マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

川口でサクラ狙えど・・・

2018-03-28 23:36:00 | 写真撮影
こんばんわ。

今年は急に暖かくなって、あっと言う間にサクラが満開になってしまいました。
しかも珍しくずーっと天気が崩れないので、風邪をひかずに夜桜見物ができるという、今まで生きてきた中でも珍しく恵まれた年に思います。
しかし、これが休日に上手く当たるかどうかというと、それもなかなか難しいもので。

先日の日曜日は桜まつりの準備があったので特に撮影には行かなかったのですが、このままの陽気だと次の土日まで持つかどうか・・・というのもありまして、取り敢えず会社帰りにサクラを見てみました。

※平成30年3月27日です。








18時過ぎくらいなのでかなり暗くなってます。しかも中途半端に空が明るいので、サクラのライトアップが目立ちません。どんどん暗くなってやっとライトアップが判るようになりましたが、逆に線路側はもう真っ暗で、列車を捉えることはやっぱり駄目なようです。
明るく見えますが、実際にはピントが掴まらないほど暗いです。

最後に貨物列車を構えていたのですが、バッチリで2プラトンを喰らいました・・・


やはり明るい昼間で、抜けるような青空が良いですね。

今度の日曜日、4月1日は良いヤツが走るんですよね。朝早いから列車も少ないので、カブる確率も少ないし。
サクラが持ってくれたらここで撮ってみたいですね。


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「特急かいじ号30周年記念ツアー」は行かなくて正解だったのか???

2018-03-25 23:36:00 | 写真無しの情報など
こんばんわ。

ネタがないのでこんな題名でちょっと。

189系豊田車の通常営業運用が無くなり、3月25日(日)は団体企画「特急かいじ号30周年記念ツアー」の列車が運転されました。
豊田で最後まで残ったM51編成とM52編成を上下列車で使い分ける企画であり、M52編成を全然撮ったことが無い私としては、ラストチャンスの良い機会だと思っていました。

しかし・・・

地元「桜まつり」の会場セッティングの手伝いがあり、これに参加することになってしまい、最後のチャンスも潰すことになってしまったのです。しかも、運転が分かっていたのに、すっかり忘れてOKの返事をしてしまった。
手伝いの参加者を集めるのは結構大変な手間(誰もやりたい筈が無い)ので、一度返事をしてしまった以上、取り返しがつかず、諦めるしかなく・・・


朝早くから起きて支度をしていたら、中央線快速の運転が見合わせになっているとのこと。こんな日に迷惑なヤツ。居るんですよね。台風とか大雪とか、身構えているときにまったく関係ない事情で電車を遅らせるヤツ。こまわり君呼んできて!


で、
撮影に向かう人たちも大変だろうな。と思った次第。

夜になって複数の方のブログ等で情報を見ていましたら、ヘッドマーク出してねぇ~の!
団体列車だから「団体」で間違っちゃいねぇが、何も「かいじ30周年」で「かいじ」を表示しねぇでどうする?

最後を期待していた人、ガッカリしたろうなぁ。


結果論ですが、
自分が早朝から出掛けて人身事故で足止め、運転再開を待ってなんとか間に合ったもののダイヤは乱れ、どこもかしこも人出で一杯。さらには「団体」幕で来られた日にゃ、多分、相当アタマに来てグッタリして帰ってきたことだろう。


桜まつりの準備も結構疲れましたが、ほぼ満開に近い桜並木で良い天気の中お花見も済ませてきてしまったような感じでしたし、そんな1日で仕方なかったのかな・・・と。

ただ、今週末の桜まつりでは、サクラは全部落ちちゃいそうな予感がします。せっかく良い天気に恵まれそうな2018年のサクラでしたが、週の真ん中辺りがピークですかね。


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国際興業バス:キュービック全廃

2018-03-21 22:26:00 | バスの写真館
こんばんわ。

鉄道ネタではないのですが、国際興業バスで復刻塗装を施して最後まで残っていた飯能営業所のいすゞキュービックが、平成30年3月25日の営業運転を最後に引退するというニュースが入りました。

