マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

2016 蕨市総合防災演習

2016-08-28 02:38:00 | 鉄道以外の写真ネタ
こんばんわ。

このところ休みの日に天気が悪くて困ります。
改正以来、ネタと言えば「カシオペア」くらいしか無くなってしまったのですが、「カイオペア」の日に限って天気が悪い、天気が良い日に限って町会の仕事が入っている。こんな日が続いて、結局8月に入って1度も鉄道写真を撮っていません。ここ10年くらいでもこれだけ写真を撮らないシーズンも稀じゃないかと思います。

このところ8月21日に参加した蕨市総合防災演習の写真から一部の消防車両をご紹介していましたが、今回はもうちょっと全体に触れた写真をご紹介したいと思います。


※撮影は、平成28年8月21日、蕨市総合防災演習にて。



起震車

大宮総合車両センターなどでも恒例になっている起震車の展示。
今回は震度7を再現していました。この手の体験は覚悟した上でのものですが、実際には震度6強になったら立ち上がるのさえ困難らしいです。震度7だと、家具やテレビなどが空を飛ぶとも言われています。





はしご車による高所救助訓練

通常の防災訓練だと、はしご車が参加しても精々展示としての説明くらいのものですが、さすが大掛かりな訓練だけあって、ここまでやってしまうんですね。




はしご訓練が終わると、隊員による降下訓練も。さすがにこれは町民参加できません。







防災グッズ

防災グッズの展示、説明が行われていましたが、参加者は毎年来ている人が多いらしく、目新しさのないグッズの説明を聞きに来る人は殆どいないようです。その点、初参加の私にとっては新鮮なものもありました。





スタンドパイプ

今、蕨市で導入を進めているスタンドパイプ。まだ予算が追い付かなくて配布しきれていません。
これも多くの人に実体験をさせないと意味がない道具なので、我が町会にも配置になれば訓練をさせなければならなくなります。もちろん、私が率先して使えるようにならないといけないのですが・・・




災害本部長は蕨市長。




群馬県片品村と災害支援の協定を結んでいるみたいです。
この日のために片品村から村長もお見えになっていました。こうした実践訓練をしないと、いざ有事の時に動けなくては困りますよね。
逆に、蕨市からどのような支援行動をとるのか、全然知りません。その辺も自分で情報を得ないといけないのかな?




掲載順序は違ってしまいますが、この日はヘリも飛んできました。
良く警察庁のヘリは見ますが、埼玉県消防本部?のヘリは見たことないような。ヘリのサイレンも初めて聞きましたが、非常に緊張感のあるものでした。
会場の学校内で見られればもうちょっと様子の分かる写真が撮れたと思うのですが、ちょうど外回りの写真を撮りに行った際、消防車のバック進入に道を塞がれてしまい、校内に入れなくなってしまったんですよね。校内に入れた頃にはヘリは帰ってしまいました。5~6回は旋回していたと思うのですが・・・残念。




最後の出番は消防分団。市内6分団が勢ぞろいです。

結局、救急車2台以外は大集合していたようです。こんな時に火事でも起きたら大変ですよね。
無事に終わってよかったです。


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蕨市消防本部:貴重な救急車2台並び

2016-08-25 01:37:00 | その他乗り物写真館
こんばんわ。

またまた総合防災演習の続きですが、今回は会場となった小学校の外へ出てみます。


※撮影は、平成28年8月21日です。




会場のすぐ外に蕨消防署塚越分署があります。
ここに2台の救急車が並んで止まろうとしていた場面に偶然出くわし、様子を見ていました。

普通は、消防署への救急車の配置は1台です。このように、消防署に2台の救急車が並んでフツーに止まっているところは今まで目撃したことはありません。

ちなみに、蕨市消防本部では救急車を3台保有しています。
本署と分署で1台ずつ稼働していると思いますが、1台は予備でしょうかね?
考えてみたら鉄道と同じで、車検や修理などで工場に入ってしまうと、予備が無ければ「救急車が今日は動かない!」なんて事態になってしまいますもんね。まあ、詳しいことは良く知らないですけど。


この場面を説明すると、
向かって左側の1台は分署で待機している本務の救急2号、右側は訓練で出番を終えた救急3号がおそらく本部へ戻る前に、報告や休憩などの理由で分署に立ち寄ったものと思われます。




1回目の出番を終えた救助1が信号を曲がってこちらへ向かっていたので、3台交えて記念撮影です。こんなの、偶然では絶対撮れないでしょうね。


興味のない人にはつまらん話ですが、それほど気合を入れていない私でさえ、ちょっと得した気持ちになった情景でした。


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蕨市消防本部:査察1 ワゴン車

2016-08-24 00:35:00 | その他乗り物写真館
こんばんわ。

前回の続きで、今回は赤いワゴン車です。




平成28年8月21日 蕨市消防本部 査察1 ワゴン車

これは日産バネットみたいですね。あまりグレードの高いタイプでは無さそうです。
やはりあまりお金を掛けられないところでしょうか?

