こんばんわ。
今日は、181系「とき」の写真をお届けいたします。
私が写真を始めた頃、181系特急は「とき」「あさま」「そよかぜ」が走っていました。他の地域では、「しおじ」や「あずさ」、不定期では「新雪」などもあったようですが、私が見たことがあるのは「とき」「あさま」「そよかぜ」だけです。しかし、「あさま」「そよかぜ」が181系で走っていた頃は、とにかく写真代が高かったため、写すことができない時代でした。ちなみに、写真1枚の現像が100円で、駅立喰いのかけそば1杯が80円から100円位だったようです。
中学生になる頃には1枚39円という値段(機械焼き)になり、やっと満足に写真が撮れるようになったわけです。しかし、その頃181系は「とき」だけになってしまいました。
ということで、ご紹介できる181系は残念ながら「とき」だけになってしまいますが、幸いイラストマークとサインマーク、そこそこのバリエーションがありますのでご勘弁を。
昭和51年 上野駅にて ロングスカート車
181系の中でもこの車が一番好きでした。この頃には既に少数で、狙っていてもなかなか逢うことができませんでした。
昭和52年 上野駅にて クハ180
この頃は、この連結器をむき出しにした姿があまり好きではなく、写真にもあまり撮りませんでした。しかし、碓氷峠の廃止の話が出始めた頃から、この連結器の歴史にやっと興味を持つようになり、Nゲージの世界にどうにかして取り入れたいなんて・・・わがままな話ですね。
昭和52年 上野駅にて クハ181100番台
一番ノーマルで最終期まで残ったタイプです。151系改造車よりも台車の見映えからこの100番台の方が好きでした。Nゲージでもマイクロエース社から発売されたときは大変うれしかったです。できれば、KATOさんからもお願いしたいところです。
昭和56年頃 蕨~西川口間にて クハ181100番台
貫通型や非貫通型からかなり遅れましたが、やっとイラスト入りになりました。しかし、このマークが非常に気に入らなくて、何故か流し撮りのテストに良く使っていました。やはりボンネット車には文字マーク、しかも「朱鷺」が良く似合っていたと思います。
昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて
上越新幹線の開業を控え、正式に181系「とき」の廃止が発表になりました。もうイラストマークがどうのこうの言っていられなくなり、東北特急と抱き合わせで写真を撮りに行きました。このときには既に181系は3往復のみとなり、効率が悪くなっていました。それでも、この写真は181系写真の中でも快心のショットとなりました。
平成57年8月10日 上越線 湯檜曽~水上間
これが181系を遠征して撮った最後の写真です。181系の廃止を目前にM’Mユニットを1組落とした10両編成になってしまいました。中には12両編成のまま頑張った仲間もいたようですが、この年の11月14日をもって181系は永遠へ飛び立ちました。
181系については、私の年齢であっても、その写真を残すには難しい時代に走っていたと言えるかもしれません。もう少し早く生まれていれば、「あさま」「そよかぜ」「あずさ」「新雪」など、様々な顔ぶれを残すことが出来たと思います。でも、それが叶わなかったからこそ、「Nゲージの世界でいつまでも走らせたい」という思いに繋がったのでしょう。
今日は、181系「とき」の写真をお届けいたします。
私が写真を始めた頃、181系特急は「とき」「あさま」「そよかぜ」が走っていました。他の地域では、「しおじ」や「あずさ」、不定期では「新雪」などもあったようですが、私が見たことがあるのは「とき」「あさま」「そよかぜ」だけです。しかし、「あさま」「そよかぜ」が181系で走っていた頃は、とにかく写真代が高かったため、写すことができない時代でした。ちなみに、写真1枚の現像が100円で、駅立喰いのかけそば1杯が80円から100円位だったようです。
中学生になる頃には1枚39円という値段(機械焼き)になり、やっと満足に写真が撮れるようになったわけです。しかし、その頃181系は「とき」だけになってしまいました。
ということで、ご紹介できる181系は残念ながら「とき」だけになってしまいますが、幸いイラストマークとサインマーク、そこそこのバリエーションがありますのでご勘弁を。
昭和51年 上野駅にて ロングスカート車
181系の中でもこの車が一番好きでした。この頃には既に少数で、狙っていてもなかなか逢うことができませんでした。
昭和52年 上野駅にて クハ180
この頃は、この連結器をむき出しにした姿があまり好きではなく、写真にもあまり撮りませんでした。しかし、碓氷峠の廃止の話が出始めた頃から、この連結器の歴史にやっと興味を持つようになり、Nゲージの世界にどうにかして取り入れたいなんて・・・わがままな話ですね。
昭和52年 上野駅にて クハ181100番台
一番ノーマルで最終期まで残ったタイプです。151系改造車よりも台車の見映えからこの100番台の方が好きでした。Nゲージでもマイクロエース社から発売されたときは大変うれしかったです。できれば、KATOさんからもお願いしたいところです。
昭和56年頃 蕨~西川口間にて クハ181100番台
貫通型や非貫通型からかなり遅れましたが、やっとイラスト入りになりました。しかし、このマークが非常に気に入らなくて、何故か流し撮りのテストに良く使っていました。やはりボンネット車には文字マーク、しかも「朱鷺」が良く似合っていたと思います。
昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて
上越新幹線の開業を控え、正式に181系「とき」の廃止が発表になりました。もうイラストマークがどうのこうの言っていられなくなり、東北特急と抱き合わせで写真を撮りに行きました。このときには既に181系は3往復のみとなり、効率が悪くなっていました。それでも、この写真は181系写真の中でも快心のショットとなりました。
平成57年8月10日 上越線 湯檜曽~水上間
これが181系を遠征して撮った最後の写真です。181系の廃止を目前にM’Mユニットを1組落とした10両編成になってしまいました。中には12両編成のまま頑張った仲間もいたようですが、この年の11月14日をもって181系は永遠へ飛び立ちました。
181系については、私の年齢であっても、その写真を残すには難しい時代に走っていたと言えるかもしれません。もう少し早く生まれていれば、「あさま」「そよかぜ」「あずさ」「新雪」など、様々な顔ぶれを残すことが出来たと思います。でも、それが叶わなかったからこそ、「Nゲージの世界でいつまでも走らせたい」という思いに繋がったのでしょう。