マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ローカルな風景 第38回 (国鉄:大隅線垂水駅)

2009-05-31 01:25:00 | ローカルな風景
こんばんわ。
今日は戦意を喪失してしまったので、1枚ネタで終了です。

過去ログ『ローカルな風景 第25回 (国鉄大隅線:キハ25)』で国鉄大隅線の風景をアップしましたが、昨日探し物をしていたら、アルバムに入れていない記念写真(自分が写っているヤツは粗末な扱い。)が出てきました。その中になんとも懐かしい写真があったので、過去ログと関連付けてアップしたいと思います。



昭和57年11月25日 国鉄大隅線 垂水駅

私が国鉄に入社した年、試用期間が終わり、10月から全国パスの交付を受ける権利ができたのですが、何と、1ヵ月半後の11月15日(57・11改正:上越新幹線大宮暫定開業日)をもって廃止されることになってしまいました。
これが目的で国鉄に入社したようなものだったのに何たる仕打ち。同期入社の年上の先輩と結託し、職場の先輩を説得して最初で最後のパス旅行をしたときに立ち寄ったのが、九州の大隅線でした。

別に大隅線に乗る目的で訪れたのではなく、鹿児島港から桜島を観光して反対側へ抜けた結果、辿り着いたのが大隅線の垂水駅だったわけです。
あまり記念写真など撮らない性分ですが、確か列車が行ってしまったばかりで、次まで2時間半くらい待たされたため、時間つぶし中にこんな写真を撮っていたんですね。合間には駅近くにあったパチンコ屋で時間を潰したり、入場券や乗り継ぎのための特急券を買ったりしてました。

ちなみに、現在の垂水駅跡地はこんな風になっているらしいです。

この写真を見て気になったのが、私(向かって左側)が何故か下を向いていること、当時爆発的に流行っていたデザインのスタジャンを着ていること。そして一番気になったのは、右側に立っている「Rio」の自動販売機
最近見たこと無いなと思って調べたら、相当前に倒産してしまったのか、この自販機自体は殆ど現存していないらしいです。今見るとメチャクチャにレトロに感じるデザイン、当時流行っていた「当たり」付きも懐かしいですね。「Rio」でどんなジュース類を扱っていたかすら、全く記憶に残っていません。

こうして過去に訪れた駅が無くなっている現実を考えると、寂しい気持ちを隠すことはできません。少子化が進めば確実に過疎化を呼び、行政を圧迫→医療の受けられない町→年寄の住み難い町→過疎化の進行、という悪循環が必至となります。近い将来、必ずや鉄路を無くしてしまった事を後悔することになってしまうのでしょう。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JRおおみや鉄道ふれあいフェア2009 はたらくクルマ篇

2009-05-30 23:45:00 | その他乗り物写真館
こんばんわ。
今日は土曜日にあるまじきアクセスの少なさ。先週の日曜日の半分以下です。
どうなってんですかね。

このところクルマネタを出していなかったんで、先週の『JRおおみや鉄道ふれあいフェア2009』で展示されていた『はたらくクルマ』をご紹介したいと思います。




まずは定番の軌陸車です。昨年度は屋内展示だったのですが、今回は高架下での展示になりました。
前回はあまり気にしなかったのですが、今回は帰り掛けついでに撮ったら比較的正面に近い位置だったので、バンパー下に車輪が付いているがハッキリ判ります。日中にこんなのが本線を走っていたら思いっきりレアなんですけどね。まあ、考えられませんわな。




こちらは起震車。今回が初登場では無いでしょうか?
一昨年でしたか、首都高を走っているときに東京消防庁の起震車に遭ったことがありましたが、大きさのレベルが全然違いますね。こっちはカワイイ大きさです。
体験しているところを見学しても良かったのですが、あまりにも暑かったので、足は既に反省会のお店に向けて止まることはありませんでした。




こちらは毎度のさいたま市消防局所属、日野レンジャーのスカイアクションラダーです。
考えてみたら、このような中型はしご車ってあまり見たこと無いですね。
ん?このナンバーは・・・8882・・・去年と同じクルマだった・・・yellow7

今年はJRバス関東が出展していませんでしたので、自動車部門はかなり物足りなさを感じました。どうしちゃったんでしょうかね。エアロキングなんてメチャクチャ人気があったんですが・・・。

バスもそうですが、他の車両ももう少し多彩に扱ってくれると良いですね。(個人的には。)
確かに鉄道が主役のイベントですが、同系会社の自動車部門も大歓迎でございますよ!

