今出川通りを挟んで「志賀街道」沿いの北と南にとても大きなお地蔵さんがあります。
特に北側の地蔵は高さ2メートルもあります。
お寺の中の立派な仏像と違ってお地蔵さんは「素朴派」です。
素朴でもこのお地蔵さん(子安地蔵、別名太閤地蔵)には由緒があります。
『この石造は一人で歩く霊仏と言われていたので、
豊臣秀吉が、珍しいので我が屋敷に、と
聚楽第の庭園に移したところ、
夜中に、この石仏が不気味なうめき声をあげ、
白川に帰りたい、白川に帰りたいと鳴動するので、
さすがの太閤も困ってついに元の所に返した』のだそうです。
造立は鎌倉時代とのこと。
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こちらは南側の石仏。大日如来と記され、光背にも石仏が彫られています。
右側の像は笑っています。
頭や顔の上半身の大きさと華奢な下半身のバランスの具合がユニークです。
左の像は磨滅して顔がよくわかりません。
ともに鎌倉時代の造立だそうです。
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特に北側の地蔵は高さ2メートルもあります。
お寺の中の立派な仏像と違ってお地蔵さんは「素朴派」です。
素朴でもこのお地蔵さん(子安地蔵、別名太閤地蔵)には由緒があります。
『この石造は一人で歩く霊仏と言われていたので、
豊臣秀吉が、珍しいので我が屋敷に、と
聚楽第の庭園に移したところ、
夜中に、この石仏が不気味なうめき声をあげ、
白川に帰りたい、白川に帰りたいと鳴動するので、
さすがの太閤も困ってついに元の所に返した』のだそうです。
造立は鎌倉時代とのこと。
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こちらは南側の石仏。大日如来と記され、光背にも石仏が彫られています。
右側の像は笑っています。
頭や顔の上半身の大きさと華奢な下半身のバランスの具合がユニークです。
左の像は磨滅して顔がよくわかりません。
ともに鎌倉時代の造立だそうです。
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