今日は、ちょっと細かい話になりますが、顔が非常に美しいまま長く生き抜いた米原機関区所属のEF58をご紹介したいと思います。
米原区に所属したEF58の特徴は、なんと言ってもワイパーカバーにあると思います。
運転席窓の水切りが無い時代には余計な出っ張りに見えなくもないのですが、流線型のEF58の顔をより流美に見せていてる感じがして、個人的に大変好感を持っております。
かつて、103号機が宇都宮機関区に配置されたとき、その雰囲気の違うEF58の写真を撮っていました。なんで一味違う顔なのか、判ったのはかなりの年数が経った後でした。
今日は、そんな中から2両のEF58の画像をアップいたします。
昭和58年12月1日 東海道本線 早川~根府川間にて EF58112号機
東海道本線の荷物列車を牽く112号機です。
原形小窓にワイパーカバーを残した端正な顔立ちのまま、引退するまで東海道本線の荷物列車牽引に活躍しました。
側面フィルタはヨロイ戸形、パンタグラフはPS15に改造されています。
昭和55年8月 東海道本線 神足(現:長岡京)~山崎間にて EF58113号機
こちらも東海道本線の荷物列車を牽く113号機の写真です。
113号機も原形小窓にワイパカバーを保ったまま、最期までその綺麗な顔立ちで走り続けました。
さらに113号機は、原形側面フィルタ(写真では見えません)で、パンタグラフもPS14(写真では切れてしまいました・・・)のままと、あらゆる限りの原形を保っていたようです。
この他にも、74号機が最期までワイパーカバーを保っていたとの記述がありましたが、残念ながら写真は無かったようです。
北関東では見ることが出来なかった形態だけに、資料写真として多数を残すことが出来なかったのは残念ですが、連結されている荷物車輌と合わせて見ても、その時代、形態を察することができる写真として、1枚でも撮っておけて良かったと思います。
米原区に所属したEF58の特徴は、なんと言ってもワイパーカバーにあると思います。
運転席窓の水切りが無い時代には余計な出っ張りに見えなくもないのですが、流線型のEF58の顔をより流美に見せていてる感じがして、個人的に大変好感を持っております。
かつて、103号機が宇都宮機関区に配置されたとき、その雰囲気の違うEF58の写真を撮っていました。なんで一味違う顔なのか、判ったのはかなりの年数が経った後でした。
今日は、そんな中から2両のEF58の画像をアップいたします。
昭和58年12月1日 東海道本線 早川~根府川間にて EF58112号機
東海道本線の荷物列車を牽く112号機です。
原形小窓にワイパーカバーを残した端正な顔立ちのまま、引退するまで東海道本線の荷物列車牽引に活躍しました。
側面フィルタはヨロイ戸形、パンタグラフはPS15に改造されています。
昭和55年8月 東海道本線 神足(現:長岡京)~山崎間にて EF58113号機
こちらも東海道本線の荷物列車を牽く113号機の写真です。
113号機も原形小窓にワイパカバーを保ったまま、最期までその綺麗な顔立ちで走り続けました。
さらに113号機は、原形側面フィルタ(写真では見えません)で、パンタグラフもPS14(写真では切れてしまいました・・・)のままと、あらゆる限りの原形を保っていたようです。
この他にも、74号機が最期までワイパーカバーを保っていたとの記述がありましたが、残念ながら写真は無かったようです。
北関東では見ることが出来なかった形態だけに、資料写真として多数を残すことが出来なかったのは残念ですが、連結されている荷物車輌と合わせて見ても、その時代、形態を察することができる写真として、1枚でも撮っておけて良かったと思います。