マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

九州から来た583系:「みちのく」を上野で撮る

2008-09-30 01:13:48 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ!
Fe4事務局長のlineさん http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/265.html の真似をして上野駅の情景写真をアップしたら、芸能部長のシービーさん http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/45614510.html が着いてきて、それを見た広報部長のswallow angelさん http://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/50-0a5d.html がスネちゃったんで、後押しすべく急遽北海道から戻って参りました。
それぞれのメンバーのリンクをクリックしていただくと、懐かしい上野駅の情景を存分に見ることが出来ます。

で、北海道からは急遽特急「みちのく」で帰ってくることにしました。

過去ログ http://diary.jp.aol.com/marutetsu/322.html で過去に撮影した583系「みちのく」を大量にアップして出し切ったつもりでいたのですが、フィルムスキャンの際にまた新たに発掘したものがありますので、追加でご紹介したいと思います。
合わせて、昔の上野駅の雰囲気が少し伝わるかもしれません。



昭和51年 上野駅にて クハ583-29「みちのく」

上野駅20番線に停車中の「みちのく」です。じいさんのカメラを借りて撮ったモノクロ写真で、完全マニュアル露出計なしのカメラでした。この一連の撮影の中でも、こんなにキレイに写っているものは他にありませんでした。そんな奇跡の写真です。
空が青々している様子が伝わってくるので、秋頃に撮った写真ではないでしょうか?上野駅でも場所によってはこんなに空が見えたんですね。



昭和52年 上野駅にて クハ583-29?「みちのく」

こちらはその翌年、中古の一眼レフを買って間もない頃、雪がギッシリ付いているので、昭和52年の2月頃ではないかと思われます。
常磐線内ではそんなに雪が降ることはありませんから、陸奥の国から持ち帰ってきたものでしょう。
暗がりで判りづらいですが、17番線の荷物ホームから撮影しているようです。良く見ると右側に親子連れが写っているので、比較的荷物ホームをブラつくことが出来たようですね。私的にはあまりこのような写真を撮った記憶はありません。

さて、度々話題にさせていただいていますが、昭和51年頃から52年くらいにかけて、西日本から転属してきた暖地装備のクハ583-29・30が青森運転所にやってきました。東北スジでは唯一の開放型タイフォンを持ち、異色の存在でした。実際に走っていたのは1年強くらいだったと思いますが、いつの間にか開閉式に改造され、区別が出来なくなってしまいました。
Fe4のメンバーはこの存在をあまりご存じなかったようです。

当時の583系の運用にまんべんなく入っていたと思いますが、時間帯が良かったせいか、1往復しかない割にはこの「みちのく」での目撃例が多かったように思います。

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函館本線 山線 DD51牽引 旧型客車

2008-09-29 01:31:18 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
こんばんわ。
また忙しい1週間の始まりです。今年のこの時期、例年に比べて格段に忙しいので、休んでも疲れが取れた感じがしません。むしろまた1週間?と考えるだけでもう疲れた感じがします。

さて、このところ新着ネタが乏しく、首都圏ネタも続きましたので、今日は思いっきり北に飛んで北海道のローカルな風景をお届けしようと思います。

時は昭和58年9月、人生で3度目の北海道への渡道です。高校時代に2回行っていますが、2回とも春休みだったので北海道で言えば真冬です。したがって、雪の無い時期の北海道は初めてであり、函館本線の山線に着地したのも初めてでした。





いずれも昭和58年9月6日 函館本線 小沢~倶知安間にて

最後のキハ82系を収めるべく出掛けた北海道撮影行でした。
既に国鉄に入社しており、長期の休暇は取れないため3泊4日の強行軍で、大沼周辺、この倶知安と、帰りがけに南部縦貫鉄道に寄っています。

当時は同行した友人と共に自動車の免許を持っていなかったので、徒歩テツしか手段がありません。倶知安から小沢までの鉄道距離10km強を、線路沿いに道の無いところを迂回しながらほぼ1日掛けて踏破しています。
何せ良い撮影ポイントを探しても列車が来ないのですから、時間が掛かるなんてモンじゃありません。

この区間の目的は特急「北海」でしたが、撮影できるのはキハ82系と183系の片道づつの2本だけ。あとはご覧のようなローカル列車のみです。

本線といえども直通客の殆どいない山線では、長距離普通列車もせいぜい3両編成です。ただ、郵便・荷物の輸送使命が大きく、必ず荷物車又は郵便車が連結されています。北海道の幹線では、どこもこのスタイルのローカル列車が走っていました。

当時は珍しくも無いDD51+旧客の編成ですが、今となってはよだれモンの光景ですね。
悲しいことといえばこの天気。東京を出てから帰って来るまで、1度たりとも止むことはありませんでした(泣)。

