マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

「夢空間」回想~そしてさよなら・・・ラストラン

2008-03-31 00:55:32 | ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。

年度末のこの時期。仕事も忙しかったし、ダイヤ改正を前後として色々慌しかった日々。
そして、一昨日29日と昨日30日を最後に「夢空間」が引退のラストランとなりました。

あまり執着しなかった車両ではありましたが、地元を良く走っていた車両だけに、最後は見守ってあげようとラストランを捉えました。

私としてはホンの少ない記録しかない彼らですが、ここに全てをアップしてお別れしたいと思います。




平成5年6月13日 東北本線 蓮田~東大宮間にて EF8180牽引 「夢空間北斗星」

「夢空間」が一番活躍していたのはこの「夢空間・北斗星」号でしょう。本来はロイヤルを目玉とする編成ですが、デラックススリーパーを引き連れて、より豪華さを演出していました。
本数的にはかなり運転されていた筈ですが、活躍していた頃がちょうど結婚・子供の誕生などで、最低限のSL撮影くらいしか行っていなかったため、この1回しか撮ってあげることができませんでした。



平成5年11月28日 大宮工場まつりにて 「夢空間」オシ25901

「夢空間」一番の目玉商品はこの展望食堂車でしょう。鉄道史上でも最後部に連結する食堂車としては初ではないでしょうか。
写真は、同年の工場開放の際に訪れ、偶然展示されていたものです。当時はかなり話題に上っていましたので、見学者は大行列。あまりにも凄すぎて室内見学を断念しました。


彼らとの写真での出逢いはたったこれだけでした。それでも、元気に活躍していた姿を1枚だけでも捉えることができていたのは、私的には幸いと思っています。


そして、「夢空間」の廃止の情報が伝わると、出来るだけ彼らの姿を残しておかなければならないと、ダイヤ情報を頼りに予定を優先して組み、出掛けていきました。

2月23日の撮影は、午後からの突然の暴風でオクシナ回送が運休となり、撮影できませんでした。

翌週の3月1日、「さよなら北斗星・夢空間」が運転されました。





平成20年3月1日 東北本線 西川口~蕨間にて カシガマの牽く「さよなら北斗星・夢空間」号


そして、最後の日がとうとう来てしまいました。
本当は15日にも設定があったのですが、運転が取り消しとなり、この週末が最期の運転となってしまいました。





平成20年3月29日 東北本線 西川口~蕨間にて 回8543レ

ラストランは品川発となるため、通称オクシナ回送で尾久から品川へと回送されます。
回8543レは尾久発の東大宮行き。「夢空間」最後のはなむけか、牽引機にEF8195を抜擢したようです。
最後にカブりは勘弁して欲しいので、今回は安全策として橋上からのポジションを選びました。



平成20年3月29日 東北本線 蕨~西川口間にて 回8540レ

東大宮に到着した「夢空間」編成は、機回しを行い、そして山手貨物線を経由して品川へと向かいます。今度は向きが逆となりますので、また同じ上野方向にカメラを構え、「夢空間」本体が良く撮れるようにします。
約1時間20分後の通過となりますが、陽の高さはまだあるものの、急激に雲が濃くなり、露出がキツくなってしまいました。画質が落ちますがISO200に増感し、確実さを優先しました。


実質的には陽も沈んでしまいますので、この回送をもって最後の「夢空間」となります。
ただ、前回も課題を残してしまった夜間撮影。上手くいくか判りませんが、30日の上り列車を撮れる保障もありませんので、夜中に見送ることにしました。

真っ暗ですが、夜行列車が本業のブルトレ、そして「夢空間」そんな彼らの最後の仕事に打ち込む姿を残してあげたかった。

[[youtube:bCu_b-8XZHA&hl=ja]]
平成20年3月29日 東北本線 西川口~蕨間にて 団臨9115レ

静寂な闇の中を彼らがやってきました。今までは当たり前として励んできたこの仕事も、今日、そして明日戻ってくると、もう2度と走ることは無いんです。

そして、30日の日曜日。到着時間が家族団らんであるべき時間でもあり、また雨も降っていたので見送ることは出来ませんでした。無事に上野駅に着いたのだろうか。そんなことを思いながら記事を作っています。
結局、29日の営業運転最終便が私の見たラストランとなりました。