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拍手コメントへの返信

2009-05-30 12:26:00 | ノンジャンル
最近、当ブログに拍手機能がついたのですが、これにコメントを入れることが出来ると言うのを知りませんでした。
しかも、このコメントはブログ上に公開することができませんので、コメントを入れた方すら確認をすることができません。親切設計じゃないですね。

ですので、こちらからお返しする機能もありませんので、失礼ながらこちらに掲載させていただきます。


2009/5/20 8:26 14系(ハザ) 「はつかり51号」

名無し様

往年の東北本線を14系ハザで再現する際、はつかり51号の牽引はやはりPFかと考えていましたがゴハチで反って良かったです!絵になりますね.貴重な情報をありがとうございました.ちなみに宇都宮機関区ですよね?


キハ181つばさ

拍手&コメントありがとうございます。また、返事が遅くなりまして申し訳ありません。
私の知る範囲では、「はつかり51号」はEF58の牽引のみだったと思います。PFの牽引を目撃したことはありません。
カマはもちろん宇都宮運転所のものです。多客期だと他区の応援もありえますが、この時代は比較的MAXを確保して配置されていたようで、臨時でも通常の運用範囲外に充当されることは滅多になかったようです。
EF58が牽引する「はつかり51号」の写真が1枚だけ出てきましたので、明日にでもアップしようか検討しております。あまり良い写真じゃ無いですけど(笑)。



2009/5/26 祭りの前の撮影 上り夜行篇

Nです!毎日楽しんで拝見させて戴いております、またロケハンご一緒お願いします、迷惑でなければ。またお会いしましょう…


キハ181つばさ

N様

ご無沙汰しております。
最近は撮影ネタが少なくなってしまい、あまり遠出もしていない現状です。近場でブルトレや臨時ばかり撮る日々ですね。
今年の夏をどう過ごそうか考えているのですが、一つは飯田線&「佐久間レールパーク」に行ってみたい。こちらは1泊2日になると思います。
もう一つは、583系「あいづライナー」を撮りに行きたいですね。こちらは1泊1日で、会津健康ランド(まだあるかな?)で温泉に入りたいと考えています。行くとしたらクルマですので、現地での動きはかなり自由になります。C57もついでに撮れるかもしれませんね。
ネタができたらこのブログで多少予告をして行こうと思いますので、興味のある内容だったらコメントに「参加したい!」って入れて下さい。wink
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引退迫る飯田線119系:登場間もない頃

2009-05-30 09:37:00 | その他電車
おはようございます・・・・雨じゃー!
まるで梅雨に入ってしまったかのような悪天候。昨夜は疲れて0時頃に寝てしまったようで、今朝は6時前に起きてしまいました。「能登」も「北陸」も撮ることが出来る時間ですが・・・なんじゃこの暗さは。「あけぼの」くらいの時間にゃザーザー降り。

今日は非テツ決定!

さて、この間の『おおみや鉄道ふれあいフェア』に行ったとき、lineさんと話をしていたとき、「佐久間レールパーク」の廃止の話題がありました。
飯田線の旧型国電が廃止されてからは、急行「伊那路」の撮影に1回立ち寄っただけで、ほとんど近づいたことすらありません。
ですので、その後出来た「佐久間レールパーク」には1度も行ったことがありませんので、今夏、行っておきたい場所の1つとなりました。

そしてもう1月になる話題は、JR東海で抵抗制御の電車を全て置き換えるということ。これには117系や119系の廃車が掛かってきます。これらの写真もJR化後は一切撮っておらず、殊に東海の117系の写真は1枚もありません。

そんなこともあるので、今回は旧型国電淘汰の立役者として誕生した憎き119系の登場間も無い頃の写真をアップしてみようと思います。



昭和58年1月10日 中部天竜 電留線にて クモハ119-3

飯田線では、戦前型国電淘汰の第1弾として、80系最後期形を転入させ、クモハ52やクモハ42といった車両を置き換えました。これは一時的な措置であり、老朽による新性能化にあたっては、当時余剰となりつつあった急行形165系と、新車の導入による置換えが計画されました。ここに誕生したのが新形式119系です。
119系は新車扱いですが、下回りや屋上機器等は当時廃車の進んでいた101系の主要機器を使用していますので、半新車・半中古と表現できる車両です。今と違い、エコによるリサイクルではなく、当時の国鉄の厳しい台所事情にあったと言えます。

ここで面白いのは、何故か後期に転属してきた80系が先に廃車対象となり、戦前型が後に残るという現象が起きたことです。80系に故障が多発していたのか、ファンの気持ちを汲んで戦前型を最後まで残したのか、詳しいことは良くわかりません。

写真は、落成して間もなく回着したクモハ119-3。確か営業運転には入っておらず、訓練用として中部天竜区におかれていたのではないかと思われます。写真では判りづらいかもしれませんが、車体も下回りもピッカピカです。



