こんばんわ。
令和5年2月10日、都心に大雪警報が出されたものの、比較的に早いうちに雨になってしまったため、道路にはそれほどの積雪とはなりませんでした。
一方、仕事から地元へ戻ると、クルマのフロントガラスには雪が積もったまま。明日は無くなってしまった灯油を買いに行かなければならないので、雨が小降りになったところを見計らって、前面の雪をどかしてきました。
それよりも、仕事で大事件が勃発して、大雪どころではありませんでした。10時半くらいからもうそりゃ大騒ぎ。しかも、原因と思われる当事者は休み。組織で総力を挙げて対応した結果、とりあえずの火消しは完了しました。対応した者たちがアタマに来ながら作業に臨んだことは間違いない!
さて、ちょっと間が開いてしまいましたが、マイクロエース社によるダイキャスト崩壊製品の報告のうち、前記事のDD50とともに帰ってきたED71についてもご報告しておきたいと思います。
前々記事のとおり、大崩壊していたED71については、部品が中国工場にあるため、何時入荷できるか分からず、下手すると年内くらいかと言う話だったので、たった3週間程度で帰ってくるとは意外でした。
ED71に関してはダイキャスト崩壊が大規模で、ボディまで割れたり反ったりと大変なことになっていたため、当然、修理と言うもので済むわけには行きません。まるで時間を戻したように新品ボディとなって帰ってきました。
台車等も破壊されていたので、要は新品への交換と思っていたのですが、使用感のある車輪や劣化した集電板の具合を見ると、あくまでも新品への交換ではなく「修理」であることを主張したいように思います。
パッと見はボディの膨らみも無いようですが・・・
この写真で判るかな?
ボディの上側は外に張り出していて、下側は内側に凹んでいるんですね。しかし、前後はきちんとハマっているので、ダイキャストや台枠がかなり歪んでいるようです。もうこれはこの車両のクオリティと受け止めるしか無いようです。
まあ、遠目のぱっと見勝負ということで、大きな心で受け止めるということにしておきましょ。ただの高額なゴミにならないだけ良かった。
追記
そもそも、KATOが2次型だけ生産して1次型にを手掛けないのが理解できない。ここでED71を揃えることで、電気暖房仕様の旧型客車の製品化や各種貨車の売り上げにも貢献できる筈。まして重連が当たり前のカマ。3重連有り、補機有りと良いネタなんですが。KATOはもうダメなのかな。
一次型が44両、二次型が11両だった筈ですから一次型が何故出ないと私も思います。個人的には一次型が印象に残ってます。
今は有るかどうか分かりませんが1990年代後半船岡駅前に立ち寄ってみた37号機も一次型でしたし。
船岡にありましたよね。撮影で近くまで行ったことがあるのですが、その頃はまだ現役機がいたのでわざわざ寄ることはありませんでした。
カマの数はそれなりにありましたが、貨物の多い本線では重連運用が多かったためか、貨物運用が見られたくらいで、客車運用はほとんど無かったようです。
「はくつる」の20系時代はヘッドマークを付けて運転されたようですが、12系まで何を牽かせても良い万能機。
ほんと、KATOは何をやっているんですかね。今、一番企画力に劣っているように思います。