このとき、未だ発売間もないウォークマンなんて買えない私は、携帯用のテープレコーダーを持って、音楽を掛けながら雨止まぬ国道5号線を歩いていました。
スピーカーから流れる太田裕美の「九月の雨」が、上がらないテンションに追い討ちを掛けるように響きました。

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183系0番代・1000番代「あずさ」

2008-09-28 01:03:18 | 特急型電車(直流)
こんばんわ。
日中はなかなか過ごしやすかったですけど、この時間はマジ寒いですね。日々こんな感じになってしまうのでしょうか?猛烈な台風15号の今後の動きも気になります。

さて、ここ数日新着ネタが無いので北へ東へとポイントを動かしながら懐かしいネタをお届けしておりますが、今日は西へと動いて、国鉄時代の特急「あずさ」にスポットを当てて見たいと思います。

我等がFe4の中では一番年下の私ですが、わずか3~4歳の違いなんですね。
でも、昭和50年を境にして小学生だったか中学生だったかでも、残っている写真のバリエーションが全然違ってしまうというビミョーな年代なんです。
この差がSLの現役時代にどう接したか、181系「あずさ」「あさま」や157系「あまぎ」「白根」の写真を撮ったことがあるかという差が出てしまうんです。
で、今日ネタに選んだ「あずさ」にしても、残念ながら181系では見たことがありません。



昭和52年頃 中央本線 中野駅にて 183系0番代

何故中野駅にいてこんな写真を撮ったのか全く記憶の無いシーンです。しかも、おそらく28mmの広角レンズですが、ホームにカメラを置いてシャッターを切っていると思われます。こんな写真、他にはありません。
この頃は183系1000番代や189系が出てきて間もない頃でもあり、181系が撤退した「あずさ」は幕張区の183系0番台に遭う方が多かったような気がします。



昭和52年頃 新宿駅にて 183系1000番代

こちらは同じ頃に新宿駅で撮影した1000番代。どうやってか、特別改札のあるホームに潜り込んで撮ったようです。
当時の新宿駅は結構な規模の操車場があり、貨車の入換が行われていました。右に見える貨車の位置は、現在で言うと埼京線1~4番ホームの新南口~サザンテラス口跨線橋が掛かっているところですね。
上に跨っている道路橋は国道20号線(甲州街道)です。



昭和53年2月19日 新宿駅にて 183系0番代

こちらは新宿駅で撮影した0番代。特別改札の無い中央線快速ホーム発着なので撮ることが出来たのでしょう。写真が退色して変な色になっちゃいました。
左側に1つ目のDD13もチラッと写っています。


昭和58年1月12日 中央本線 川岸~辰野間にて

飯田線の旧型国電を撮影に行った際に撮ったもの。
上越新幹線の開業により大量の183系が長野区や幕張区・田町区に流れ出したため、0番代は「あずさ」の運用から撤退することになります。この写真も0番代が「あずさ」で活躍する末期の頃となるでしょうか。
また、特急列車の経路がみどり湖駅経由の新線に切り替わってしまったため、この区間を特急列車が走ることはなくなってしまいました。



昭和58年3月26日 中央本線 西国分寺駅にて 183系1000番代

「さよならED16」列車を撮るために陣取ったホーム端で待機中に撮影したものです。
この頃の「あずさ」は、幕張区の0番代が房総特急と共通の9連、長野区の1000番代が12連になっていました。在来特急としても最も貫禄のあった頃ですね。

この後、グレードアップ車両やリニューアル車両(あずさ色)が導入されると同時に、オール9連化されることになります。
しかし、その変な塗装に影響されてしまってか、これ以降、特急「あずさ」の写真を撮ることは二度とありませんでした。


数千コマあるネガやスライドを全部引っ繰り返しても、「あずさ」の写真はこれだけしか出てきませんでした。それには、オリジナルの姿が失われて嫌気がさしていたこと、新宿駅の特急・急行発着ホームに特別改札が設けられ、写真を撮るために入ることが容易ではなかったことなどが考えられます。

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房総各線 デカ目のスカ色113系

2008-09-27 01:28:02 | その他電車
こんばんわ。
昨日は平日にも拘わらず、多くのアクセスを頂きました。やはり、古い時代の写真に興味をそそられる方が多いのでしょう。

今日もちょっと方向は違いますが、古き良き時代の写真をご覧頂こうと、房総地区の113系でスカ色のデカ目君たちをアップいたします。


昭和55年頃 総武本線???駅にて

これは多分大回り乗車をしている時に撮った写真で、総武本線の成東駅辺りではないかと思われます。木造の駅事務室でしょうかね、古き良き雰囲気を醸し出しています。
現在の房総地区の跨線橋は架け替え後に屋根が付いていない駅が多いので、この古いタイプの屋根付き跨線橋はもう見られないかもしれませんね。



