鉄道コレクションの報告だけでは何なので、1枚ネタですがお届けいたします。
以前の掲載いたしましたが、運転免許を取って初めて東北地方へ遠征したとき、日本海縦貫(羽越・奥羽線)や南部縦貫鉄道の写真を撮ってきたのですが、行程の途中で「同和鉱業小坂鉄道」の線路の近くを走っていたので、列車の来るタイミングを見て、来そうだったので待っていた次第です。
同鉄道が貨物運用中心であることやどのような気動車・機関車が走っているのかも知っていましたし、当初は予定もしていなかったので、何となく撮った形になってしまいました。
昭和61年9月9日撮影
この旅行の時の撮影地の記録が見つかり、かなりの部分で撮影地が判明したのですが、同和鉱業小坂鉄道だけはメモがなく、結局どのあたりで撮ったのか、判明しませんでした。
皆さんご存知のとおり、同鉄道は細々と旅客営業を行っておりましたが、平成元年に小坂製錬(株)となり、平成6年9月30日をもって旅客営業が廃止されてしまいました。その後同鉄道には訪れておりませんので、この1枚が最初で最後のカットとなりました。
以前の掲載いたしましたが、運転免許を取って初めて東北地方へ遠征したとき、日本海縦貫(羽越・奥羽線)や南部縦貫鉄道の写真を撮ってきたのですが、行程の途中で「同和鉱業小坂鉄道」の線路の近くを走っていたので、列車の来るタイミングを見て、来そうだったので待っていた次第です。
同鉄道が貨物運用中心であることやどのような気動車・機関車が走っているのかも知っていましたし、当初は予定もしていなかったので、何となく撮った形になってしまいました。
昭和61年9月9日撮影
この旅行の時の撮影地の記録が見つかり、かなりの部分で撮影地が判明したのですが、同和鉱業小坂鉄道だけはメモがなく、結局どのあたりで撮ったのか、判明しませんでした。
皆さんご存知のとおり、同鉄道は細々と旅客営業を行っておりましたが、平成元年に小坂製錬(株)となり、平成6年9月30日をもって旅客営業が廃止されてしまいました。その後同鉄道には訪れておりませんので、この1枚が最初で最後のカットとなりました。