国際興業バス キュービック 運行終了



平成19年3月14日 蕨駅西口にて 国際興業バス いすゞキュービック 7650

我が地元から消えて久しいいすゞキュービックですが、規制の緩い最後の牙城で残っていた最後の1台が引退するそうです。
バスに興味をもって、最初に形式を区別できたのがこのいすゞキュービックで、それはこの特徴のあるフロントからであることに他なりません。

まだ地方では活躍している車両だとおもいますが、子供の頃から親しみのあった塗装のこの形式が居なくなるのはやはり寂しいものです。
この復刻塗装が案内されたころはいずれ撮影に行ってみようと思ったのですが、バスに対する情熱も薄らいでしまい、この時を迎えることになってしまいました。


コメント (2)
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キハ183系スラントノーズ引退(悲)

2018-03-18 20:00:00 | 特急型気動車
こんばんわ。

ダイヤ改正を迎えた最初の土日。
全国的には色々と話題もあり、地域的にも沸いているところもあるようですが、我が地元は特になんら変わるもの・特徴も見ることができず、出掛ける気にもなれないような休みでした。
ここのところちょっと出掛けて改正前の様子を押さえてきたものの、これらの整理が終わってしまったら燃え尽き症候群のような状態になってしまいました。

ところで、
遠く離れた地方でもそれぞれ厳しい状況を示すような話題もあったようで、鉄道事業の縮小・列車の減便など、心が痛むような話も聞かれます。都心では無縁なことですが、国鉄を分割民営化の際には一番危惧していたことでもあり、「当然である」「今までよく耐えた」という想いが真っ先に出てきます。
そんなことを感じながら地方の出来事を見ていると、JR北海道でとうとうキハ183系初期車が全廃になってしまうということでした。国鉄型が殆ど消滅してしまったJR東海以東・以北で、このキハ183系も今まで良くもっていたなという印象です。いや、維持せざる得ない状況だったのでしょうか?そのくらい経営が厳しいのだと思います。

平成5年に北海道に行って以来、1度も渡道していないので、逆にキハ183系が最新鋭の気動車特急のまま脳内の時間が止まってしまっている私。
すべてJR初期の古い写真ですが、既にアーカイブが終わっていますので、インデックス代わりにご紹介してその活躍を偲びたいと思います。

なお、編集の関係で、キハ82系やNキハ183系が混在しているものがありますのでご了承ください。



特急「おおぞら」900番代
特急「おおぞら」0番代、500番代

道内で試作車を導入したのが「おおぞら」。
当時は函館~釧路間に3往復設定されていたうち、基本編成+予備車を使用した1編成のみを使用して、1日に片道のみ運転されていた。したがって、1本は1日おきにキハ183系・キハ82系で運転され、長い時間を掛けてデータ収集が行われた。
そして、量産の際も、「おおぞら」に優先して導入された。



特急「北海」

量産車が導入された2番手は、意外にも「北海」であった。
急行「ニセコ」が格上げされて2往復体制となり、このうちの1本はキハ183系による運転となった。
しかし、廃止されたのも一番早かった。



特急「北斗」

国鉄時代末期、キハ183系に新造車が追加導入され(いわゆるN183系)、これらがやはり「おおぞら」に優先して導入されたことから、初期のキハ183系は「北斗」にも使用されるようになった。



特急「オホーツク」

さらにN183系が製造され、老朽化したキハ82系を淘汰するため、「オホーツク」にも及んだ。



特急「とかち」

「オホーツク」へのキハ183系導入と同じ頃、特急列車の大増発が行われた石勝線では釧路行きを「おおぞら」としてN183系が充てられ、帯広行きの列車を「とかち」として区別された。こちらは初期車が中心となって運用されていたが、キサロハを連結した「スーパーとかち」化に伴い、さらに強馬力化されたNN183系が使用されるようになった。



特急「おおとり」

一番最後にキハ183系化されたのは、当時北海道の最長距離を走破していた「おおとり」。
グレードアップされたものの、昼行特急列車最後の食堂車はキハ82系とともに消え去り、さらには系統分割により列車名ごとなくなってしまった。