「査察」という種類はなんとも良く分からない分野なんですが、おそらくは現場検証や防火指導などの移動手段として使われるものではないかと勝手に思ってます。
こういった車両は、鉄道イベントの際に出張してくる消防車・消防署のPRで、展示の主役とはならず陰の方でひっそりと待機(置き去り?)しているところをよく見かけます。


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蕨市消防本部:旧いセドリック

2016-08-23 02:23:00 | その他乗り物写真館
こんばんわ。

今回の台風、結構凄かったですね。←たまたま休暇を取っていたので助かった。


平成28年8月21日、蕨市総合防災演習が実施されました。
防災担当としての出席、見学でしたが、消防車など大集合しているとなれば落ち着いて見学できるものではありません。
一服がてら、色々と情報収集にあたります。


今回はとりあえずコレ!




蕨市消防本部の指令車、「指令2」です。
これは指令車じゃなくてもかなり貴重な旧車ですね。
調べると、1985年頃のデザインのセドリックで、このワゴンは1999年まで生産されていたそうです。ただし、途中でモデルチェンジも行われたようなので、最終期で1995年までと言ったところでしょうか?

ナンバー自体が88ですので、既に20年前後になっているものと思われます。

消防車に比べれば老朽化は遅いですが、さすがにここまで使っているのは大したもんです。もっとも、消防車の更新に金が掛かるので、こういった車両はなかなか買い替えが難しいのかもしれません。

この近くの塚越分署隣接の駐車場に、もっと色の褪せた指令車みたいなのが居ました。
私有の駐車場みたいなんで近くには行かなかったんですが、写真だけでも撮っておけば良かったかな・・・


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残念な夕張支線の廃止

2016-08-19 01:10:00 | 写真無しの情報など
こんばんわ。
ご無沙汰しておりました。

数々の病魔に襲われながらも、何とか生きております。またもや襲われている予感がしているので、意気消沈しているところでもありますが、今年は人生最大の難関にぶち当たっている感じです。

表題の石勝線夕張支線の廃止・・・なんとも驚きのニュースが飛び込んできました。皆さんも既にご承知かと思います。

財政再建団体に陥って久しい夕張市が、地域再建のために打って出た驚きの提案でした。
従来のローカル線廃止論争は、「如何にして鉄道を存続させるか」しか争いが無かった訳ですが、今回は全くその逆、「鉄道を廃止する代わりに地域振興への協力を求める」という、今までにない発想です。
これについては、赤字ローカル線を無くしたいJR北海道としても願ったりかなったりということで、即合意に結びついたとのことです。


時代の流れの中で、仕方のないことでしょう。JR北海道発足時の1割にまで利用者が減ってしまったとは・・・。


ただ残念なのは、私にとって思い出の路線であったこと。

高校1年の春休み、初めての北海道旅行の舞台となった場所。
上野から急行「津軽」に乗り、青函連絡船、急行「すずらん」と乗り継いで、苫小牧へ。
夜中の苫小牧で乗り継ぎ下車、始発の直通夕張行き普通列車に乗り、初めての目的地が夕張駅でした。

当時、未だ石勝線は開通しておらず、室蘭本線から追分で国鉄夕張線へと転進、紅葉山駅(現新夕張駅)で登川支線と別れ、夕張駅へと到着します。当時はこの夕張行きが夕張線の本線でした。
この時代、炭鉱は既に機能しておらず、寂しい街になってしまっていたようで、3両編成のキハ22の乗客も全車両で3人くらいしか乗っていないという状況だったと記憶しています。

始発列車は、終点の夕張で小休止の後、直ぐに折り返してしまうため、殆ど何もすることなく別れを告げることになりました。本来の目的は、清水沢での三菱石炭鉱業大夕張鉄道の撮影だったため、夕張へは乗り鉄でしか無かったということにもなりますが・・・なので、夕張駅での写真も1枚も撮っていませんでした。

初めて北海道へ渡道して以来、その後もさらに10回ほど渡道していますが、夕張に訪れる機会はありませんでした。

現在もまだ厳しい状況の夕張市ですが、応援ツアーなどもあるようで多くの人が訪れているようです。しかし、現実は内地から千歳空港等を経由し、バスで現地入りしているようで、不便な石勝線夕張支線を利用する人はほぼ皆無ではないでしょうか?

もし時間と金があれば、思い出の夕張線にもう一度乗って訪問したい・・・なんて思いますが、今の生活を考えると、廃止までにそれが実現することはなさそうです。


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