を片付けていると、そんな腑抜けな気持ちはどこかに置き忘れています。

 昨日は、昼ご飯の用意をしながらこの私の月曜病を考えました。どうも、原因は日曜日にあります。以前はどんなお天気でもゴルフに出かけていた主人が、昨年辺から、日曜日に家に一日いることが多くなりました。私たち同い年の夫婦です。主人がお疲れなのは自分を見てもよく解ります。

 やや血圧が高めな主人に、日曜日は出来るだけ気分を損ねず過ごして欲しいと思います。ところがお昼に作った麺が少しべたつくといっては、湯がく水の量が少ないと、しばらくムッツリ。掃除機の爆音が嫌いな主人です。主人が散歩に出かけたのを機に掃除をはじめます。ところが段取りが悪いと、掃除機をかけてる最中に帰ってきます。ドアを開けるや、やはり、ムッツリ。

 ムッツリは伝染病ですから、こちらまで、ムッツリしそうになります。まあ、まだまだ、私も修行が足りないなと思います。

 昨日、夕方の散歩にモモさんと出かけようとすると、あら、1時間近くも早く主人が帰宅しました。いつもなら、こんなとき一緒に散歩に出る主人です。それが、心なしかお疲れの様子です。散歩を終えて家に戻ると、主人はベットの上で服も着替えずに寝ていました。微かに寝息を立てています。規則正しく動く肩を見ながら、急に、私の月曜病なんて米粒よりも小さなものに思えます。仕事の事など何も話しません。話してくれてもちっとも分からない私です。夕飯の用意をしながら、今度の日曜も、家でゆっくりしてもらわないとと思います。      

 お疲れさま。

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Hillary Rodham Clinton [ HARD CHOICES]

2014年07月07日 | 

曇、29度、88%

 6月10日にアメリカで発売された、ヒラリークリントンの「HARD CHOICES」。こうしたビックネイムの人の本は、ここ香港では、アメリカの発売とほぼ同時に本屋に並びます。

 ヒラリーといえば、ファーストレディーに続いて、上院議員、つい昨年までは、アメリカの国務長官として世界中を周り、常に表舞台で活躍をしてきました。私が、ヒラリーに興味を持つようになったのは、上院議員になった辺からだと思います。ファーストレディーで終わらずに、自分の政治意識を持って議員になる、そこには2008年の大統領選挙を意識したものがあったのかもしれません。私のこの興味はあくまでも、政治的なものではなく一人の女性としての興味です。

 「HARD CHOICES」は、4年間の国務長官時代の回想録です。2009年から2013年、確かに世界中が不安定な時期に突入したかのように思えました。その裏で、アメリカがどういう動きをしたかが書かれています。近年のことなので、事件そのものにも興味はありますが、私がこの本に釘付けになったのは、やはり、ヒラリーその人をここまで動かしているものが何なのか、尽きない興味です。

  「LIVING HISTORY」2003年刊行のこの本は、ヒラリーが上院議員になってから書かれたものです。彼女の生まれから、弁護士時代、ホワイトハウス時代。ごく普通の家庭の出身の彼女です。弁護士を経て、政治の世界に入ったのは、ご主人のビルクリントンの影響が強くあるようです。児童問題、女性の平等権の問題、このふたつのことは、2冊の本でもヒラリーが一番強く関心を抱いてることが分かります。文章が生き生きしています。2008年、アメリカの大統領選挙の民主党の予備選で、オバマに破れたヒラリーです。あの時は、人種を取るのか、性別を取るのか、アメリカ人は人種を取りました。アメリカは女性の進出が多い国であるにもかかわらず、未だに、女性大統領はでていません。「HARD CHOICES」の刊行後、ヒラリーのいろんなインタビューで必ず聞かれるのが、2016年の大統領選挙です。出馬するのか否か。未だに答えはでていないと答えるヒラリーですが、その彼女の目の奥にあるものは、きっと出ますよ、と言っているように見えます。