試作の意味合いが強かった彼らも、結局は営業運転もされて20年間走り続けることが出来たのはラッキーだったと言えるでしょう。同じスタイルの量産はありませんでしたが、「カシオペア」という豪華寝台列車へ発想を引き継いだことは間違いありません。

時代の要請がついてこなかった豪華夜行列車の構想。今後全ての夜行列車が廃止されてしまったとしても、夢を追って作られた彼らの記録は決して無くなることはないでしょう。

お疲れ様でした『夢空間』・・・ありがとう、そして、さようなら・・・
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寄り道して・・・500系「のぞみ」東京駅にて

2008-03-30 06:00:37 | 写真撮影
あまりの眠たさに耐え切れず寝てしまいました。気が付いたら5時半でした。

昨日アップいたしましたジュニアオリンピックの帰り道。時間は12時ちょっと前。
有楽町で乗り換えの際に「何かネタがないかな~」なんて思っていたのですが、非常にハンパな時間。「そういえば、最近500系撮って無いけど時間どうだったかな?」。
ダイヤ改正後の500系の時刻を手帳に書いてあったのを思い出し、見てみると何と20分後に上りの6号が来るじゃないですか。
本当は眠くて一刻も早く家に帰りたかったのですが、ここは眠さを堪えて東京駅で下車。入場券を購入して新幹線ホームへと向かいます。


平成20年3月29日 東京駅にて N700系

最初のテストショット。しかし、この形は好きになれんなぁ~。



平成20年3月29日 東京駅にて 500系「のぞみ6号」

そして久し振りに再開した500系。真正面になってしまいましたけど、これも東京駅到着ならではの風景。逆光になるので、相変わらず新幹線の露出選択には悩まされます。



平成20年3月29日 東京駅にて 500系「のぞみ29号」

いつの時点で名前が変わるのか分かりませんが、折り返し29号となります。
しかし、新幹線人気は未だに続いているのでしょうか。完全な鉄もかなりの数が居ましたし、家族連れ、カップル、出張中のサラリーマンなど、ホームの端は大賑わいでした。
それもやはりこの500系狙いに感じ取れます。

いよいよ日中の撮影が難しくなってきた500系「のぞみ」。私的にはスピードのある区間で動画を撮ってみたいです。彼らが東京から消えてしまわないうちに・・・。
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ジュニアオリンピック(水泳)と京葉線201系とサクラ

2008-03-29 17:30:47 | 写真撮影
いや~、ハンパじゃなく眠いです。
昨夜というか、今朝1時過ぎに寝て、起きたのが4時半死ぬほど眠い。

今日は撮影の用事もあったのですが、娘が水泳のジュニアオリンピック出場となったため、早くから起きて辰巳の国際水泳場まで同伴です。



昨年夏、ジュニアオリンピック初出場を果たしたMY娘。ですが、今回、春のジュニアオリンピックに期限ギリギリ、タイムギリギリでの2連続出場となりました。年齢を追うごとにタイムの最低基準が厳しくなりますので「いつかはダメになるだろう」と思っていたのですが、MY娘。なかなかやってくれます。

結果はというと、良く分からないのですが、取り敢えず自己ベストタイムを更新しました。出場を決めてからタイムが落ちてしまい、本番で恥ずかしい思いをさせるのは私自身も嫌だったのですが、なんと本番に強いMY娘。
一足先に帰っていた私。撮影から家に帰ったら、母娘とも戻っていて、ベッドでダウンしていました。私だってダウンしたいよ・・・。取り敢えず良かった。

