マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

クモハ53008 豊橋駅にて

2012-10-31 07:10:00 | 旧型国電
おはようございます。

秋が短かった、と言えるほど急に寒くなってきてしまい、冬ももうすぐそこに迫ってきているような気配です。
10月も今日で終わり。
11月は現場も多く、忙しくなりそうです。



昭和58年1月10日 豊橋駅にて クモハ53008

ネタがないのでとりあえず写真だけ。
119系が撤退し、飯田線も随分様変わりしたようですね。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空色の大糸線

2012-06-12 00:15:00 | 旧型国電
こんばんわ。

ネタがないのでアーカイブで。



昭和56年7月21日 南大町附近にて

大糸線の旧型国電の終焉。
京浜東北線然とした塗装は非常に違和感がありましたが、戦前型国電の生き様のひとつ。

真夏の大糸線でスコールに遭い、他人の家の車庫を拝借して雨宿りしました。
豪雨は長く続かず、雨が小降りになると、蒸し暑さの中を力強い吊り掛け音と共に旧型国電の編成がやって来ました。

もう30年も前のこと。若かった10代半ばでした。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道写真へ
にほんブログ村
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田線 クモニ83 100番代(その2)

2011-12-01 00:42:00 | 旧型国電
こんばんわ。

昨日は外に出ていなかったので分からなかったのですが、結構暖かかったらしいです。
しかし、一転して今日はかなり寒くなるような予報。しかも、八王子では雪?
私、今日は外回り先が立川なんでございます。
なもんで、今冬、初めてジャンパーを着ていく予定です。


さて、最新ネタもありませんので、今日は昭和から。
もう3年半も前に『飯田線 クモニ83 100番代』をアップしていたのですが、今回は残りの画像をご紹介したいと思います。
なお、クモニ81100番代の簡単なご紹介を前ログの方でご紹介しています。



昭和57年8月10日 撮影場所不詳 クモニ83100+クハユニ56+クモハ60

辰野駅早朝発の3連です。延長の中では客荷半々。なんともローカルです。




昭和58年2月9日 大沢信~七久保間にて クモニ83100+クモニ13+ほか

写真では判りづらいですが、ここでの撮影では吹雪かれました。風が強いため、非常に寒い思いをして駅間を歩きました。



昭和58年2月10日 駒ヶ根~伊那福岡間にて

歩いている最中に背後から襲われてしまい、なんとも中途半端な構図です。客電が繋がっていますが、実は荷物列車です。なので、時刻を把握していませんでした。
本来なら荷電の2両編成となりますが、豊橋までの回送(入場車)を連結してたようです。



昭和58年4月19日 辰野駅にて

旧国も終焉を迎えます。発車まで時間がありましたので、記念撮影と相成ったわけですが、ホームから降りてしまってます。
これは駅員さんにちゃんと許可をとっていますので誤解の無いように(笑)。
当時は私も国鉄職員でしたので、遠慮しがちな私でも、意外と声を掛けさせていただいてました。もちろん、それは安全に対する意識がプロであるという自信があったからこそです。

そんなエピソードも懐かしく、久し振りに思い出しました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田線 旧型国電 51系 (その7)

2011-11-10 00:05:00 | 旧型国電
こんばんわ。

めちゃくちゃ冷えてきました。
今までどおりにパソコンを打っていても、ちょっと着込みたくなるほどスースーします。

今日は久し振りの旧型国電。飯田線から51系電車です。






昭和56年11月22日 下地駅付近にて

豊橋で寒い中を駅寝して、沿線を歩きながら始発電車を撮ったものです。
私的にお気に入りの写真です。



昭和56年11月23日 伊那松島駅にて

記録によると、翌日はこんなところまで移動していたんですね。
朝の通勤ラッシュか、電車からお客さんが沢山降りてきています。



昭和58年6月29日 浜松工場留置線にて

時は過ぎ、旧型国電の終焉です。
一足先に運用を離脱した戦前型国電たちが浜松工場の留置線に送られていました。



昭和58年6月30日? 三河槙原~湯谷間

にてさよならヘッドマークを取り付けた列車。ヘッドマークには1983-6-30と書いてあるようです。どうも最終日だったらしいですね。その辺りの状況を知らずに行っていたかもしれません。手前が最後尾で、クハ55改造のクハ68409ではないかと思われます。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯田線 旧型国電:クモハユニ64

2011-08-23 01:00:00 | 旧型国電
こんばんわ。

この時間も霧雨が降っています。
関東は晴れることになっているんですが、どうでしょうか?外回りなので、雨は勘弁してもらいたいです。

さて、今日は近々ネタがないので、久し振りに旧型国電を引っ張り出しました。
飯田線の中でも後期では珍車中の珍車であるクモハユニ64です。


モハユニ61として誕生した郵便・荷物・客車の合造車。計3両が誕生しますが、折りしも第二次世界大戦の物資不足によりモーターを搭載することが出来ず、モハユニを名乗りながら「クハユニ」としての人生を歩みます。

戦後も物資不足が祟り、3両中の2両は電装化されないまま正式にクハユニとなり、クハユニ56010番代として最後まで人生を送ることになります。

一方、残された1両は幸運にも電装化されることになり、モハユニ61として本来の姿でありながら特異な道を歩むことになります。

昭和34年の称号改正によりクモハユニ44100番代に編入されますが、昭和36年に後位に運転台を増設、その際にクモハユニ64の唯1両の称号が与えられます。
大糸線などで活躍しましたが、晩年は飯田線に転入。転入時はぶどう色2号の塗装で異彩を放っていましたが、スカ色に改められています。




昭和56年11月22日 東上~江島間にて



昭和56年11月23日 不明



昭和58年4月17日 向市場~城西間にて





昭和58年6月28日 田切駅にて

唯1両の特殊な車両の割りに、出逢う機会は多かったようです。
戦争の混乱の中で数奇な運命を辿ることになってしまったモハユニ61ですが、最後は兄弟のクハユニ56010番代と飯田線で再会し、晩年を3兄弟で共に生き抜くことができました。


にほんブログ村 鉄道ブログ JR(・国鉄)へ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする