マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF5841・46 (白Hゴム&ホイッスルカバー)

2007-10-31 00:37:15 | EF58のアルバム
ちょっと間が開いてしまったので、またEF58を。

今日は、宮原区の41号機と46号機をお届けしたいと思います。

まず41号機ですが、昭和27年8月2日製造の東芝製。新製当初は高崎第二機関区配置で、いわゆる上越形ですが、宮原区に転属後ツララ切りが撤去されたそうで、唯一大型のホイッスルカバーに上越時代の面影を残します。正面窓は白Hゴムで、エアフィルタはヨロイ戸化、パンタグラフは原形のPS14を搭載していました。


昭和52年頃 東海道本線 田町駅にて 41号機が牽く上り「銀河」の回送列車

20系寝台客車を使用した上り急行「銀河」の品川客車区送り込みの回送です。
この当時は、東京駅に到着したブルトレはすべて機回しを行い、牽引してきた機関車が品川区へまで回送を牽引しました。
ヘッドマークが付いていませんから、回送かどうかも判りませんね。
ツララ切りが付いていないので、ホイッスルカバーが非常に違和感を醸し出しています。


次は46号機です。昭和27年10月8日製造の日立製。新製当初は長岡第二機関区配置で、こちらも元上越形ですが、やはり41号機と同じように、宮原区に転属後ツララ切りが撤去されたようです。形態も41号機と全く同様に見えます。


昭和57年10月6日 名古屋駅にて 荷物列車を従え停車中の46号機

これ位大きく撮っておくと、特徴が判り易いですね。この当時は駅撮りを殆どしなくなってしまったので、ある意味貴重な撮り方です。
青いボディーに白
Hゴムは余りにも目立ち過ぎでした。東海道では滅多に撮影をしていなかったので良く分かりませんが、宮原区配置の車輌は原形を誇示するカマと白Hゴムのカマと両極端な出で立ちでしたので、彼らの評判は相当悪かったものと推測されます。



昭和52年頃 東海道本線 品川駅にて 出発線で待機中の46号機牽引荷物列車

EF58重連の荷物列車が汐留から品川までやってきて、出発待機をする恒例のシーン。SG(蒸気暖房)を必要とする荷物列車には、EF58の存在は欠かせません。新型直流機でSGを搭載するのはEF61のみですから、絶対多数のEF58の方が運用面でも圧倒的に有利でした。ちなみに、この時の次機は1号機でした。
茶色のマニ36やマニ60を連ねた荷物列車と、EF65F型の533号機が並んで待機するシーンは、私の年代にとって古き良き時代の1コマでした。

41号機は昭和55年12月26日付、46号機は昭和58年1月29日付で、荷物列車のEF62化を待たずに廃車されてしまいました。
コメント (8)
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DD51+20系:急行「おが」

2007-10-30 00:30:05 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
今日は、久しぶりの急行シリーズで、DD51牽引「おが」をご覧いただこうと思います。

東北新幹線の開業前、昭和60年頃までは、東北本線にもまだたくさんの急行列車が設定されていました。
黒磯までは165系、黒磯以遠へは455系が主に使われていた車輌ですが、「ざおう」のように電車と気動車が併設されていたもの、「いいで」「出羽」のようにディーゼルだけ設定されていたものなど、特徴のある列車もありました。

その中でも、この急行「おが」は、朝早く上野を出発する気動車急行と、雑客を使用した夜行列車とが併設された、東北方面では変わった設定の急行列車でした。
ちなみに、昔の山陽方面では「つくし」のように昼行電車急行と夜行客車急行が併設されていたものがありました。

この夜行急行「おが」は、古くから季節列車として設定されていたため、完全な定期列車ではありません。運転区間も時によって秋田止まりだったり男鹿線男鹿まで乗り入れたりと、イマイチ安定性を欠く列車に感じました。
雑客の頃は、季節列車の宿命か、荷物列車や郵便列車の併結が無く、オマケにグリーン車も無い。A寝台とB寝台も1両ずつの妙にあっさりした編成で、如何にも臨時列車のような編成でした。

時は流れ、東北新幹線が開業した後も、秋田方面への夜行需要はあったようで、定期の「津軽」とともに、臨時列車として「おが」も残りましたが、20系化され不評を買った「津軽」のお下がりの20系を譲り受け、20系ブルトレ「おが」が誕生することになります。

