町(東電)が標語を募集した時に、
この標語を書いた小学生は、
大人になりました。
双葉町の入り口に掲げられているこの看板が、
今撤去されようとしています。
その動きに対して、
「原発事故の反省を踏まえ、子どもたちにうそのない真実の未来を残すため、
負の遺産として残すべきだ」
と標語の作者である大沼さんは看板の保存を求めています。
東電と町が何をしてきたか、
子どもたちに何を言い続けて来たか、
看板はその「証明」です。
なんて勇気のある人でしょう。
エールを送りたいと思います。
彼は、双葉町に帰るたび、
看板の傍らに下記のような文字を書いてきたそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「原子力 明るい未来 ……じゃなかった」
「原子力 制御できない エネルギー」
「脱原発 明るい未来の エネルギー」
「核廃絶 明るい未来の エネルギー」
そして、看板近くに大沼さんは自らの心境を書いたパネルを設置しました。
『 新たな未来へ
双葉の悲しい青空よ
かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた
少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破戒」に
ああ、原発事故さえ無ければ
時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ
震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい
いつか子供と見上げる双葉の青空よ
その空は明るい青空に
震災3年 大沼勇治 』
「(帰るべき故郷を)失ってから考えるようになったんです。
事故後の写真を撮ろうとも思いました。子どもたちに伝えないといけない」
この標語を書いた小学生は、
大人になりました。
双葉町の入り口に掲げられているこの看板が、
今撤去されようとしています。
その動きに対して、
「原発事故の反省を踏まえ、子どもたちにうそのない真実の未来を残すため、
負の遺産として残すべきだ」
と標語の作者である大沼さんは看板の保存を求めています。
東電と町が何をしてきたか、
子どもたちに何を言い続けて来たか、
看板はその「証明」です。
なんて勇気のある人でしょう。
エールを送りたいと思います。
彼は、双葉町に帰るたび、
看板の傍らに下記のような文字を書いてきたそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「原子力 明るい未来 ……じゃなかった」
「原子力 制御できない エネルギー」
「脱原発 明るい未来の エネルギー」
「核廃絶 明るい未来の エネルギー」
そして、看板近くに大沼さんは自らの心境を書いたパネルを設置しました。
『 新たな未来へ
双葉の悲しい青空よ
かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた
少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破戒」に
ああ、原発事故さえ無ければ
時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ
震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい
いつか子供と見上げる双葉の青空よ
その空は明るい青空に
震災3年 大沼勇治 』
「(帰るべき故郷を)失ってから考えるようになったんです。
事故後の写真を撮ろうとも思いました。子どもたちに伝えないといけない」