マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

国鉄 ED71型機関車:総集編 後補機仕業篇

2008-10-31 01:11:07 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
こんばんわ。
この時間の更新も寒くてつらくなってきました。そろそろ上着を用意しなきゃ。

今日は久々のED71で、後補機篇(簡単に言うと単なる単機)です。「つまらん!」とか言わずに、まぁ見てやってください。

ちなみに過去ログのご紹介です。

ED71型機関車:総集編 黒磯で単機ゴロゴロ篇 → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/814.html

国鉄 ED71型機関車:総集編 何故か14号機 → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/882.html

東北本線の南福島~金谷川間は、上り線のみですが連続急勾配となっており、重量級の本線貨物列車の速度維持のために、貨物列車の福島~金谷川間で後補機を連結していました。



昭和55年8月14日 東北本線 福島駅にて ED7145

補機仕業のため連結のタイミングを待つ45号機・・・この写真じゃ、ただ単なる単機ですなこりゃ。



昭和55年8月14日 東北本線 金谷川~南福島間にて ED7146単機回送

金谷川で開放された後補機は、単機でゴロゴロと坂を下りてきては、また福島駅から別の貨物列車に繋がって押し上げていきます。
せっかく300mmを付けて構えていたのに、やってきたのは単機回送でした。





昭和57年6月22日 東北本線 福島駅にて ED7130

今まさに貨物列車の後補機に連結するため、入換信号によって誘導されてきた30号機。
単なる単機でも操車係が添乗していることで、味わいのある写真になりました。
ちなみに、上の写真と下の写真は別々の列車への連結シーンです。1台のカマが何度も行ったり来たりしているので、何回か同じようなシーンを撮ることができました。



昭和57年6月22日 東北本線 福島駅にて ED7130

こちらは後補機として連結が完了し、出発を待つシーン。このような時間に特急列車の退避を行ったりします。

本当は駅間で先頭と後補機が見えるようなシーンが撮れれば良かったのでしょうが、勾配区間は山肌を走っており、足場が無かったですね。しかも本線級の貨物列車は編成が長いので、本務機と後補機を1枚の写真に入れ込むのまず不可能だったのではないかと思います。

ところで、今この区間の補機仕業って残っているのですかね?話題にもならないところを見ると、補機仕業は廃止になってしまったのでしょうか?

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身延線 クハ47 0番代 50番代

2008-10-30 00:42:47 | 旧型国電
こんばんわ。
昨日はポチを沢山いただきありがとうございました。
いやぁ~段々寒くなってきましたね。この頃ブログを打っているとつま先が冷たくてキツくなってきました。2年くらい前から冷え性になってしまったんですよね。

さて、今日は身延線の旧型国電の中からクハ47をピックアップしてみます。

クハ47形は、戦前を代表する近郊型電車で、2扉クロスシートを設備した車両です。2扉間に小窓がズラリと並ぶ壮観さが私好みです。
模型とかやってらっしゃる方はご存知かもしれませんが、クハ47は奥深い車両なんです。
クハ47自体は20m車両なんですが、相棒となる電動車はモハ32(後のクモハ14)で17mの車両なんです。このクハ47が20m級電車の始祖なんですね。同時に製造されたサロ45、サハ48も勿論20m級です。電動車であるモハ32だけが17mであったのは、モーターを積んだ分重量が重く、車体剛性に影響があったため(つまり、車体が重さでそってしまう)と言われています。

クハ47は大きく分けると3つのグループがあり、モハ32系制御車の0番代、モハ32系サハ48に運転台取付改造を施した50番代、さらに、モハ42系20m車を相方とする貫通型の100番代のバリエーションとなっていました。
※レアなところだと、17m車の事故車両の台枠を20mに延長の上に2扉の新製車体を乗せたクハ47011というのがいました。残念ながら、私は実物を見たことはありません。



昭和56年8月21日 身延線 西富士宮駅構内にて クハ47003

こちらは基本番代の003。小窓がズラリと並ぶ壮観さ、たまらんです。正面の雨どいは改造されてカマボコ型になっていますが、直線のままの原形のものが数両居たようです。残念ながら写真には残っていなかったようです。



昭和56年7月23日 身延線 鰍沢口~落居間にて クハ47(番号不明)

こちらは番号不明ですが、基本番代車です。上の写真は正面窓が全部木製の桟のままですが、こちらの車両は3つともHゴム化されているので、相当印象が変わります。この辺りは好みの問題ですが・・・。それにしてもこのリベットの数はすごいですね。何千個付いているのでしょうか?(笑)



昭和56年8月21日 身延線 富士駅にて クハ47051

こちらは中間付随車サハ48を改造した50番代の051。全く同じような運転台を取り付けたので、一見して基本番代との区別は難しいです。正面から見ると、新設運転台にはリベットがありませんので、比較的簡単に識別できます。こんなところにも時代の技術の差が現れているんですね。

身延線にはモハ42系の100番代も居たのですが、どうも写真が見つかりません。個人的は、短足なイメージのある32系より、正面に貫通路の付いた100番代の方が好みです。

身延線のクハ47は、飯田線の同形式よりもバリエーションも車両数自体も多く、旧車研究では恰好な路線だったと思うのですが、私が初めて訪れたときには既に115系のワインレッド車も運用が始まっており、どうも撮りきれなかったようですね。
何といっても圧巻は、2扉間オールロングシートのクハ47ではないでしょうか。私はあまり好きにはなれなかったですけど(笑)。

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成田線のDD51重連たち

2008-10-29 12:43:00 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
こんばんわ。
昨日は夕方までポチが1つも入っていなかったので、『とうとうオレのブログも終わったか・・・』と思ってしまったのですが、残業中に何とか面目は保てたようでした(汗)。