そして、折りしも山形新幹線の工事により北上線経由として経路を変更された20系「おが」は、こともあろうにDD51牽引の昔の特急「出雲」のようなスタイルで、北上線を走るようになったのです。


平成3年9月22日 北上線 ゆだ錦秋湖~ほっとゆだ間にて



平成4年8月17日 北上線 撮影地不詳

20系は大好きな車輌ですが、もう既に終焉を迎えようとしている頃。最後の活躍といった頃でしょうか。ヘッドの帯が消えてしまい、表情が変になってしまった20系。
しかし、DD51の牽く20系客車は、かつては東北特急の「はくつる」「ゆうづる」、奥羽本線の「日本海」「あけぼの」、そして山陰の「出雲」や九州各線ブルトレと、由緒ある20系特急が必ず歩んだスタイルだけに、その迫力・美しさは、鉄道ファンの心に永遠に残る最高のシーンであると確信します。
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583系:「臨時ひたち」(補足)

2007-10-29 22:35:17 | 特急型電車(交直流・交流)
今朝ほどは中途半端にアップして仕事に出掛けてしまいました。

調べましたところ、誤りがありましたので、訂正させていただきます。

583系の「臨時ひたち」が走ったのは、昭和54年で3日間ではなく、春休みとゴールデンウィークだったようです。どうりで何回かに分けて撮った形跡があったのでおかしいと思いました。

本文も訂正させていただき、もう少し情報を載せようと思ったのですが、資料には詳細が記されていませんでした。

また何か判りましたら、追って更新したいと思います。m( _ _ )m
コメント (4)
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583系:「臨時ひたち」

2007-10-29 07:30:29 | 特急型電車(交直流・交流)
今日の分を更新できなかったの取り急ぎ1枚だけ。


昭和54年3月に突如運転された583系の臨時「ひたち」です。


昭和54年3月 上野駅にて 今は無き20番線に停車中の583系「ひたち」

昭和54年3月~5月の多客期だけに運転された583系の「ひたち」。

ヘッドマークを期待しましたが、結局ヘッドマークは用意されず、「臨時」のまま走りました。おそらく、「ゆうづる」「はくつる」の間合い運用により活用されたものと思われます。

運転日に関する資料がありますので、後ほど更新いたします。
コメント (6)
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今日は京葉線も撮る

2007-10-28 23:07:38 | 写真撮影
と言うことで、娘の水泳大会は行ってきましたが、

ただ水泳大会に黙って行くわけが無い!

一応、鉄もしてきました。大したモンは撮れませんでしたけど。



まずは行きに乗った有楽町線。今月の鉄道雑誌を見ていたら、メトロの7000系がどうも危ないらしい。滅多に乗らない有楽町線なので、地下線内で意地でも撮ってやろうと・・・。
しかし、来たのは新車の10000系でした・・・。撃沈。
ちなみに、行きも帰りもいくつかの列車とすれ違いましたが、1本も7000系とは逢うことができませんでした。2ヶ月前のときは7000系ばかりだったのに・・・。


あとは京葉線。いつも他の線区ばかり撮って京葉線を忘れてしまうので、近くに来たときは必ず撮るつもりで。
しかし、今日は娘が複数の種目に出場する上に、決勝にも進んでしまったので、ブラブラする時間がありませんでした。
ということで、思い切って現場から撮ることに。

撮影は、平成19年10月28日 京葉線 新木場~潮見間にて



まずはスカイブルーの201系。中央線の201系が激減しており、京葉線の同系列も先行きが心配。
前回は気が付かなかったのですが、ここまでカーブしているトラス橋は珍しいと思います。おそらく全国を探してもないのでは?てなわけで、非常に気になって撮ってしまいました。




同じアングルでもう1枚。少し時間をおいたら、側面に光が輝くようになってきました。
元山手線の205系先行量産車。




201系が撮りたくて最後の1枚。失敗・・・。
無理矢理トリミングで切り取って、ギラリを強調してみました。

トラス橋はまだしも、高架橋のフェンスはやはり邪魔になります。ここではこの撮り方が限界のようです。また改めて行くとしますか・・・。
コメント (4)
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