マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

181系 「とき」

2007-02-28 11:50:44 | 特急型電車(直流)
こんばんわ。
今日は、181系「とき」の写真をお届けいたします。

私が写真を始めた頃、181系特急は「とき」「あさま」「そよかぜ」が走っていました。他の地域では、「しおじ」や「あずさ」、不定期では「新雪」などもあったようですが、私が見たことがあるのは「とき」「あさま」「そよかぜ」だけです。しかし、「あさま」「そよかぜ」が181系で走っていた頃は、とにかく写真代が高かったため、写すことができない時代でした。ちなみに、写真1枚の現像が100円で、駅立喰いのかけそば1杯が80円から100円位だったようです。

中学生になる頃には1枚39円という値段(機械焼き)になり、やっと満足に写真が撮れるようになったわけです。しかし、その頃181系は「とき」だけになってしまいました。

ということで、ご紹介できる181系は残念ながら「とき」だけになってしまいますが、幸いイラストマークとサインマーク、そこそこのバリエーションがありますのでご勘弁を。



昭和51年 上野駅にて  ロングスカート車
181系の中でもこの車が一番好きでした。この頃には既に少数で、狙っていてもなかなか逢うことができませんでした。


昭和52年 上野駅にて クハ180
この頃は、この連結器をむき出しにした姿があまり好きではなく、写真にもあまり撮りませんでした。しかし、碓氷峠の廃止の話が出始めた頃から、この連結器の歴史にやっと興味を持つようになり、Nゲージの世界にどうにかして取り入れたいなんて・・・わがままな話ですね。


昭和52年 上野駅にて クハ181100番台
一番ノーマルで最終期まで残ったタイプです。151系改造車よりも台車の見映えからこの100番台の方が好きでした。Nゲージでもマイクロエース社から発売されたときは大変うれしかったです。できれば、KATOさんからもお願いしたいところです。


昭和56年頃 蕨~西川口間にて クハ181100番台
貫通型や非貫通型からかなり遅れましたが、やっとイラスト入りになりました。しかし、このマークが非常に気に入らなくて、何故か流し撮りのテストに良く使っていました。やはりボンネット車には文字マーク、しかも「朱鷺」が良く似合っていたと思います。


昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて
上越新幹線の開業を控え、正式に181系「とき」の廃止が発表になりました。もうイラストマークがどうのこうの言っていられなくなり、東北特急と抱き合わせで写真を撮りに行きました。このときには既に181系は3往復のみとなり、効率が悪くなっていました。それでも、この写真は181系写真の中でも快心のショットとなりました。


平成57年8月10日 上越線 湯檜曽~水上間
これが181系を遠征して撮った最後の写真です。181系の廃止を目前にM’Mユニットを1組落とした10両編成になってしまいました。中には12両編成のまま頑張った仲間もいたようですが、この年の11月14日をもって181系は永遠へ飛び立ちました。


181系については、私の年齢であっても、その写真を残すには難しい時代に走っていたと言えるかもしれません。もう少し早く生まれていれば、「あさま」「そよかぜ」「あずさ」「新雪」など、様々な顔ぶれを残すことが出来たと思います。でも、それが叶わなかったからこそ、「Nゲージの世界でいつまでも走らせたい」という思いに繋がったのでしょう。
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トレーラーコレクション ゲットならず

2007-02-27 20:57:41 | ノンジャンル
こんばんわ。

今日、新宿のさ○らやに「ひょっとしてトレコレ入荷したかな?」と思っていたのですが、残念ながら入荷はしていませんでした。
と言うことは、明日は入荷するはずですが、明日28日は「棚卸しのため18:00までの営業」だそうです。それじゃ買いに行けないジャン・・・。

ということで、地域限定のネタですみませんが、新宿さ○らやホビー館にお出かけ予定の方はご注意を!

では、一旦失礼します。
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ローカルな風景 第3回 (飯田線)

2007-02-27 07:35:36 | ローカルな風景
おはようございます。

昨夜は更新をしないまま疲れて寝てしまいました。出勤前に取り急ぎアップします。
ローカルな風景の飯田線をお届けいたします。

既にご紹介のとおり、一時期旧型国電の虜となり、大糸線・身延線と並んで、最後まで戦前型の残る飯田線へは、相当数通っておりました。今日は、その中でも私の代表作、特に気に入っている写真をご紹介いたします。


昭和58年4月16日 豊橋駅にて 名鉄荷電と並ぶクモニ83100
この頃は駅撮りを非常に嫌っていた頃ですが、さすがにこの並びは貴重と思い、シャッターを切りました。私鉄と線路を共有する例も全国的に稀であり、車輌の希少性と相まって貴重な記録となりました。



昭和58年2月9日 大沢信号所にて クハ86運転手にタブレットを渡した後
このとき、同信号所を訪れたのは2回目。1回目に訪れたときに写真の運転主任さんと知り合いになり、CTC化前に信号所の写真を撮って欲しいと頼まれ、その写真の完成品を渡しに行ったときのものです。お礼にタブレットキャリア(勿論廃棄品ですが)を戴き、今も私の宝物となっています。この後3回目も訪れましたが、CTC化後で無人化されていました。もう20年以上前ですから、この主任さんも既に退職されていることでしょう。



昭和58年2月23日 伊那本郷~飯島間にて クモハ53008他
中央アルプスを望む写真で、私が一番気に入っている写真です。編成もクモハ53008+クハ47に加えクモニ83100が2連と、私の好きな車輌ばかりが連なっています。真っ青な空と良好な光線状態。どれをとっても私のお気に入りです。


飯田線に関しては、他にも多数の写真があります。ただ、短期間にあまりにも多く足を運んでいるため、データの整理がややこしい状態ですので、このあたりの整理がつきましたらおってご紹介したいと思います。
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485系1500番台

2007-02-26 12:02:17 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
今日のお題は「485系1500番台」をお届けいたします。

皆さんご存知のことと思いますが、1500番台は、函館本線の小樽~札幌~旭川の交流電化区間に誕生する電車特急用「耐寒耐雪仕様」として製作された車輌です。
当時の485系は、クハ481 0番台(ボンネット型)、100番台(ボンネット型MG床下搭載車)、200番台(貫通型)、300番台(非貫通型)があり、これに続く番台形式として誕生しました。このあと奥羽線「つばさ」電化用として1000番台(非貫通、耐寒耐雪仕様)が登場しますが、番台区分的には順序が違いました。おそらく、昔から北海道向け車輌を500番台としていた経緯によるものと想像がつきます。

本当は昭和49年に北海道初の電車特急が誕生する予定でしたが、車輌の技術的な問題(PCB機器搭載)や労使問題などが影響したらしく、昭和50年7月までずれ込むことになりました。昭和49年に完成した1500番台車は、このずれた1年間は青森区に配置され、大阪~青森間の特急「白鳥」として走っていたことが知られています。


昭和49年8月 大阪駅にて 出発に向け回送で入線する1500番台「白鳥」
これは初めて大阪に行った際、偶然捉えた1500番台「白鳥」の姿。写真を撮った当時は1500番台の存在は知りませんでした。遠くて判り難いですが、アタマ2灯のヘッドライトが1500番台を主張しています。「白鳥」のヘッドマークが用意されていなかったので、シールを貼って対応したという逸話が残っています。


その後、やっと運転のメドがついた北海道初の電車特急は「いしかり」と名前を付けられ、正式に渡道、運転されることになりました。が、所詮本州型を基本として設計された同車は、北海道の厳しい環境に対抗できずにダウンを繰り返し、711系の使用実績・経験を生かした781系という後輩に道を譲ることになりました。