さて、今日はチョイネタなんですが、久し振りのディーゼル機、DD51です。



昭和55年頃 総武本線 佐倉駅にて DD51691ほか重連単機



昭和56年9月 成田線 成田駅?にて DD51898ほか重連とDE10573

房総の貨物列車と言えば、鹿島関係と成田のジェット燃料輸送、そして、東京湾岸の石油関係が主たるところでしたが、国鉄時代は電気機関車の入線が殆どなく、全線電化後も専らDD51やDE10が牽引に当たっていました。詳しくは知りませんが、非電化時代から続く組合関係が大きく作用していたのではないかと個人的に思っています。

房総関係の写真撮影は大体が錦糸町だったのですが、高校生になって大回り乗車を何回かしたときに、東金線から総武本線を通って成田線に抜けるルートを使用したことがありました。せいぜい3回くらいだったと思いますけど。

この2枚の写真もその接続待ちの間に撮影したと思われます。800番代は現役車がいますが、さすがに600番代はその番号の大きさとは裏腹に初期車ですので、59・2貨物大合理化以降は急速に姿を消してしまいしまいました。

この時代としてはごく当たり前の光景だったわけですが、電気機関車しか見ることが出来なくなってしまった今となっては、同地域における古き良き時代のうちの1コマになってしまいましたね。

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国鉄色 EF65だらけの風景

2008-10-28 01:20:57 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。
何となく体調不良。また風邪引いたかな?みたいな予感。こんな日に残業+ネタが決まらなくてこんな時間。しかも今日は健康診断・・・最悪な結果が出なければよいが・・・。

ストックは沢山あるのに、何かネタが詰まっているような気がする中、やっと決めたのがEF65です。
EF65もかなり淘汰されてきたとは言え、かなりの大所帯だったのでまだまだ元気に活躍している車両も多いですね。ただ、貨物色や、オリジナルであってもナンバープレートに色が入ってしまっているなど、完全な原色はわずかみたいですね。

そこで引っ張り出してきたのがこんな写真です。


昭和57年7月頃 大宮機関区にて

大宮操車場に行く職員輸送用の列車の中から撮った写真。今は無き大宮機関区の留置線です。
1000番代の初期車、1000番代の後期車、PS22B搭載の通称1100番代、ちょっと隠れて500番代など、国鉄時代ですのでみんな国鉄職ですわ。1022号機の後はEF60っぽいですね。一番左の奥にもEF65。まあ、EF65だらけです。



昭和58年8月17日 大宮駅にて

こちらは貨物列車のラッシュ。5番線(中線)に停車中の貨物の脇を、東北本線の貨物と高崎線の貨物が追い越すという凄いシチュエーション。


EF651000番代は基本的に好きなのですが、貨物列車=茶色い機関車の時代に育った私としては、ここまで青くなるとは思ってなかったわけで。
1枚目の写真ではEF15がかなり撤退してEF60型が台頭していましたし、この昭和58年頃にはEF60ですら廃車が出始めてEF650番代が進出してくるようになりました。そんな中、EF65が闊歩する風景は、ある意味面白みの無い世界に映っていたと思います。

しかし、今ではこのような集合体は超貴重な絵となってしまった時代。既に25年の時が過ぎ、国鉄色どころか、形式消滅があってもおかしくないくらいの時代となってしまいました。

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国鉄381系特急電車 「しなの」「くろしお」

2008-10-27 01:24:42 | 特急型電車(直流)
こんばんわ。
昨日のアクセスが709件ですって、なんでしょうかねぇ。

全く週末は天気が悪いですね。晴れると言っておきながら、1日中雨が心配な日曜日でした。
さて、天気の悪さも手伝って、中途半端な撮影しか出来ずにアップにも困る始末。いずれ何らかの形でアップすることにして、久し振りに中京・関西系の話題です。

過去ログ http://diary.jp.aol.com/marutetsu/678.html で 381系0番代「しなの」 としてアップしたところですが、フィルムスキャンをしていて新たな画像を見つけてしまったので、追加ということでご紹介したいと思います。



昭和56年11月22日 名古屋駅?にて 381系0番代 「しなの」

多分、名古屋駅での撮影だと思いますが、この回の行程では全て飯田線の撮影になっているのです。ですから、なんで名古屋まで行ってこのような写真を収めているのか、記憶にありません。
あまり興味を持っていなかった車両なので、撮影した枚数が少ないんです。過去ログを見逃してしまった方は、是非リンクから過去ログをご覧下さい。
ついでに、189系のウソ「しなの」もあります。→ http://diary.jp.aol.com/marutetsu/441.html



昭和59年7月6日 紀勢本線 白浜~朝来間にて 381系100番代 「くろしお」

こちらは「しなの」より5年くらい遅れて誕生した100番代非貫通型を使用した「くろしお」です。誕生当初は増備が追いつかなくて485系まで導入して運転されたのですが、いつの間にか381系100番代に統一されてました。

竜華区のEF58を撮りにわざわざ紀勢本線まで行ったのですが、この「くろしお」に興味がなかったので、たったこの1枚しかとっていませんでした。国鉄色の配置が無くなってしまった今としては貴重になってしまいましたが、もう手遅れですね。

「くろしお」というと、どうしてもキハ82やキハ81のイメージが強いので、381系に馴染めなかったというのが正直なところ。
キハ82系「くろしお」は過去ログで1枚アップしましたが、もう1枚ある筈なので、機会があったら別途アップしたいと思います。

今日は眠いのでこの辺で失礼しま~す。

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