マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

キハ56系 急行「狩勝」

2008-05-31 01:00:32 | 気動車(急行・その他)
こんばんわ。
昨日は時間が無かったので、非常手段で寝台急行「狩勝」をお届けいたしましたが、実はキハ56系の急行「狩勝」をアップする予定でした。順番が変わってしまったのですが、今日は懐かしの急行「狩勝」をご覧下さい。

昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。
釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。
また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。

当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。



昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて

こちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。
キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。
キハ56形の200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴で、さらに写真では判りませんが冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。



昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて

上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。
こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。



昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボ

なんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。



昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて

同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。この写真がある意味初めて絵心のイメージが湧いて撮った写真じゃないかと思います。
なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。
※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。

急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。
辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。

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オハネフ12形 急行「狩勝」

2008-05-30 07:35:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
おはようございます。
昨日は体調が優れなかったため、更新せずに寝てしまいました。
準備していたネタがアップできなくなってしまいましたので、今日は1枚物です。

札幌~釧路間は、古くから需要があっていわゆる『全車指定制』の急行列車が走っていました。古くには変遷のある列車ですが、昭和50年代は急行「狩勝」を名乗っていました。

北海道ワイド周遊券という、北海道フリークには便利な周遊券があり、20日間有効で急行自由席車も乗り放題だったため、「各方面への移動は夜行急行で!」というのが当たり前だった時代、この夜行「狩勝」だけは全車指定のため別に急行券・指定席券、或いはグリーン券や寝台券とともに急行料金を別途取られてしまうという意味で、大変使いづらい列車でした。私的には移動の必要性に迫られて、「狩勝」時代に1度だけB寝台車に乗ったことがあります。



昭和56年3月 撮影場所不明 オハネフ12 急行「狩勝」

札幌駅で他の急行待ちの時に撮ったものか、釧路からこの列車に乗る時に撮ったものか、記憶が曖昧です。
この写真は記念的に撮ったものではなく、元ナハネ10の改造車であることが判った為に慌てて撮ったものです。洗面所の明かり窓が横長ではなく大型であることから容易に判断できるのです。
昭和40年代、増大する寝台需要に対応してスハネ30など旧型車によりB寝台車が増備される中、普通車の緩急車を連結しない列車が設定されるようになったため、中間寝台車である初期のナハネ10に車掌室や緩急設備を設け、全てのナハネ10が緩急車化されました。その後、冷房設備の需要から冷房化改造され、重量が増してオハネフ12になったわけです。この大型の明かり窓も初期車の名残です。

写真を撮った当時、本州では10系寝台車の淘汰が既に進んでおり、10系寝台車そのものが希少になりつつある頃で、初期の10系寝台車に逢えたことが非常に嬉しかったことは記憶しております。ストロボを焚いてしまったのは、ホームがあまりにも暗かったのと、運転には支障の無い中間だったからと判断したからだと思います。※今だったらこのような状況でももちろん炊かないでしょうけど。

その後14系化されたり、名称が急行「まりも」になり、さらには特急化されて「おおぞら」、また特急「まりも」に愛称が戻ったりと目まぐるしい変遷がありましたが、とうとうこの夏の運転を最後に廃止されるされてしまうとのことです。

急行寝台列車「狩勝」は、そんな歴史を刻んできた特急「まりも」のルーツともいえる列車なのです。
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489系・583系「しらさぎ」:総集編

2008-05-29 03:07:53 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
今日は、過去ネタと合わせて、特急「しらさぎ」の総集編です。


昭和52年3月30日 名古屋駅にて クハネ581「しらさぎ」(再掲)

もーまんさんの田舎へお泊りに行った際に名古屋駅で撮影したものです。581・583系で撮った唯一の「しらさぎ」。中1の時ですから、かれこれ30年前になります。
京都に583系が残っている折、現役で居るうちにオリジナル塗装を復活させて、是非再現して欲しい列車です。



昭和55年8月 東海道本線 木曽川~岐阜間にて 貫通型「しらさぎ」

山陰の撮影に行く際に、同区間においてEH10などを撮りに立ち寄った時に撮ったもの。形式はチョット判りませんね。「しらさぎ」だと金沢区の運用だと思いますので、489系の確率が高いと思います。



平成3年2月11日 名古屋駅にて クハ489-0番代「しらさぎ」(再掲)

こちらも過去ログでアップした写真。乗り継ぎの際に名古屋駅で撮影したものです。


特急「しらさぎ」と言う列車にあまり縁がなかったようで、国鉄時代に3回ほど北陸に行っているにも拘らず、富山近辺が活動の拠点であったために北陸本線内で撮った写真が1枚もありませんでした。
今となってはもう少し粘って撮れば良かったとも思うのですが、イラストマーク自体を嫌っていたのと、その都度撮影の対象が別にあったため、いつも目標から外れていたようです。当時は485系は全国で活躍している形式でしたから、希少価値も見出せなかったのでしょう。
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身延線 旧型国電 モハ62系