 このひと月、 ずっとこの本と一緒でした。私より10歳年上のヒラリー、一体この人を突き動かしているものは何でしょうか。どんなタイトルがついても、ファーストレディーであっても国務長官であっても、いつも、ヒラリーは自分自身であり続けています。その強さを支えているのは、家族であると思います。2つの本でヒラリーが共通して書いていることのひとつ、先程亡くなったヒラリーの母親のことです。親にも見捨てられ、親戚の家でも冷たく扱われ、それでも、人の助けを受けながら生きて来たヒラリーの母親、その人の後ろ姿が、彼女を作っているように思います。

 さあ、2016年大統領選挙に立つのかどうか、政治的興味のない私はどちらでもかまいません。大統領になろうがなるまいが、きっとヒラリーは変わらないと、この2冊の本が教えてくれました。

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湯葉

2014年07月06日 | 日々のこと

晴れ、28度、91%

 海外でも、中華圏に生活をしていると、お米、お豆腐の心配がありません。これは、日本人にとってはありがたいことです。香港は、お豆腐の種類にいたっては日本よりも多く、ごく柔らかいものから硬くて五香(ウーヒョン)の香りの付いたものまであります。

 お豆腐を作るひとつ前の段階で作る湯葉、日本では精進料理や会席料理にと高級なイメージでハガキより小さな板湯葉が、何百円で売られています。ところが中華調理では、これはごく普通の食材、煮物、揚げ物、スープに、はてはお汁粉の浮き実にまで湯葉は使われます。乾燥されたもの生のもの、形も板状から棒状まで様々。しかも、お値段はずっと安く、浴衣の帯ぐらいの乾燥湯葉は、140円ぐらいで手に入ります。湯葉が大好きな私にとって、こんなに嬉しいことはありません。重箱の隅に、小さく巻かれた湯葉などを食べても、湯葉の味すらしないと思うほどです。

 板状の乾湯葉は、戻したらたっぷりのお出汁とみりん、淡口醬油で炊き上げます。全く日本風です。それをお鉢にこんもり盛りつけて、心行くまで食べます。満足。

 ところが日本人の方、香港のお豆腐も湯葉も臭いとおっしゃいます。大豆の匂いではありません。確かに何か臭いと敬遠する匂いです。中華料理では、その臭いも消えてしまうほど、ニンニクやしょうがを使います。ところが繊細な日本料理風にすると、その匂いが鼻につくのです。だからお豆腐は奴ではいただけません。美味しいものを食べてい一心で、あれこれ湯葉を試してみました。最近やっと、生湯葉も乾湯葉も臭みのないものに出会いました。私は臭みの一因はお水ではないかと思います。

 夏になると生湯葉をたっぷりと使って、キュウリ、大根の千切りと合わせます。時には家の大葉を刻んだり、この日は山椒の実を添えました。味付けはお好みで、鎮江の黒酢、すりごまでいただきます。

 湯葉をたくさん食べれるなんて、ほんとに満足。

 

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私のイニシャルはM。

2014年07月05日 | 日々のこと

晴れ、28度、82%

 私の父は、写真を生業としていました。今のように、カメラを持っている人も少なかった頃、家で写真のプリントが出来るなんて思ってもなかった頃のことです。父が逝って45年が経ちます。みんなが簡単に携帯で写真を撮り、すぐにプリントが出来る今の様子を父が見たらなんと思うでしょうか。実家の荷物の整理をしている時に、父が大事な写真に使っていた、インボッサーがでてきました。父の名前を紙に捺すインボッサー。写真を挟み、上からハンドルをおろすと紙に凹凸が出来て父の名前が捺されます。重い重いインボッサーでした。どこかで作ってもらったものでしょう。荷物の整理の時に、そのインボッサーを残したのか、捨ててしまったのか、どうも思い出せません。残してあれば、預けてある家具などと一緒に倉庫にあるはずです。そんなインボッサーに小さい頃から憧れていました。

 欧米には、イニシャルを刺繍したり、銀器に彫ったり、食器にペイントするモノグラムがあります。ハンカチに刺繍されたモノグラム、代々使われている食器に書かれたモノグラムは、東洋にはない歴史を感じます。アルファベットを装飾したモノグラムの文字は、どのアルファベットもしゃれて見えます。