昭和55年5月 内房線 五井~姉ヶ崎間にて

こちらもデカ目ちゃんです。ピンが甘いのかブレているのか、方向幕はハッキリ写っていません。
113系の編成は全て幕張区に集中配置されており、現在と同じ4連か6連が在籍していました。この列車は4連のようですね。



昭和55年5月 千葉駅にて

こちらも上の写真と同じ日に撮ったものでしょうかね。千葉駅に到着した木更津からの普通列車。列車番号が臨時列車のものになっています。
シールドビームになっていますが、客窓がサッシ化されていないので、デカ目ちゃんをシールド化した0番代の後期車(113系用クハ)ではないかと思われます。
千葉以遠の各駅には珍しく、6連に増結され10連になっているようです。



昭和55年5月 千葉駅にて

フィルムが違うのですが、デカ目ちゃんの列車番号が同じなので、上の列車が到着後に別のカメラで撮影したものと思われます。
折りしも別の普通列車が停車中に到着したため、並び写真となりました。
右側の列車は列車番号からすると外房線の普通列車で、編成は113系1000番代となっています。この頃既に品川開業となっており、横須賀線との乗り入れも間近でしたから、1000番代の冷房準備車の抜き取りや組替がおこなわれ、4連・6連の普通列車運用にも使われるようになったのではないでしょうか。


当時、全国的に見ても113系のスカ色デカ目というのは房総地区のみで見られる貴重な車両であったため、大回り乗車などの時、千葉駅や成田線などでデカ目ちゃんに遭うと喜んで写真を撮っていました。
ただ、フィルムスキャンで全ネガの調査を行いましたが、意外と写っている写真は少なかったです。まだ現像代に余裕のない高校生の頃でしたから、普通列車の写真には投資していなかったのかもしれません。

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昭和57年 懐かしの上野駅地平ホーム全景

2008-09-26 22:50:42 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
昨日は動揺を隠せなくなるほどのランキングポイントをいただきありがとうございました。
せっかくこんなにいただいたのに、1週間で終わってしまうのが勿体無いです。

さて、また最新ネタがなくなったので、懐かしネタをアップいたします。
我がFe4事務局長のlineさんが http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/265.html 上野駅地平ホームの懐かしい写真をアップいたしました。
カテゴリが無くて、いつどのようにアップしようか迷っていた上野駅地平ホームを撮った写真がありますので、この機会にパクリの如く便乗してご紹介しちゃおうと思います。


今日ご紹介いたします写真は、全景を撮ったもので車両とか小さく写っています。
なもんで、出血大サービス(どこからも血はでませんが・・・)で、期間限定の大伸ばしサイズでアップいたします。

画像をクリックするとかなり大きくなります。



まずは1枚目の写真です。撮影したのは、昭和57年の5月頃か10月頃、新幹線の開業の前だと思います。

高架ホーム12番線には、折り返し成田行きの103系常磐快速電車。もう時代的には後期に入る頃なので、冷房改造が実施されています。
その横下には16番線に停車中の583系「はつかり」がいます。583系の長大編成の特急列車は、こうして見ると貫禄タップリですね。この時代は結構な乗車率を誇っていました。
残念ながら17番線の列車は見えませんが、さらに18番線には東北本線方面の455系急行列車が止まっています。




そして2枚目です。橋の端の方へ移動したアングルです。
ちょっと時間がずれたからでしょうか、12番線の成田行きは居なくなり、11番線に103系常磐快速電車が停まっています。
17番線には485系ボンネット型「ひばり」、18番線には先程の写真と同じ455系急行列車、そして、19番線には485系ボンネット型「ひたち」の姿が見えます。

東北・上越新幹線の上野駅乗り入れ工事が盛んに行われており、20番線はなくなってしまいました。バックに写っている京成百貨店も懐かしいですね。今は○井とかになっちゃったんではなかったですかな。

このとき以来25年、この橋の上からの撮影をしたことはありません。大連絡橋と並行・併設で新幹線への乗換え口や移動・整備された浅草口など、かなり変わっているかもしれませんね。正直、想像がつきません。

当時、車両をクローズアップしない写真というのはあまり撮ることがなかったのですが、何故かこれらの写真だけは撮ってありました。新幹線に追われて消え行く在来線の特急電車たちを記録に残しておきたいという気持ちがあったのでしょうね。

事務局長の写真を是非ご覧下さい。 → http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/265.html

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