2008-05-28 00:40:00 | 旧型国電
こんばんわ。
大宮ネタが取り敢えず終わりましたので、懐かしネタに戻りたいと思います。

モハ62系ってご存知ですか?
モハ73系(旧63系)の下回りに、無理矢理113系のボディーを載せたアコモ改造車です。同類には仙石線で活躍し、最後には103系新性能化されたモハ72970番代があります。
103系のボディーを載せたモハ72は、4ドア車だったせいか970番代と73系を名乗ったのに対し、身延線で活躍していた3ドア近郊型に形態が変わったためか62系という形式を名乗っています。※制御車はクハ66、電動車はモハ62。

身延線にはあまり撮影に行くことができなかったので、残っている写真は少ないのですが、ひとまずご覧下さい。




2枚とも 昭和56年7月2日 身延線 鰍沢口~落居間にて





2枚とも 昭和56年8月21日 身延線 西富士宮駅にて



昭和56年8月21日 身延線 柚木駅にて

※撮影地を訂正いたしました。

ご覧いただいて判るとおり、詳しく見てみないと113系と一見区別が付きません。
ただ、厚い旧型国電の台枠に無理矢理接合する関係で、車体裾が絞られて、さらに直線部分があることが特徴です。

旧型国電が終盤を迎えており、貴重なクモハユニ44や低屋根クモハ、2ドア車のオリジナルクハ47など、魅力的は車両が活躍していましたので、戦前型廃車後も残ると言われた62系にはまず興味がありませんでした。
なぜこれらの写真が残っていたかといえば、編成数が少なかったなりにも115系が導入されつつある中で最後まで生き残ったため、この車両に当たる確率が高かったのでしょう。
今となっては、サイドから台車の特徴を生かした写真を撮っていなかったのが非常に悔やまれます。
いつもそうですが、後の祭りとなる前に、現役時代に少しでも多く押えておきたいもですね。
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JRおおみや鉄道ふれあいフェア2008:JRバス関東篇

2008-05-27 22:30:00 | バスの写真館
こんばんわ!
今日はイマイチつまらない内容のネタですみませんでした。

さて、予告してから遅れてしまいましたが、同フェアで恒例となりつつあるJRバス関東の展示です。

昨年は2台の出展でいずれも高速バスだったのですが、今回は2台の出展ですが一般路線バスが展示されました。




路線バスはいすゞエルガのノンステップ車で、まだ納品されたばかりの新車のようでした。こちらはシービーさんと乗ってみました。
新型なので撮り急ぐ車種でもないのですが、実はこんな注目点もあるのです。



字幕車ではこうも行きませんが、デジタルだといろんな表示が随時出来るのです。
ただ、以前のバスネタでも申しましたように、電光掲示はシャッタースピードを遅くしないと字が切れてしまって何が表示されてるのか判らなくなってしまうんですね。
展示場所が新幹線の高架下で暗いため、ちょうど良く写ったしだいです。




もう1台は昨年と同じく三菱ふそうのエアロキング、2階建てバスです。
こちらは相変わらず人気ですね。車内見学の列が切れないので、後部の2軸車輪を入れて撮ることは不可能です。このバスに関しては、東京や新宿で狙っていた方が良い写真が撮れるかもしれません。
しかし、一同、何を見ているのでしょうか?画像をチェックするまで判りませんでした。


バスの展示コーナーでは、先日アップしたバスコレクションを始め、バス停板や方向幕なども販売しています。
バスオタちゃんはあまり知らないのでしょうか、人だかりは全くと言って良いほどありません。バスのイベントなんか行くと大変な行列ができたりするのですが、ここならゆっくり選べますし、穴場だと思います。私はお金が無いのでバスコレしか買いませんでした。

今回のイベントは昨年よりやや盛り上がりに欠ける点は否めませんでしたが、レアなEF65535や1001が展示されていたのは大収穫でした。できれば1001号機も架線のあるところで通電して展示して欲しかったですね。535号機との並びでも良かったような気がするのですが、パニックの防止策だったのでしょうか。

後気になった点が1つ。会場からはるか離れたところにガスタービン動車試験車のキハ391系がかなり色褪せて留置されていました。鉄博に収蔵しないまでも、車両的には貴重な生き証人ですので、是非整備してキレイな姿にお目に掛かりたいものです。

また来年のフェアも期待したいものですね。その時はFe4+?でテツ集会を開催と行きたいところです。足掛け4日間お付き合いいただきありがとうございました。
コメント (6)
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