マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

京浜東北線で線路火災

2007-08-31 21:32:57 | ノンジャンル
だそうです。

私は赤羽~蕨まで利用しているのですが、私の乗った後の電車が引っ掛かったらしく、各駅で4分・5分と停められてしまいました。

消防が出たらしいですから、結構燃えたのでしょうか?
昔の木製枕木はブレーキの火花や客のタバコの投げ捨てで火災が起きたことがありますが、今時のPC枕木が燃えるはずありませんから、ひょっとするとケーブルでしょうかね。

あっ、ちなみに火災があったのは上野~鶯谷間らしいです。
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183系0番台:貫通扉ご開帳

2007-08-31 07:20:00 | 特急型電車(直流)
昨夜は更新の時間を待たずに寝てしまいましたので、この時間のアップになります。

今日は、幕張電車区所属の183系0番台の貫通扉を開いているところの写真をご紹介したいと思います。

特急電車の貫通扉の起源は、581系寝台特急電車に遡ります。その後485系クハ481200番台、そして、183系へと波及していきます。
そもそもこの貫通型、何のために設置された装置なのか、勉強不足のため良く分かりませんが、183系に導入された理由は、東京~錦糸町間に総武快速線の地下線区間が開業したため、災害時における避難用出口として、当時の法令基準において必要だから設置されたことに他なりません。ですから、581系(583系)やクハ481200番台とは、明らかに目的が違うと言えます。


昭和52年頃 品川駅にて 貫通扉を開けた183系

写真は、幕張電車区からおそらく大船工場へ検査に向かうための回送列車と思われます。品川駅で見るのが珍しかったために何となく写真を撮っていたら、運転士が何を思ったか、突然貫通扉の開け閉めを行い始めたのです。当然そのようなことをする必要性がなく、運転台へ出入りしながら、明らかに私たちを意識して行っているようでした。サービス精神としてやってくれたのかもしれません。

当時、併結運転を行っていた特急電車は、「かもめ」「みどり」以外にはなく、東北方面から貫通型を取り寄せて設定されたのですが、肝心の貫通扉は使われなかったようです。
私の記憶では、紀勢本線の「くろしお」増発時において、381系が足りないために485系を使用した際、改造により誕生したクハ481800番台(簡易貫通扉設置車)と200番において、初めて貫通扉が使われるようなったと思います。

その後においては、「シュプール」の485・583系の併結や、房総地区における183系の基本+増結、「雷鳥」「しらさぎ」による基本+増結など、結構メジャーに見ることが出来るようになっています。

途中駅での併解結のある列車では見ることは出来ますが、房総地区での併解結は電車区内で行われますので、なかなか見ることのできないシーンではなかったでしょうか。

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娘の夏休み:群馬サファリパーク

2007-08-30 21:37:05 | 鉄道以外の写真ネタ
もう直ぐ学校の夏休みも終わり。今日は私も夏休みを取り、娘を群馬サファリパークに連れて行くことにしました。
天気予報は、群馬では1日中雨。気が重たかったのですが、今度の土日も天気は悪そうですし、取り敢えず行ってみようかということで。
そして、昨日まで気が付かなかったのですが、HPを見たら埼玉県民だけ入場料が半額になるという。「群馬」サファリパークなのに何で埼玉県民だけ?もちろん、「ラッキー!」ということであやかりました。

私自身がサファリパークが初めてだったのでワクワクしましたが、ま、放し飼いの動物園ですね。エサ代や設備の維持費が大変そうです。


サイ。目がほとんど見えなくて、音で状況を判断しているそうです。とにかくデカイ。


キリンです。身長5m、現在の地球上で一番背の高い動物。バスに近寄ってきたのですが、顔が屋根より上で見えませんでした。


ライオンのヒルネ。このところの暑さでマイっていた動物たちが、今日はゆったり・マッタリしていると言う。われわれも涼しくて過ごしやすかったが、動物も同じだそうです。


有名なホワイトタイガー。昼寝をしていると思いきや、家に帰ってきて画像処理をしていたら、しっかりこちらを睨んでいました。


ホワイトタイガーのアップ。精悍な顔つきです。トラは地球上最大のネコ科の動物で、野生の個体はほぼ絶滅しているらしいです。


ホワイトタイガーにエサやりをするわが娘。しかし、大きな猫ですな。1回500円也。

別の場所では、オランウータンやライオンの子供を抱いて撮影をすることができます。我が家もライオンの赤ちゃんを抱いてみたくて、800円也を支払って触ってきました。ホンっトにカワイイです。でも、生後2ヶ月で14kg。遊べるのもこれくらいが限界でしょうか。

まあ、とにかく曇ってはいたものの、遊んでいる最中には雨が降らなかったのでよかったです。入場料も半額になったので、結構浮きましたし。

次は、サファリパークでのバス篇をお届けしようと思っています。合間を見てアップしたいと思いますので、バスファンの方お楽しみに。

オマケ画像


パークの遊園地にあった乗り物。母体は小田急NSEのようですが、塗装がマッチしません。相当古そうです。
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101系:中央線「ホリデー快速」3態

