マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

宝永の富士山噴火

2014-12-01 | Weblog
1707年江戸宝永の噴火は爆発的噴火で16日間続き、
麓の集落はスコリア(噴火物、軽石など)に厚く覆われました。

被災地の管理者の代官、伊奈半佐衛門は救済に尽力し、何度も江戸に支援を要請しました。
幕府は諸国に令を出し、救済資金を全国の大名旗本から徴収し計四十九万両を集めました。
江戸では空が暗くなり大騒ぎになりましたが、灰がうっすら積もった程度で実害はありませんでした。

しかし、この金の多くは江戸城の大奥改装などに転用され、
被災地に届いたのは十万両でした。
うち五万両は復興事業を請け負った江戸のゼネコン業者石屋半四郎の儲けとなったのでした。

そのため代官伊奈の復興事業は困難を極め餓死者も出始めました。
万策尽きた代官伊奈は駿府の御米蔵を開き食料を被災者に分け与えました。
そのため罷免され、切腹したと伝えられています。
(切腹に関しては記録が無く病死したとも考えられています。)
被災者は後に伊奈神社を建立し神として崇めたそうです。

御用金徴収のチャンスをうかがっていた幕府が、
噴火騒ぎを利用した、これが事実です。

今と全く同じ図式であることに驚きます。
災害を利用しその度に太る。
他人が死のうが、苦しもうが、悲しもうが何も感じない。
これこそが現在の安倍政権に共通するモノ、アベノミクスの本質です。


参考図書『昼は雲の柱』石黒耀/著 他
コメント
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