 私のイニシャルは,Mです。Mをモノグラムにすると、字が動き出すかのように、明るいイメージに変わります。15年ほど前に、香港の文房具屋で見つけたのが、 小さなイニシャルだけのインボッサーです。日本製です。黒い部分がイニシャルのカートリッジになっていて、好きな文字のカートリッジを選ぶようになっています。本体とこのカートリッジは別売でした。

 以来、紙ナプキンや洋箋のヘッドにこのインボッサーで私のイニシャルを捺します。見出し写真は、レターヘッドです。 普通の紙ナプキンもご覧の通り。どなたも気付かれませんが、このMのマークが入るだけで、自分だけのものと思います。

 このインボッサー、どこのメーカーか分かりません。日本の文房具屋にあると思います。これを買った香港の文房具屋、本体はすでに売り切れたのか見当たりません。残ったカートリッジだけが、埃を被って売られています。

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おたま!フライがえし!

2014年07月04日 | 身の回りのもの

晴れ、29度、82%

 おたまやフライがえし、毎日普通に台所で使うものです。普通に使っているということは、違和感がないから普通です。食堂でもありませんから、数だってひとつずつ。意識も無くふっと取って、お味噌汁をすくいます。

 二か月ほど前、道に面した店でふと目に留まって買ったのが、 この3つのおたまです。注ぎ口が付いたおたま、楕円の穴空きおたま、楕円のおたま。香港$20ですから、300円もしません。中国製ですが、欧米向けの輸出用だと思われます。数年前、コンランショップで見たものにそっくりです。注ぎ口が付いたおたまが以前から欲しかったもののひとつです。穴空きは、茹で卵をすくうとき用。穴なしは、私の味見用、などと思いながら買いました。

 新しく買ったものは、毎日使ってみたくなります。ゆで卵でなくても、グリーンピースを湯がいて穴空きを使います。この3つ、何に使ってもなんだか馴染みません。使い慣れてないからかな?まずは、柄の長さ、小さい私には持て余し気味の長さです。その上やや重めに出来ています。

  この2本は30年ほど前に日本で買った、海外製です。これと、比べると柄の長さは同じです。このフーク状のものは、お肉を焼く時に威力を発揮します。穴空きは、専ら中華風炒めもの用です。柄の長さが使い辛さではないようです。

 見出し写真は、私が実家をでて初めて自分の台所を持った時に買ったおたまとフライがえしです。もう40年連れ添っています。使い慣れたというか、もう私の腕の延長線にあるおたまとフライがえしです。新しく買ったものと、以前から使っているものどこかが違います。写真は、出来るだけ同じ角度から撮りました。見比べてみると、新しいおたまは、古い物に比べておたまの付き具合の角度が90度に近く作られています。それに比べて、スプーン状のものは、柄の延長、角度がほとんどありません。どうも、この角度が私には災いしているようです。

  これは、香港の雑貨屋で買ったものです。右はご飯をてんこもりに盛りつけるしゃもじ。左は、豆腐花といって甘い豆腐をすくうおたまです。これはたまの部分が薄く出来ています。柄は、普通のしゃもじほどの長さ、私は煮物を盛りつけたりする時に使います。

 新しく仲間入りした三本、角度の違いにも負けずに慣れるまで使ってみようと思っています。でも、40年使ったおたまもフライがえしも、普通のものですが使い易い、これは私が日本人だからでしょう。

 

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スワトウのランチョンマット

2014年07月03日 | 身の回りのもの

曇、29度、86%

 香港に来た当初、日本に帰国するまでに洋食器を一揃いと心に決めていました。周りの方達からは、早めに買いなさいね、年々値上がりするから、とアドバイスを受けました。当時はまだ、イギリスの統治下でしたから、洋食器のお店は今より遥かに数がありました。お店を経営している人も、お店番の人もイギリスの人がいました。山のように積まれた食器の中から自分の好きなシリーズを探すのはほんとの楽しい時間です。一揃いのつもりが、結局3つものフルセットを買ってしまいました。次は、銀器です。基本のセットに加えて、サービング用のものを増やして行きました。これも、少しずつではなく買う時はまとめて、買ったように覚えています。まさか、こんなに長く香港にいるとは思ってもいませんでしたから、銀器を揃えるまでに3年もかかっていないと思います。