2007-08-30 09:23:25 | その他電車
こんばんわ。

久しぶりに国電シリーズにしたいと思います。
今日は、101系で運転されていた「ホリデー快速」をお届けいたします。

中央快速線の「ホリデー快速」自体は現在でも週末ごとに運転されていますので、説明の必要な無いと思います。最近は233系がかなり幅を利かせており、201系の「ホリデー快速」も既に201系の運用がなくなったというような情報も聞かれます。最新の情報では、一応まだ運用に入る可能性はあるようですが。

中央快速線は早くから新性能化され、101系が優先的に導入されました。冷房化を睨んで103系を導入するものの、その経過の中で「省エネ電車」として201系が試験運用に入り、103系化を待たずして201系を量産、101系を置き換える計画に変わりました。そのような流れもあって、101系よりも先に103系の運用が解消され、以外にも遅くまで101系が活躍していました。

そして「ホリデー快速」ですが、私の知る限りでは101系が優先して充てられ、103系の「ホリデー快速」は運転されなかったようです。さらに、臨時運用のためか、冷房改造車はあまり運用に入ることなく、201系化まで非冷房車が使用されていたようです。


撮影は、すべて昭和56年(月日不明)です。

三鷹駅にて 「ホリデー快速あきがわ」


三鷹駅にて 「ホリデー快速おくたま」


高円寺駅にて ホリデー快速「みたけ」


この頃、もう既に201系が運用に入ってきた頃ですが、写真でお判りのとおりすべて101系非冷房車の編成です。これは、本線運用(特に特別快速」に優先して冷房車を運用する措置が採られているため、新車の201系を定期運用に優先使用しているからということを聞きました。101系の冷改車、103系の冷房車投入時も同様の措置を行っていたとあります。

私自身が通勤車に興味を示していなかった頃なので、「ホリデー快速」の写真はこの日に撮影したものが唯一となります。今から考えれば、青梅線内で、カラーで、800番台を含めて撮っておけば良かったと思うのですが、今となってはどうにもなりませんね。

今度、秩父鉄道で旧国鉄101系を国電色に塗り替えて走らせるらしいですね。オリジナルには程遠いシチュエーションですが、最後の現役101系としては記録する価値のある被写体だと思います。


中央快速線101系(他の101系リンク) → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/320.html
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485系非貫通型「いなほ」

2007-08-29 01:20:52 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
昨夜は、残業で遅くなった挙句、帰りに豪雨に逢ってしまいました。肩から下はビショビショ。パチンコ屋で服を乾かしてきました。

このところしばらく東京口ブルトレが続きましたので、一服を兼ねて電車特急をご紹介したいと思います。
今日は、上野~秋田・青森間を結んでいた電車特急「いなほ」の非貫通型に絞ってアップいたします。

特急「いなほ」は、昭和44年に上野から羽越本線経由で秋田を結ぶ初めての特急として、キハ80系(先頭車はボンネット型「キハ81」)を使用して誕生しました。当初は上野~秋田間の1往復のみの設定で、中間車にキロ80改造のキハ82900番台を連結していたことでも有名です。

昭和47年、羽越本線の全線電化開業により「いなほ」は485系化され、さらに上野~青森間に1往復が増発、2往復体制として上越新幹線の開業まで続くことになります。

昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業に際し、「いなほ」は新潟~秋田・青森方面を結ぶアクセス特急に転進し、暫定開業対策として1往復を残した同列車は「鳥海」に名を改めています。
※特急「鳥海」 → http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070621/archive

上越新幹線開業前は、当初は2往復とも青森運転所の所属車でしたが、後に秋田発着の1往復が秋田運転所へ所管替えされています。


昭和52年頃 上野駅にて 18番線に停車中のクハ485300番台「いなほ」

この写真を撮った頃は、まだ485系1000番台が量産中の頃で、「いなほ」にまでは手が回っていなかったと思われます。
写真の17番・18番線の間には荷扱い用のホームが残っています。(東北新幹線工事の着工を前にして撤去されています。)文字マークと合わせて、古き良き時代を髣髴させるシーンですね。



昭和55年 東北本線 川口駅にて 秋田へ向かう「いなほ」

この写真の車両は、おそらく485系1000番台と思われます。既にイラストマーク化されているのですが、どうもコントラストの低いヘッドマークで、モノクロでもカラーでもなかなかきれいに写ってくれないクセのあるカラーリングでした。



昭和56年5月 東北本線 蕨~南浦和間にて 非貫通型先頭の「いなほ」

この写真、正直言って300番台なのか1000番台なのか不明です。この写真は曇りの日の撮影ですが、コレくらいの光線条件でやっとヘッドマークが映えます。食堂車が連結されているのも判りますね。ヨコを併走する103系も過去の思い出となってしまいました。



昭和61年9月9日 奥羽本線(場所不明) 485系1500番を使用した「いなほ」

上越新幹線開業後のアクセス特急と化した「いなほ」です。編成も半分の長さ、食堂車ももちろんなく、羽越本線の王者の貫禄はありません。
青森運転所に集中配置されていた1500番台ですが、新幹線の開業に伴う輸送体系の整備により、短編成化及びこれに伴う配転が実施され、上沼垂にも配置されるようになったため、頻繁にこの「いなほ」にも使用されるようになりました。


「いなほ」は、ローカル仕様の特急となったはものの、485系による特急列車として任務を立派に果たしています。しかし、485系の耐用年数もそろそろ限界と思われ、そう遠くない将来に何かしらの動きがあるかもしれません。
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