こんばんわ。
昨日は時間が無かったので、非常手段で寝台急行「狩勝」をお届けいたしましたが、実はキハ56系の急行「狩勝」をアップする予定でした。順番が変わってしまったのですが、今日は懐かしの急行「狩勝」をご覧下さい。
昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。
釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。
また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。
当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。
昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて
こちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。
キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。
キハ56形の200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴で、さらに写真では判りませんが冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。
昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて
上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。
こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。
昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボ
なんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。
昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて
同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。この写真がある意味初めて絵心のイメージが湧いて撮った写真じゃないかと思います。
なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。
※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。
急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。
辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。
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昨日は時間が無かったので、非常手段で寝台急行「狩勝」をお届けいたしましたが、実はキハ56系の急行「狩勝」をアップする予定でした。順番が変わってしまったのですが、今日は懐かしの急行「狩勝」をご覧下さい。
昭和55年当時ですが、急行「狩勝」はDCが3往復、客車夜行が1往復設定されていました。このうちDC急行は、札幌~釧路間を基本とし、下り夜と上り朝が帯広発着です。
釧路発着の1・6号は富良野駅にて富良野線直通の普通列車を釧路間で併結しています。
また、上り4号のみは根室~札幌を直通としていました。これは、急行「ニセコ」の上り1本が根室~函館に設定されていた頃からの名残で、札幌にて系統が分割されて「狩勝」となったものです。
当時はまだ石勝線が完成していない時代ですので、根室本線への列車は全て滝川経由となっていました。特急「おおぞら」も3往復しか設定がありませんでしたので、夜行含めて4往復設定されていた急行「狩勝」は、全ての列車にグリーン車も連結された、重要な幹線優等列車でした。
昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて
こちらはネガプリントからのスキャニング画像です。残念ながらブレてしまっていますが、キハ56形の213番ですね。
キハ56系はキハ58系の北海道版で、外観は窓が1周り小さいのが特徴です。また、グリーン車のキロ26はキロ28形のような2連の大窓ではなく、さらに1周り小さい1席1個の窓が特徴となっており、キハを含めて全て2重窓となっています。
キハ56形の200番代は最終増備車で、パノラミックウィンドウにスカート付きが特徴で、さらに写真では判りませんが冷房準備工事車でクーラー搭載予定箇所にフタがしてありました。※最終的には、廃車となるまで冷房化されることはありませんでした。
昭和56年3月 根室本線 落合~新得間にて
上の写真と同じ区間ですが、新得側からやや落合寄りの第1ターンとなる橋梁です。
こちらは番号が不明ですが、初期型のキハ56を先頭とする「狩勝」。全てが小窓で判り難いのですが、前から5両目のフレームギリギリに写っているのがキロ26形グリーン車です。
昭和56年3月 「狩勝」の愛称サボ
なんでこんなサボの写真をリバーサルフィルムで撮っていたのか疑問だったのですが、よくよく考えて見ると車体色がクリームと赤のツートンではありませんので、どう見てもキハ22に取り付けられたサボと言うことですね。「狩勝」には基本的にキハ22は使用されていなかったと思いますので、おそらく富良野線からの直通併結車両を目撃した際に撮影したのではないかと思われます。
昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて
同区間を撮影場所を探しながら歩いていた際に撮影したものです。コレは列車を撮るために待っていたのではなく、前を歩いていた親子が大変絵になるスタイルだったのと、そこに偶然この列車が通り掛かったので思わずシャッターを切ったことを憶えています。この写真がある意味初めて絵心のイメージが湧いて撮った写真じゃないかと思います。
なお、この写真、もしかしたら急行「大雪」かもしれないことをお含みおきください。
※編成的には「狩勝」で間違いないと思いますが・・・。
急行「狩勝」は、ご多聞に洩れず特急化の波に飲まれ、尚且つ石勝線の開業と言う一大プロジェクトのアオリもあって全て特急「おおぞら」に吸収・格上げされて消滅いたしました。
辛うじて根室本線の快速として「狩勝」の名前が残っていましたが、そこには急行時代の優等列車としての面影は残っていませんでした。
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55年当時でしたら落合~新得間は日本一駅間距離の長い区間でしたね。移動もたいへんだったでしょう。
ここを駆け抜ける狩勝も当時としては普通だったのでしょうが長編成で勇壮ですね。
つばささんにしては珍しい人が主役の写真、子供の赤い服と雪の白のコントラストにゲージュツポイントぽち!