で、娘の晴れ姿をビデオに撮った私。他の子のを漫然と見ていても自分的には時間の無駄。予定行動をとるために一足先に家路につきます。


国際水泳場にくる途中、桜並木がまだ5分~8分咲きくらいでしょうが、非常に見事でした。春にここに来たのは初めてだったのでそれなりに感動。京葉線と勲記あわせて撮れないかな?と思っていたのですが、京葉線は運河を渡るために非常に高い高架橋を走っています。なかなか難しそうだったのですが、帰り道、以外に早いところにありました。

待つこと5分程度、運が良いことに201系が来てくれましたよ。


平成20年3月29日 京葉線 新木場~塩見間にて 201系と205系の交錯

205系は邪魔だから来なくて良かったんですがね。チョット慌てちゃいました。
今日、中央線の外濠沿いに行くことができなかったので、色違いですが201系とサクラの組み合わせが実現しました。

じゃ、家に帰ってからの行動は次回に続きます。、
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117系「新快速」・「快速」

2008-03-29 00:48:11 | その他電車
今日は珍しく関西国電ネタで、117系の「新快速」と「快速」の写真をご覧下さい。

京阪神間における「新快速」の歴史は、戦前の「関西急電」まで遡ります。
京阪神における国鉄(鉄道省)と大手私鉄との熾烈な旅客争奪が繰り拡げられています。
関西急電時代は、もちろん釣り掛け式の旧型国電ですが、その後新性能化されると111系→153系117系→221系と歴史が移り変わります。

今日ご紹介いたしますのは、新性能車としては3代目となる117系です。


昭和55年8月 京都駅にて 117系「快速」

初めて実物を見たときの写真です。
153系が撤退し、ちょうど117系の運用に全て切り替わった直後くらいだったと思います。正直、153系の新快速を撮りたかったんですが、チョット遅かったです。
通勤時間帯だったので、この時間は「快速」ばかりでした。



昭和55年8月 京都駅にて 117系「新快速」

通勤時間が終わると、さっきまで「快速」走っていた117系がたちまち「新快速」に
化け、京阪神間を疾走します。



昭和55年8月 東海道本線 神足(現長岡京)~山崎間にて 117系「新快速」

昼間の「快速」は113系が使用されていましたが、データイムの「新快速」は全て117系での運転です。


あまり好きな車両ではありませんでしたし、153系「新快速」に間に合わずなくなってしまった気落ちもあったので、列車的には嫌というほど見た117系ですが、殆ど撮ることはありませんでした。

しかし、同車の「新快速」時代は余り長続きせず200代系のさらに高性能な車両が誕生し、優先的に「新快速」のグレードアップが図られています。

今となってはこのオリジナル色もなくなってしまい、4連化や115系への編入などで6連や原色を留めるものはなくなってしまったので、大変貴重な時代の1コマとなってしまいました。


コメント (14)
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スカ色のクモユニ74

2008-03-28 07:22:31 | 旧型国電
このところの体内時計の狂いによる体調不良で、昨日は早々お休みさせていただいちゃいました。
もちろん今日は仕事ですので、取り急ぎアップさせていただきます。

今日ご紹介いたしますのは、千葉局管内で新聞輸送などに活躍していたスカ色のクモユニ74です。


昭和51年 総武本線 錦糸町駅にて

オートハーフでの撮影ですので、例によってブレブレのどうしようもない写真なのですが、錦糸町辺りに房総急行など複数回撮影に行っている割にはあまり出くわしたことが無い様で、残念ながらこの1枚しかありません。

中央線にもスカ色の荷電・郵便車は走っていましたが、低屋根のクモニ83800とクモユニ82で、形式もそうですが、スタイルがかなり異なります。
クモユニ74でスカ色というのは総武線独自のスタイルで、全国的に見ても大変貴重な存在であったわけですね。
総武線荷電では、このほかにも珍車クモハユ74が活躍しており、このスカ色のクモユニ74の活躍は比較的短い期間だったのではないでしょうか。
コメント (6)
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