 ようやく一息つけそうだと思ったとき、そうそう、マットなどのリネンの類いも揃えなくてはと考えはじめました。返還以前の香港は、あちこちに「中国百貨公司」と書かれた中国系のデパートがありました。漢方薬、中国の缶詰、安い衣料品(100%木綿と書かれていても化繊が混ざっているようなもの)、ピンからキリまでの骨董品、景徳鎮の焼き物など、お土産物と日常品がごちゃ混ぜに売られている古いデパートです。私などはこの中国系のデパートを歩きながら、中国という国を垣間みていたように思います。手仕事の刺繍で有名なスワトウのものも売られていました。

 スワトウのものも、機械生産の化繊のものから手縫いの麻のものまで、これまた値段の差もかなりなものです。どうせ買うなら、一番高いものをと手仕事の麻を見せてもらいました。刺繍のパターンは2種類、我家の食器や銀器を思い浮かべると、花模様の刺繍は不向きに思います。そこで、残りのもう一つの方をもらうことに決めました。見出し写真のものです。

 刺繍ばかりかカットワーク、ドロンワークも施されています。周りは、カットワークで四角くポツポツと出ています。随分後になって、ある方からこの周りのカットワークの形から、このシリーズは「万里の長城」と名付けられていると聞きました。確かに万里の長城の城壁の形です。プレイスマットばかりでなく、丸いプレートマットもグラス用のマットも一度に揃えました。 

 食器と違って一抱えもせずに持って帰ってきましたが、払ったお金は普通の食器が買えるほどしたと覚えています。これは幾つかあるお客用のマットのひとつです。

 中国のもので、買って失敗だったと思うものも少なくありません。この「万里の長城」のプレイスマット、どんな方がみえても恥ずかしくない私のマットのひとつです。

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マスカルポーネのチーズケーキ

2014年07月02日 | 菓子

小雨、26度、88%

 20年ほど前の教え子が我家を訪ねてくれました。彼女は香港生まれ、香港育ち、高校を終えると日本の大学に行きました。卒業後ご家族はすでに日本でしたが、香港に戻って仕事をしていました。3年ほど前、いよいよ日本に帰国。つまり、彼女とはこの20年の間も、幾度か会っていたことになります。三年ぶりの笑顔は、20年前の10歳の時のそれとちっとも変わらない、4人兄弟の末っ子の彼女は、家でも外でも可愛がられるタイプです。先頃結婚して、年末にはお母さんになると言います。

 彼女も長く教えた生徒の一人です。気が合うというのか、勉強をみてるつもりが、合間にいろんな話をしてしまいました。そんな小さなことをよく覚えていてくれます。

 昔の教え子が会いに来てくれる時は、外でご飯を一緒にすることもありますが、たいていは私がご飯を作ります。受験前、長時間の授業の時もよくお昼やおやつを作って一緒に食べました。それに、外でご飯をするより、我家だと落ち着いて一杯話が出来ます。

 デザートにはマスカルポーネを使って、 チーズケーキを作りました。ティラミスで有名になったマスカルポーネ、脂肪分はクリームチーズより遥かに高く、酸味や塩気の少ないくせの無いチーズです。チーズケーキにする時に、クリームチーズより楽にペーストになってくれます。この季節ですからレアのチーズケーキを作ります。焼いたチーズケーキも好きですが、この真っ白な色が例えようも無く大好きです。マスカルポーネに生クリームを泡立てて混ぜ、ゼラチンで固めるという簡単なもの、ただ、この硬さが決め手です。柔らかすぎると、マスカルポーネの個性の無さが口の中で拡がります。硬すぎると、ゴムみたいになってしまいます。

 添えたソースはオレンジソース、 自家製マーマレードにほんの少しコアントローを混ぜて作りました。

 家庭教師の仕事は基本的にはご家庭に私が伺います。自分用に作ったお菓子を持参することも度々でした。彼女は今回お母様、お姉様と一緒に香港に来ていました。我が家にきたのは彼女一人でしたが、我家から帰ってお母様たちと私のケーキの話がでたそうです。あの頃はまだ、今のようにおいしいケーキが無かった香港です。私が作ったものを美味しかったと覚えてくださる人たちが、ここにもいました。私にとって、それが一番の励みです。皆さん、ありがとう。

 

 

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