マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

里山って?

2013-03-14 | Weblog
「里山」と言う言葉を初めて聞いた時、少し違和感がありました。
「里の山」とどう違うのかな?
でも四手井綱英の書いたものや、今森光彦の田んぼや虫の写真をみたりするうち次第に納得。
生態学のある先生は「里山」とは山と里がひとつながりになったもので、
ため池や田んぼや水路や土手や畔も萱場もみんなひっくるめて里山として見るべき、と書いています。
なるほどそうか、さすが、と感心しました。


でも、「里山」という言葉がすっかり定着したように思える今頃になって、
なんか「里山」がひっかかるようになってきたのです。
新聞などで都会の人対象の里山体験や、里山遊びや、里山ボランティアの記事を見た時には特に。
「里山」はオールマイティの言葉のように使われているようになりました。
都会に隣接する山であろうと、都会から遠く離れた山であろうと、、、

村を潰してダムを作り、発電した電気は都会の便利な暮らしのために使う。
そうで無い場合でも、路線バスが廃止され、分校は廃校になって、、、
お年寄りばかりのさびしい村になり、限界集落への道をたどり、やがて廃村になるしかない、
そんな話を聞くたびなんかおかしいと思うのです。

社会は山里を見捨て荒廃させてきたことに対して、
もちろん個人の責任ではないのですが、そのような社会を今も推し進めることに異議を申し立てずに、
里山を守る、ってなんか変です。
里がなくて里山はあり得ません。
苦手だけどやっぱり政治、経済を横においての里山論は空しいです。
TPPによってさらに打撃を受けることになるでしょう。

「里の山」の「の」を取っただけでなにか学術的な言葉のような、
それでいてなんかナチュラリストみたいな印象があります。
四手井氏はいい言葉を思いついたもんです。
管理好きの行政は里山という山さえ管理すればいいと都合よく考えます。
かつて、山をシイやカシの生い茂る暗い森になる遷移(西日本の場合)に任せておくべきか、
それとも戦前ように、どんどん切って遷移を人為的に止めて明るい森にすべきかという論争がありました。

あれからずいぶん時が経ちました、
その後どうなったか、村里は?木々は?森の生き物は?キノコや動物は?地質なども含めて
もう一度検証すべき時だと思います。


里の裏山、林や小川、あぜ道やため池、やっぱりそんな風に表現する方がいいです。
「の」を復活させて、いなかの様子が目に浮かぶような言葉を使う方がいいと思います。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チューリップ

2013-03-12 | Weblog
庭に植えたチューリップの球根が芽吹いて花が咲くのが待ち切れず、
この時期いつもチューリップを求めて花屋さんの前をうろうろします。
でも、揃いの丈、揃いの色、同じ大きさの花の立派なチューリップばかりで
買う気持ちが失せて結局買わずに帰ることが多いのですが、
なんとスーパーで珍しい花束を見つけました。

葉が折れて茶色くなっていたり、茎が曲がっていたり、花が小さすぎたりしたのを束ねてあったようです。
蕾だったのが徐々に開いて今こんな感じ。
玄関脇に置いたこの花を見るたび嬉しくなります。

1輪でも存在感のあるチューリップ。
大量のチューリップで絵模様を描くとか、意味が解りません。
3歳くらいの子供が最初に描く花は何かな?
ヒマワリ?それともチューリップ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

へんちくりん

2013-03-10 | Weblog
毎日通り掛かる所、
竹が庭からはみ出て疏水沿いの植え込みと混ざって駐車場の脇に生えている。
よく植えこみに使われているのを見かけるマダケの仲間の普通の竹だと思ったけど、
今日、自転車を止めてじっくり見たら、
とてもユニークな桿(カン・竹の幹)の竹がたくさんあった。
竹の桿の違いに注目!

竹はめったに花を咲かせず、無性(クローン)繁殖する。
でも時々突然変異で変わりものが生まれるらしい。
その竹の地下茎を移植すると変わりモノばかりの林が出来る、
それを変竹林(へんちくりん)という、、、???
 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春を待っている

2013-03-09 | Weblog
一昨日も昨日も今日もとても暖かだった。
でも今日はなにもかもが白いもやがかかっったような、
青い空が見えない一日だった。
中国から飛んできたスモッグのせいなのか、黄砂なのか、はたまた、大量の花粉なのか、、、
夕日は一段と大きく赤かった。

明日はどうだろう?

土の下では草の芽が動いて小石を押しのけているだろう。
タケノコもぐんぐん太り始めていることだろう。
小さな虫たちも蠢き始め、地上に出るべきか、
まだ暖かい土のお布団にくるまっているべきか悩み中、かな。
もし土の下が見えたならすごいドラマが見られるかもしれない。

  
もうすぐ枯れ木に花を咲かせる春の魔法使いがやってくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大嘘つきは

2013-03-07 | Weblog
大嘘つきは誰!!!

