こんばんわ。
昨夜は、残業で遅くなった挙句、帰りに豪雨に逢ってしまいました。肩から下はビショビショ。パチンコ屋で服を乾かしてきました。
このところしばらく東京口ブルトレが続きましたので、一服を兼ねて電車特急をご紹介したいと思います。
今日は、上野~秋田・青森間を結んでいた電車特急「いなほ」の非貫通型に絞ってアップいたします。
特急「いなほ」は、昭和44年に上野から羽越本線経由で秋田を結ぶ初めての特急として、キハ80系(先頭車はボンネット型「キハ81」)を使用して誕生しました。当初は上野~秋田間の1往復のみの設定で、中間車にキロ80改造のキハ82900番台を連結していたことでも有名です。
昭和47年、羽越本線の全線電化開業により「いなほ」は485系化され、さらに上野~青森間に1往復が増発、2往復体制として上越新幹線の開業まで続くことになります。
昭和57年11月、上越新幹線大宮暫定開業に際し、「いなほ」は新潟~秋田・青森方面を結ぶアクセス特急に転進し、暫定開業対策として1往復を残した同列車は「鳥海」に名を改めています。
※特急「鳥海」 →
http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070621/archive
上越新幹線開業前は、当初は2往復とも青森運転所の所属車でしたが、後に秋田発着の1往復が秋田運転所へ所管替えされています。
昭和52年頃 上野駅にて 18番線に停車中のクハ485300番台「いなほ」
この写真を撮った頃は、まだ485系1000番台が量産中の頃で、「いなほ」にまでは手が回っていなかったと思われます。
写真の17番・18番線の間には荷扱い用のホームが残っています。(東北新幹線工事の着工を前にして撤去されています。)文字マークと合わせて、古き良き時代を髣髴させるシーンですね。
昭和55年 東北本線 川口駅にて 秋田へ向かう「いなほ」
この写真の車両は、おそらく485系1000番台と思われます。既にイラストマーク化されているのですが、どうもコントラストの低いヘッドマークで、モノクロでもカラーでもなかなかきれいに写ってくれないクセのあるカラーリングでした。
昭和56年5月 東北本線 蕨~南浦和間にて 非貫通型先頭の「いなほ」
この写真、正直言って300番台なのか1000番台なのか不明です。この写真は曇りの日の撮影ですが、コレくらいの光線条件でやっとヘッドマークが映えます。食堂車が連結されているのも判りますね。ヨコを併走する103系も過去の思い出となってしまいました。
昭和61年9月9日 奥羽本線(場所不明) 485系1500番を使用した「いなほ」
上越新幹線開業後のアクセス特急と化した「いなほ」です。編成も半分の長さ、食堂車ももちろんなく、羽越本線の王者の貫禄はありません。
青森運転所に集中配置されていた1500番台ですが、新幹線の開業に伴う輸送体系の整備により、短編成化及びこれに伴う配転が実施され、上沼垂にも配置されるようになったため、頻繁にこの「いなほ」にも使用されるようになりました。
「いなほ」は、ローカル仕様の特急となったはものの、485系による特急列車として任務を立派に果たしています。しかし、485系の耐用年数もそろそろ限界と思われ、そう遠くない将来に何かしらの動きがあるかもしれません。