昭和55年3月 札幌駅にて 485系1500番台「いしかり」
暗すぎて分かりにくいのですが、ストロボ禁止の精神を叩き込んだ頃でしたのでご勘弁ください。大阪に続き、奇しくも初めての北海道で最後の年にキャッチした485系1500番台。この翌年に781系となり、「いしかり」という名称までなくなってしまうとは、思いもよりませんでした。キハ82系ばかり追わないで、もっと撮っておけばよかったと後悔しました。


781系に道を譲った1500番台は、再び本州へ戻ることとなりましたが、新製当時と違っていたのはテールランプが大きく外に突き出た感じに改造されたことです。アタマ2灯に加え2つの特徴を持つ顔となりました。これは、他の番台では一切見られない大きな特徴でありました。


昭和56年頃 蕨~南浦和間にて 盛岡を目指す1500番台「やまびこ」


昭和56年頃 上野にて 583系「はつかり」と顔を揃えた1500番台「ひばり」
青森運転所の配置となった1500番台は、「やまびこ」の他にも「はつかり」「ひばり」に使用されるようになりました。



平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟~犀川間にて 上沼垂色1500番台「白鳥」

本1500番台についても、新幹線の開業や輸送体系の見直し等に伴い、他の車輌と同じく流転の人生を歩むことになりますが、同車は東北(JR東日本)管内を離れることはありませんでした。その関係で、少数派でありながらも、「いなほ」「つばさ」「たざわ」などバラエティーに富んだ特急列車として使用され、そして再び「白鳥」使用されることになったことは特筆すべきことでしょう。
同車が他の用途・型式(番台)に改造されつつも、現在活躍中であることをうれしく思います。

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東武の古いバス(平成2年渋川にて)

2007-02-25 17:43:22 | バスの写真館
今日で2月の休日もとうとう終わり。1月は毎週撮影に出掛け、何年か振りに充実したスタートを切ったのですが、このブログの書き込みとも相まって、出掛ける時間がなくなってしまいました。それでも、自分なりに充実した日々を送っていると実感しております。

今日は既にスキャニングしてあった写真から、東武バスをお届けいたします。と言っても2枚だけですが・・・。

下の写真は、平成2年5月6日、SL奥利根(D51498+旧客)の返しを渋川で撮ろうと撮影地に向かう途中、偶然東武バスの車庫の前を通り掛かった際に撮影したものです。
当時、バスに興味を持っていたわけではありません。私が大宮操車場に勤めていた頃、東武バスを大宮駅前で良く見掛けていたので、それなりになじみがありました。その後、大宮に住む友人との付き合いもあったので、東武バスがオレンジ色に切り替わっていった様子も見ていたので、青白ツートンはもう存在しないと思っていました。
そんなことも忘れていた頃、この場所を通りすがった際に同車を発見、懐かしさのあまり思わずシャッターを切った次第です。



平成2年5月6日 東武バス渋川営業所にて
残念ながら型式は良く分かりません。いすゞのBU4かと思ったのですが、運転席窓の形状や最後部三角窓の有無、ヘッドライトの形状などから違うようです。
拡大してみると前後折戸使用になっています。



平成2年5月6日 東武バス渋川営業所にて
観光バスの路線改造型。おそらく伊香保方面に使われている車輌だと思います。扉の増設改造はしておりませんが、無理矢理前面方向幕を増設しています。こちらも型式は良く分かりませんが、昭和40年代後半の頃から流行り始めたスピード感のある平行四辺形窓が気に入っています。このバスは前面の灯火類が外されていて、修理中というよりは部品取り用のように見え、それで塗装変更されなかったのかもしれません。


いずれも型式名等分かりませんので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント欄にてお知らせいただければ幸いです。

私の住んでいる地域の国際興業バスや、駅に勤務していたときは東武バスや都営バスを見ていましたし、母親の実家に行くときは福島交通もよく利用していました。昭和40年代から写真を撮っていれば、相当歴史的資料となる写真が残っていたと思います。バスに興味を持った今では、それが全く残っていないのが大変残念でなりません。
「せめて今からでも」と思いつつ、目に付いたバスの写真を撮るようにしています。
コメント (10)
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