その後も「ニセコ」「ミッドナイト」「えりも」といった列車にも使用され、晩年も「旭山動物園号」に指定された車両なども誕生しました。

この間、全く渡道しなかったために記録は途切れ、個人的には「ニセコ」や「大雪」は撮りたかった列車でしたが、その目標は実行前に消えることになりました。
列車自体は存続しても、国鉄ナイズドのあの大きなヘッドマークが見られなくなってしまうのは残念と言わざる得ません。
デジカメ時代の今なら、おそらく貪欲にシャッターを切ったことでしょう。

さようなら、思い出のスラントノーズ・・・


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KATOはこんなの出しちゃうんですか?

2018-03-10 21:57:00 | 写真無しの情報など
こんばんわ。

首都圏では、ダイヤ改正前最後の土日となり、中央本線や大手私鉄などは激パの大賑わいになってるのでしょうか?
興味がないわけではなく、とにかくそうしたお祭りへの情熱を消すことにしています。激パの迷惑さを主張したくないというのが一番。怒りっぽい私がこの歳になって爆発してはいけないのです。退職金貰うまでは我慢です。
内心は行きたいんですけどね。

昨日の通勤帰り、電車の中でタブレット広げてネタを探していたところ、久し振りにKATOの新製品が気になって見てみました。
近いところではスハ32系ですが、電暖仕様ではないのでパス。再生産では長らくプレミア状態が続いていたEF58+青大将の再生産なども目につきます。
新製品では485系200番代やキハ58系の完全リニューアル、飯田線のクモユニ147を含む119系など目を引くものが多数ありました。
KATOの新製品に対する企業方針というか、かなり変わってきてしまったような印象があったのですが、結構おじさんのくすぐるラインアップもあって、N休止中の私にはちょっと目の毒に映りました。


しかし、一番度肝を抜かれたのは、キハ81系「いなほ」のラインナップでしたかね。

私が鉄道に興味を持ち、同級生と線路際に電車を見に行くようになって一番最初にインパクトを感じたのがこのキハ81系「いなほ」だったのです。とにかく、怖い顔の電車だという印象が強かったのです。
そんな個人的思い入れだけのことですが、そこが完全にジャストミートしてしまったのです。

それだけなら従来の「はつかり」セットでも行けたわけですが、今回のはこれにキハ82900番代が新製品でラインナップされるところですね。
ここはやってくれるとしても某ワラビ社くらいと思っていましたが、今の状態ではやってくれたとしても期待できませんし、HO並みの値段で中華製を買うなんてとても考えられません。KATOだから信頼できるわけで。

でもね~、心情的には複雑なんですよ。




もう15年以上前かな、娘がまだ生まれたか、小さかったときか、殆ど撮影で外出することもできなくなったので、鉄道模型やバスコレの改造製作ばかりしていた時代がありました。
その頃、余剰となった車両やパーツを利用して色々とやっていたわけですが、初代のキハ81をどうしても思い出深い「いなほ」編成にしたくて、一所懸命に丁寧に作ったんですよね。当然、その頃はこんな車両をメーカーが出してくれるとは思ってもいないので、満を持して作ったものなんです。だから・・・出してくれなくても良かったのに・・・なんていう思いもあります。


それと、この車両に単体としての思い入れもあります。



高校生のときですが、既にキハ82系には改造による各種900番代が存在し、その形態・特徴や、北海道にはこのキハ82900番代が残っているという知識もありました。
そんな時代、2回目の渡道において偶然にも実物に逢うことができました。その後もキハ82系特急を撮りに渡道していますが、キハ183系が量産されるようになると真っ先に廃車されてしまったようで、ほんの一瞬の出逢いが最初で最後になってしまったようです。

そんな車両が完成品として計画されたことは、悔しいけどやはり嬉しいことでもあります。
ただ、キハ82900番代は2両が存在し、細かいところに違いがありますので、最近発生しがちな検証ミスをしないようにしっかり造り込んでもらいたいものです。クモハ53007の二の舞は御免です。


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