その頃は確かに日本一でしたね。でも全区間踏破するなんて到底無理ですから、行動範囲は徒歩1時間圏内くらいだったような気がします。当時は地図を持って行動していたわけでもないので、後で線形を見てガッカリしましたね。方向を変えて歩けば距離的にずっと先まで行けたんです。それくらい蛇行しているんですね。
撮影できる列車の本数も少ないので、1行程で2日間行きました。いずれ色々アップすることになります。
人がテーマも良いですが、今は肖像権なんかもありますから、そういう意味では当時の方が大らかだったですね。その気になっても、今は人をテーマにするのが逆に難しくなったように思います。
キハ22だけの急行も結構ありましたよね。車内設備的に言えば56と比較してもあんまり変わらなかったような気がします。シートピッチとか違うんですかね。
タッチの差でしたね。コメント書いて寝ちゃいましたんで今気動車の狩勝を拝見してますが。
キハ56のモデルチェンジ車が先頭ですか、これは台数も少ないし貴重じゃないんでしょうか。56,27の急行時代はキロ以外冷房化されたものは無かったですね。
落合-新得間は時刻表では20数キロの駅間距離ですが真冬にここを移動されたんですか?
北海道の急行は56が幹線、22がローカル急行または増結車みたいな感じと思います。
母子の画像女の子(たぶん)の赤、56の雪煙がよく効いていていい絵ですね。
なんかこういうの見てると56が1台でいいから欲しくなりますね。22があるんで2両でしれとこあたりでも。
編成に特徴があったりするといつまでも憶えているんですけどね。北海道で言えば、旭川や札幌辺りで撮った写真は何だかわかりませんよね。特に北海道は、自由席のみの急行だと時刻表に編成も載らないんですね。
この間の北陸も特急が何だか判らなくなってしまうので、時刻を手帳にメモしておいて、チェックしながら撮影していました。
キハ22も室内は急行仕様と大差ないですが、強いて言えば車体幅が窓際の肘掛けの分だけ広くなっていますので、座った時の幅の余裕に差が出ますね。でも、テツじゃないとその程度の居住性に気付く人は少ないでしょうね。
今日は本当に寒かったです。朝から冬物の上着を着て過ごしました。
寒いと言えば、この時も凄かったですね。天気が良かった分助かりましたが、朝買っておいたカツサンドは霜が降りてジャリジャリするし、カップラーメンのお湯を雪から沸かしたのですが30分も掛かりました。民家も殆どありませんので、吹雪いていたら遭難してもおかしくありません。
キハ56の200番代は14両しか製造されていないようですね。写真の車両は最終車ということになります。そんな貴重だったんだ・・・今まで知らんかった・・・。
私が乗った「しれとこ」もキハ22の2両編成でしたね。乗客で席が無くて座れなかったのが私だけ・・・誰とは言えませんが凄く恨みました。本当に私だけ席が無かったんです。
夏場だったので、窓を開けて爽快な北海道の風を浴びてました。
サボ、自分も撮ってあるのでTBさせていただきます。
ワイド周遊券の強い友、急行ポチ!
夏の窓全開さわやかポチありがとうございます。
写真でもお判りのとおり、極限の寒さでございます。この頃は-10℃以下は当たり前でしたが、2年連続渡道していたので馴れはありました。
冬の北海道も良いですぜ!へっへっへっ・・・
トラバもありがとうございます。
幼い頃に乗ったキハ56形、確か木の床だった記憶があります。紺色のボックスシートの車内が思い出されます。
随分と長い編成で走っていたのですね。グリーン車までついて、優等列車然とした姿が魅力的です。
この後を継いだ特急列車のキハ183系やキハ283系も引退とは、本当に時の流れが速く感じられます。
厳寒の北海道では、車内保温性や滑り防止や凍結防止の
ためか、特急車を除いてほぼ木製の床が使用されていま
したね。北海道でも空調を完備した車両が増えてきて、
保温や除湿ができるようになり、木製床も見られなくな
りました。
当時は特急が3往復しかありませんでしたから、やはり
主力は急行列車にあったと思います。このあとすぐに石
勝線が開通し、時代は特急列車へと代わっていきました
ので、優等車連結編成の最終期でした。
この時代、ローカルを含めてあれほどあった急行列車が
1本もなくなってしまうとは想像できなかったでしょ
う。