詐欺師、ペテン師、偽善者、ほら吹き、食わせ者、嘘吐き
フランス語ではmensonge マンソンジュ
スペイン語ではmentiraメンティラ, falsedadファルセダド
オランダ語ではleugenルーゲン, onwaarheidオンワールヘイド
ギリシャ語ではpseudosプセウドス
英語でliar


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お地蔵さん

2013-03-06 | お地蔵さん
京都の街にいったいどれくらいお地蔵さんがあるのでしょうか?、
だれか数えた人いるかなー、、、
なるべく通ったことのない路地を探して自転車で走る時に注意して見るようになったら、
あそこにもここにも、ほんとにたくさんあって驚きます。

ほとんどただの石、みたいなのもあれば、
立派なお堂の中の由緒ありそうな見事なお地蔵さんまで千差万別。
顔の化粧も様々、お供え物も町内によって特徴があります。
たいてい、花が飾ってあって、洗濯してきれいな前垂れが懸けてあって、
地元で大事にされていることがよく解ります。
写真を撮っていると通りがかりのお年寄りが立ち止まってお地蔵さんに向かって手を合わせて行かれます。
地元の方なのでしょうか、どんなことを願って手を合わせるのでしょうか?それとも、習慣なのでしょうか?

信仰心のない私は、神社へ行ってもお寺へ行っても、
手を合わせる時に芝居をしているような少し後ろめたい気分になります。
でも、多くの人の魂の祈りが込められた、このような素朴な地蔵にも、
壮大なお寺の見事な仏像にもその建物にも、
時を超え、こうして眼前に出会えることに感動し感謝します。

細かい木彫の施された社の中に鎮座しています。

このお地蔵さんは、くっきりした魅力的な顔立ちに描かれています。
頬の様子、肩の線もうつくしい。口元が動き出しそう。

町内にタイル職人さんが居られるのでしょうか。
タイル張りは珍しい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雛祭り

2013-03-04 | グルメ
ついついお雛様は飾り忘れるけれど、
昨日は仕事を早めに切り上げて、
雛祭りメニューの食卓を用意する。
少しピンクっぽくなってきたけど、
庭の桃のつぼみはまだ固い。
雪がちらちら舞う、3月3日は毎年そういう日だ。

日曜日で娘も休みなので、一緒にああだこうだ言いながら料理をするのは楽しい。
ばら寿司は花形にして、卵と紅ショウガで飾って。
レンコンとカボチャを素揚げにしたもの、菜の花の辛子醤油和え、
菜の花が好きなのでたっぷり盛り過ぎ。
ゴマ豆腐も添えて。
寒いのでアツアツの茶碗蒸しも作る。
中はアナゴとユリ根と丹波シメジとホウレンソウで具沢山。
飲み物はそれぞれ好みの物を選んで、
私は冷酒を用意したけど、やっぱりビールも飲みたくなって、、、
デザートは雛あられと雛餅でした。
ごちそうさま。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

門口(かどぐち)

2013-03-03 | Weblog
いいモノも悪いモノも入ってくる門口、
節分には鬼よけのイワシを付けて、いいモノだけ入ってきてね、と豆を蒔く。
塩を蒔くのも門口。水を撒くのも門口。
朝、サッサッと門口掃きの箒の音とおしゃべりしている声が聞こえるのはいいもんです。
掃除をしてきれいになった門口には、思い思いの花を咲かせた植木鉢が並び、
雛段飾りのように盆栽が並ぶことも。
時には信楽の狸がいたり、それぞれの家の人の好みで飾られています。
プロの仕事じゃなくて、
そのお家の人の手で飾られた門口を見るとほんわかします。

時々とても個性的な門口に出会って、思わず足が止まります。
ここは???

真ん中に魚が2匹います。
右のは木片に目に青いビーズを載せて、
釣り糸もついています。
もしかしたら全体で何か物語になってるの?
このオブジェ(?)の作者は似顔絵も描くようです。
右は宮本武蔵、左は長島のようです。
作成した人のさまざまな思い(祈り)が込められた祭壇のようにも見えます。
瓦の上においてある物はなんでしょう?もっとちゃんと見てくれば良かった、、、
上京区武者小路町、かつては京の中心部だったあたりです。

下の写真は白川あたりのあるお家の前の飾り。
通るたびに少しづつ変化があります。
木片や石を見立てに使っているところなどは前記の家との共通点。
花や実は造花を巧みに利用してあります。
下の写真の右隅には狐の置物も、
表札には外国の方の名前が書いてありました。









コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする