マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF58112・113(最期のワイパーカバー機)

2007-09-30 00:24:19 | EF58のアルバム
今日は、ちょっと細かい話になりますが、顔が非常に美しいまま長く生き抜いた米原機関区所属のEF58をご紹介したいと思います。

米原区に所属したEF58の特徴は、なんと言ってもワイパーカバーにあると思います。
運転席窓の水切りが無い時代には余計な出っ張りに見えなくもないのですが、流線型のEF58の顔をより流美に見せていてる感じがして、個人的に大変好感を持っております。
かつて、103号機が宇都宮機関区に配置されたとき、その雰囲気の違うEF58の写真を撮っていました。なんで一味違う顔なのか、判ったのはかなりの年数が経った後でした。

今日は、そんな中から2両のEF58の画像をアップいたします。


昭和58年12月1日 東海道本線 早川~根府川間にて EF58112号機

東海道本線の荷物列車を牽く112号機です。
原形小窓にワイパーカバーを残した端正な顔立ちのまま、引退するまで東海道本線の荷物列車牽引に活躍しました。
側面フィルタはヨロイ戸形、パンタグラフはPS15に改造されています。



昭和55年8月 東海道本線 神足(現:長岡京)~山崎間にて EF58113号機

こちらも東海道本線の荷物列車を牽く113号機の写真です。
113号機も原形小窓にワイパカバーを保ったまま、最期までその綺麗な顔立ちで走り続けました。
さらに113号機は、原形側面フィルタ(写真では見えません)で、パンタグラフもPS14(写真では切れてしまいました・・・)のままと、あらゆる限りの原形を保っていたようです。

この他にも、74号機が最期までワイパーカバーを保っていたとの記述がありましたが、残念ながら写真は無かったようです。

北関東では見ることが出来なかった形態だけに、資料写真として多数を残すことが出来なかったのは残念ですが、連結されている荷物車輌と合わせて見ても、その時代、形態を察することができる写真として、1枚でも撮っておけて良かったと思います。
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せっかくの臨時列車日和なのに・・・

2007-09-29 16:50:24 | 写真撮影
せっかく臨時列車が多数走る日なのに、今日は朝から雨。
でも、寝不足の中、早朝から起きることが出来たので、近所のいつものポイントに行ってみました。

特別な臨時列車が走る日は、このポイントに4~5人くらいのカメラマンが張り付いているのですが、雨にも増して明るさも全く足りず、さすがに今日は私一人だけでした。

タダでさえ意気消沈しているところに、追い討ちを掛けるようにトラブルも発生。あ~ぁって感じでした。

撮影は、すべて平成19年9月29日、東北本線 西川口~蕨間にて

1発目 EF81136牽引の「あけぼの」

画角を確認していたらヘッドライトが見えたので慌ててセッティング。そしたら、何故か激しいピント移動が発生し、止まらなくなってしまった・・・。ピントが合ったときには既にこの状態。せっかく双頭連結器でヒサシ付きの136号機だったのに・・・。残念。


2発目 485系快速「フェアーウェイ」・・・・・・・・・バッテリ警告もなしに、シャッターを押した瞬間にバッテリー切れ・・・・もうムカツクったらありゃしない。



3発目 485系 あかべこ「あいづ」回送

次の臨時快速「一村一山」撮影のために構えていたら、突然回送が来た。このときは何故か一発でピントが合った。



4発目 183系 臨時快速「一村一山」

「あかべこ」回送後、ほんの数分後。ヘッドライトが見えてから構えると、また激しいピント移動が発生。何とか合致が間に合ったが、画面が傾斜してしまった・・・。



5発目 485系 「日光1号」

30分近くの空きが出来たので帰宅後再出撃。やる気はほとんどない。でも、せっかく時間をかけているのだからと気を取り直して撮影に専念。
いつもはわざわざ撮りに行くことのない「日光」。シャッターを切った瞬間には気が付かなかったが、バックに209系京浜東北と211系普通列車も入っていた。偶然だがこのカットは良かったかな・・・。



6発目 185系 「草津1号」「水上1号」

いつもは行かない海側へ回ってみた。「あかべこ」を待っている間に来た185系。そう言えば新塗装になってから185系なんて撮ったことなかったな・・・と思いながらシャッターを切った。



7発目 209系 京浜東北線 北行電車

海側からの撮影は、京浜東北線とのカブリが怖い。土曜日なのでこの時間でも5分間隔くらいなので、時計とニラメッコしながら「あかべこ」の通過を待つ。
209系も、2~3年後くらいまでには京浜東北線から撤退してしまうのだろう。そう思いながらシャッターを切った。



8発目 485系 あかべこ「あいづ」

今日の早朝撮影の最後のカット。数分前に手前の線路の往来がすべてあったので、カブる心配はなさそうだ。雨も小降りで傘も必要ないじっくり構えて撮った・・・。何故か画面が傾いていた・・・トリミング修正・・・orz )


このあと都電荒川線のイベントにで掛ける予定でしたが、あまりの天気の悪さにスッカリ意気消沈していまい、寝不足もあってそのままふて寝。起きたら13:30・・・新型レトロの撮影会は14:00まで・・・もういいや・・・。
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EF5866(最期の大窓ヒサシ車)

2007-09-29 01:08:23 | EF58のアルバム
昨日は1日とんでしまいましたが、今日はEF58のアルバムをお届けいたします。

今日ご紹介いたしますのは、紀勢本線に残ったEF58の中で一番人気のあった66号機です。

66号機は、昭和58年度時点で残っていた、最後の大窓原形・ヒサシ付き車で、原形車の少ない紀勢本線のEF58の中でも群を抜いて人気がありました。既に、全国的にも大窓原形車はロイヤルエンジン61号機とこの66号機の2両だけとなっていましたので、人気があったのも当然だと思います。
しかし悲しいことに、シールドビーム2灯化(いわゆるブタ鼻)になっていました。これは竜華区に所属する他形式を含めた機関車全車に施工されており、原形ライトに戻して欲しいと願っていたのは私だけではないと思います。ちなみに、側面フィルタはヨロイ戸化されています。


昭和59年7月6日 紀勢本線 見老津~周参見間にて

初めて見た66号機の実車です。撮影場所があまり適していなく、それなりに景色重視で撮ろうと思ったのですが、見事に架線ビームにかかってしまいました。もう2~3m手前に引きたかったところです



昭和59年7月6日 紀勢本線 白浜駅にて

前日、あまり納得が行くものが撮れていないと判っていたので、日程の最終日にもう1度66号機に逢えることを願って2日目の撮影に入りました。
そして、撮影場所に行くために乗車しようと白浜駅に向かったら、いきなり66号機が来たんです。駅撮りでもいいからキッチリ押えておきたい、そんな一心で撮りました。

確か、その後早いうちにEF60化、そして165系化され、客車列車そのものが消滅してしまったと記憶しております。
私が撮影した原形大窓・ヒサシ付き車の写真も、同機が唯一のものとなってしまいました。
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キハ22604(簡易荷物車)

2007-09-28 07:28:44 | 気動車(急行・その他)
おはようございます。
昨夜は、疲れからか更新せずにいつの間にか寝てしまいましたので、取り急ぎこの時間にアップいたします。

高校生の頃、北海道に憧れ道内各地を巡っていたのですが、まだ気動車への興味がそんなに濃くなかったときに偶然撮っていた1枚の写真です。


昭和56年3月 函館本線 白石~厚別間にて 最後尾にキハ22604を連結した普通列車

当時、全区間架線の下を走る普通列車が沢山あり、特に本線系の普通列車は6両編成くらいの長いものが多く存在しました。キハ22は未だ廃車もほとんど出ていない頃ですが、写真のようにキハ47系が主力になりつつある途上だったようです。

この各形式600番台というのは、車内の一部(1/2~1/3くらい)をアコーディオンカーテンで仕切ることができ、車内を座席のまま荷物室に使えるように改造したもので、北海道では他形式でも改造例がありました。
あくまでも簡易荷室ですので、荷物取扱の無い列車に連結するときは、通常の全室客車として使用することができます。

現在の函館本線電化区間では、新型電車も大量増備されており、足の遅い気動車列車は限りなくなくなってしまいました。写真では見づらいですが、キハ46の標準色車も連結されており、車輌、塗装、雑多な混結具合と、どれをとって見ても懐かしい時代の写真となってしまいした。
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EF58122(生き延びた幸運なカマ)

2007-09-27 00:31:00 | EF58のアルバム
今日もEF58シリーズで、122号機の宇都宮運転所時代の写真をご覧いただきたいと思います。

122号機は、私が物心付いたときには既に宇都宮運転所に配置されていたようで、しょっちゅう見掛けたカマでした。

形態的には、比較的早いうちからHゴム化されていたようで、宇都宮運転所のカマとしてはイマイチ特徴的なカマではなかったようです。しかし、現在に至るまで側面フィルターはオリジナルの姿を保っています。

では、東北本線で活躍していた頃の122号機をご覧ください。


昭和60年3月 東北本線 北浦和~浦和間にて 81系シナ座を牽引する122号機


昭和60年1月 与野駅にて 81系シナ座を牽引する122号機

2枚とも、品川客車区所属のスロ81系お座敷列車の牽引に就く122号機。当時は未だ機関車運用が線別にきっちり区別されていたため、暖房装置を必要とするスロ81系が東北本線や高崎線(信越筋を除く)に入線するときは、EF58型が限定運用されていました。これは夏場など暖房を必要としないシーズンにおいても、頑なに守られ続けました。
したがって、このシナ座を牽くEF58の写真は、他の号機にも多数存在しています。



昭和60年3月 東北本線 与野駅にて ヌマ座を牽引する122号機

ヌマ座は既に12系化されていたため、基本的には牽引機を選ばない客車なのですが、私が当時局報(部内報)を毎月チェックしていた感触では、東京北局管内に乗り入れてくるときはまず良くEF58が牽いているという感じがしました。12系オリジナル色のお座敷列車も、今ではスッカリ懐かしい部類に入ってしまいました。



昭和57年6月 大宮駅にて スハネ16回送に当たる122号機

この列車は調べていたわけではなく、大宮で写真を撮っていたら偶然来たので撮ったものと思います。そろそろ10系客車も危なくなってきた頃ですね。EF58のスマートな車体は、寝台車のような幅・高さのある客車に非常に良く似合っていたと思います。ちなみに、2両目の寝台車は、控車が連結されていないところを見ると、オハネフ13とかの可能性が強いようです。

※追加画像


昭和57年 上野駅にて 急行「津軽4号」を牽引して到着した122号機

かなり改正に近い時のようで、グリーン車がなくなり、A寝台がなくなり、わずかにマニ36とB寝台が1両だけ残った寂しい姿です。
新幹線が開業すれば、客車急行列車も殆どが消滅し、EF58の運用も縮小することが目に見えていました。それでも、この122号機は誰もが予想しないほど長く生き残ったわけですね。

このように、長年にわたって東北筋を走り回ってきた122号機ですが、分割民営化を見据えた財産分与?で東海地区に移動となり、幸運にも現役としてトロッコファミリーや工臨・ユーロなど団体列車に活躍することができました。
ただ残念なことに、昨年の半ば以来休車状態にあるようで、車籍は残っているようですが、実質は引退してしまったようです。現在は茶色塗装になっているようですね。
せっかく貴重なEF58型ですから、大事に保存していただくとともに、僚機の157号機には今しばらく頑張ってもらいたいと思います。

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