昭和58年5月19日 赤木~沢渡間にて

80系を淘汰し、営業運転に入った119系。この頃には残った一部の戦前型の廃車も始まっており、119系も幅を利かせてきています。
形式が単一化されて味気なくなったと思いましたが、今こうして見ると、地味に走り続けた飯田線の戦前型と比べ、イメージは明るく、さわやかさが明らかに増していると思います。
登場当初は京浜東北線と同じスカイブルーをまとい、アイボリーのラインがポイントとなります。ラインは、昭和50年代半ばから使われるようになった樹脂製のテープとなり、こんなところにもコストダウンを迫られるほど厳しい状況だったのですね。現在ではステンレスやアルミ車が主流となり、塗装をしないテープによる色付けが一般的になりました。その先駆けとも言えます。



昭和58年6月6日 撮影場所不詳

119系は、登場当初 クモハ+クモハ+クハの3連で登場し、途中解結をしない3両編成で運用されました。その後、全ての戦前型を置き換える頃には クモハ+クハ の2連が登場し、2連×2の4連も運用に就くようになっています。同時に郵便・荷物車のクモユニ147(同じく101系を種車とした車両)も登場したのは、過去ログでも紹介させていただきました。


その後、需給の関係から編成の見直しが実施され、3連の2連化、編成から外れたクモハの両運化(クモハ119100番代)が行われます。
JR化後は塗装の変更(東海色)、さらには東海道線転用(するがシャトル→後に解消。)、冷房化も実施され、現在は元の鞘に戻って飯田線で活躍しています。

無くなるから撮るといった発想が付き物の鉄道写真であり、常に時代に振り回されて撮影を行うことは疲れます。
それでも、119系に関しては登場当初から付き合いのあった車両でも有り、疎遠とは言いながらも思い入れはあります。登場当初の撮影数の少ないことですし、117系と合わせ、この夏最後となるかもしれない機会に是非訪れてみたいと考えています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

さっき女房に「この夏、泊り掛けで佐久間レールパークに行きたいって話しが出てるんだけど・・・」って言ったら「行ってらっしゃ~いyellow5」だって・・・。その言葉に二言は無いよな!?

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キハ58系 急行「きのくに」

2009-05-29 00:31:00 | 気動車(急行・その他)
こんばんわ。
このブログを打っている現在も結構な勢いで雨が降っています。予報では土曜日まで降ったり止んだり、日曜日もあまり天気は良くなさそうです。今度の週末はテツ休みかな。

アクセス数が減っているところで輪を掛けてしまいそうな地味ネタですが、今日は紀勢本線の急行「きのくに」のキハ58系DC時代の写真をアップいたします。

紀勢本線が電化したのは昭和53年9月だそうです。それまでは全線に渡って気動車王国であり、また、普通列車は客車列車が多かったようです。一部区間ではDF50も運用されており、キハ81・82系「くろしお」の存在と合わせて大変魅力のある線区だったと思います。

ただ、関東に住む私にとってはあまり便の良い場所ではありませんでしたし、昭和53年と言えば未だ中学生ですから、とてもロケに遠出するような場所ではありませんでした。

特急の「くろしお」については、縁あって天王寺駅や名古屋駅で撮影したことがありましたが、基本的には全く縁の無い場所です。

そんな紀勢本線でしたが、友人の誘いで、1度だけEF58の末期に写真を撮りに行ったことがありました。もちろん目的は、全国的にも最後になったEF58牽引の客車列車と、巡り合わせ良ければ遭えるかもしれないEF15だけでした。

そんな状況の中、現地に撮影に行って意外と目立っていたのが急行「きのくに」の存在です。電化直後から客車列車として残った普通列車を除き、特急は381系100番代や485系化され、普通列車には111系・113系が運用される様になります。
しかし、当時急行形車両は余剰がなかったためでしょうか、急行「きのくに」だけはキハ58系DCのまま残っていたんですね。しかも観光路線を抱える区間であり、編成もそこそこ長かったため。急行列車としての貫禄を保っていたように思います。

枚数はありませんが、ご覧下さい。

※撮影は、全て昭和59年7月6日です。



紀勢本線 見老津~周参見間にて



紀勢本線 南部~岩代間にて



紀勢本線 白浜~朝来間にて

私の撮る写真としては珍しく、やや夏らしさが表現できているような気がします。
昔は各地で7両編成以上の急行列車が走っていましたから、この時点においても決して珍しいとまでは言えませんでした。強いて言えば、関東では見ることが出来ないキハ65形が混結されていたことでしょうか。特に夏は暑い地域ですから、冷房車必須の優等列車と考えれば、馬力を落とさないで冷房電源を供給できるキハ65は重宝されたことと思います。

この頃の撮影は殆ど徒歩でしたので、本数が少ない分、来る列車は殆ど撮影していたように思います。そんなことで、何とか3枚だけですが、急行「きのくに」という個人的には縁の無かった列車の記録を残すことが出来たのは幸いでした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

※列車名を間違えて打ち込んでいたので訂正しました。yellow4
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする