マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

103系「京浜東北線」:こんな字幕もあったんだ?!

2008-02-29 02:05:34 | その他電車
今日は邪道系のネタです。

行先表示と言えば、字幕式や電照式、最近ではやたら明るい発光ダイオードが出てきました。
デジタル表示のものは、必要なものを瞬時に設定できますので、切替えに時間も掛かりませんし、異動や新規・変更の際に新しい幕を用意する必要が無いなどの利点があり、コスト面から見ても主流になりつつあります。

でも昔は、終点や基点の駅でいわゆる「方向幕」を回転させたときに、普段は見られないようなヘッドマークや行先が出ることがありますので、デジタル式には無い楽しみがありました。

今日ご紹介いたしますのは、今は無き京浜東北線の103系で『え!こんなのがあんの?』みたいなのが出てきましたので、ご覧いただきたいただきたいと思います。



まずは、スカイブルーの「赤羽線」です。首都圏にお住まいでない方にはピンと来ないかもしれません。
赤羽~池袋間の線路を指し、現在は埼京線としてスルー運転されておりますが、この区間の正式名称は「赤羽線」であります。もう少し時代を遡ると、この区間は「山手線」でした。
赤羽線は比較的遅くまで101系が運転されており、赤羽駅で新幹線の工事が始まる頃、一気に103系に置換えになりました。山手線のカナリヤ色101系を使用していた由来から、103系導入時においてもカナリヤ色を使用していましたが、車両が足りないためでしょうか、当初はウグイス色編成や先頭車のみウグイス色といった編成が使用されていました。しかし、スカイブルーの「赤羽線」が運転されたという話は聞いたことがありません。
赤羽線の混色編成に関する資料は、過去ログをご参照下さい。
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/111.html




さて、こちらは「根岸線」の表示です。
京浜東北線に乗っていると、大船行きなどは特に「根岸線廻りの大船行きです。」という車内放送を聴くことが多いと思います。
ご存知のとおり、「京浜東北線」という路線は昔から存在しません。大宮~東京は東北本線、東京~横浜(昔は桜木町)は東海道本線、横浜~磯子経由~大船を「根岸線」と言います。
もし、行先表示をしないで横浜~大船を往復する電車があれば、この「根岸線」という表示をする可能性もあったのでしょうが、基本的に横浜始発の京浜東北線というのは聞いたことがありません。とすれば、やはり行先表示をするのが常となるでしょうから、結局は出番がなかったのではないかと思います。

この写真は、赤羽駅折り返しの電車を見ていたときに回転させていたもので、面白くて撮っておいたものです。これを目撃したのが大人になってからでは、おそらく写真にまで撮らなかったと思います。
209系を含めて字幕式が淘汰されまくりの時代。このようなハプニングを楽しめる期間も、もう僅かかもしれませんね。
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国鉄型直流電機:EF10(line様からのリンク)

2008-02-28 20:12:36 | 国鉄・JR機関車(直流型)
昨日アップしたEF10の記事に関連して、Fe4メンバーのlineさんから「EF1036」の記事をアップしていただきました。
貴重な写真ですので、このリンクから是非覗いてみて下さい。

http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/157.html
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国鉄157系お召編成:クロ157

2008-02-28 01:40:13 | 特急型電車(直流)
今日は、157系お召編成の写真をご紹介いたします。

昭和51年に定期運用が外れてしまった157系。引退が早かっただけに、私的には殆ど記録が残っていませんが、お召電車クロ157を含む編成(クモハ157-1+モハ156-1+クロ157-1+モハ156-2+クモハ157-2)はその後も暫く生き長らえたため、写真を撮る機会がありました。
しかし、年齢も若いときのため、絵的には良いものではありませんが、まあこれしかありませんのでご覧いただきたいと思います。






以上3枚とも 昭和52年 東北本線 蕨~西川口間にて

那須の御用邸に陛下(昭和天皇)を送った帰りの回送列車です。お召列車ですから、もちろん新車のようにピカピカです。
クロ157は4枚折り戸が特徴で、当時は他に類を見ない、一般人には憧れのドアです。
形式上は急行形ですが、塗装や当時の用途からすれば特急用と言って良いでしょう。そういう意味では、東海顔低窓の特急車というのも唯一のスタイルとなります。





以上2枚とも 和53年 東北本線 蕨~西川口間にて

こちらは翌年の撮影となりますが、どうも中に人が乗っていて陛下もご乗車されているような気がします。何故かといいますと、回送の際にはクロ157の横っ腹についている菊の御紋を外すのですが、このクロ157にはしっかり付いています。ただ、殆ど記憶に無いのですが、このときに警備が沢山いたような気がしないのです。その証拠に、子供達が線路に相当近寄って遊んでいますので、当時のお召警備だと完全に排除されますから、状況的に不自然なんですね。

もう当時の記憶もありませんから、どうでも良い話ではあります。

しかし、ヘッドマークの付いた157系は大変良いスタイルをしていると思うのですが、ヘッドマークを外してしまうと何でこんなおマヌケな顔になってしまうんでしょうね。これは鉄道車両のデザインの中でも七不思議にランクインするのではないでしょうか。
鉄道ファン誌で見たことがありますが、かつては「白根」のヘッドマークを付けたままお召列車が運転されたこともあるようです。

これから間もなく、牽引車が183系となり、さらに185系に代わった際には、クロ157は塗装まで変えられてしまいました。その後のクロ157を撮影した記憶はどうもありません。

157系お召につきましては、Fe4のメンバーでありますシービーさんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%A3%B1%A3%B5%A3%B7%B7%CF&sk=0 でも紹介されていますので、是非ご覧になってみてください。
コメント (12)
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国鉄型直流電機:EF10(13・30号機)

2008-02-27 06:50:48 | 国鉄・JR機関車(直流型)
昨夜はスキャニング途中にダイヤ改正までの撮影予定をたてようなんて思っていたら、いつの間にか寝てしまいました。気が付いたら5時過ぎ。風呂にに入ってやっと覚醒してきました。

さて、今日も直流電機ネタになってしまうのですが、数少ない旧型電機の写真の中から、これまた数の少ないEF10をご紹介したいと思います。

大正時代までは、国内の電気機関車は基本的に輸入機を使用していましたが、大型旅客機であるEF52から国産を手掛け、昭和1ケタの時代、技術の確信とともにEF53やED16、そしてF形貨物機のEF10と量産が行われました。

当時はまだ量産といっても手作り的製造となりますので、現代のように何百両とまとまって製造することはできませんから、同じ形式でも何年かに亘って生産されるため、同じ形式でも形がかなり違うケースがあります。

EF10は、1次形がEF53と同じリベットのあるヒサシ付きの古いスタイル、2次形はEF56前期と同様半流線形の丸形、3次形~がEF56後期のRのあるやや角ばった箱形となり、旧型電機EF15までの標準的なスタイルが確立しています。

また、台車は当時一般的な足回りを採用しているほかに、鋳鋼製の変わったスタイルの台車を履いているものも存在します。時期はズレますが、EF58の先台車にも同じ現象がありました。



昭和51年7月4日 立川機関区にて 一次形 EF1013

ED16の写真を初めて撮りに行ったとき、立川機関区で休んでいたものです。
ホームと留置箇所が余りにも接近しすぎて、全体像を撮ることができませんでした。
ED16とともに、EF53の車体の面影を残す、貴重な形態でした。



昭和51年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF1030

号数は不鮮明なのですが、拡大してみると32号機のようでした。←に見えたのですが、金太郎さんのご指摘により、30号機のようです。ので、訂正させていただきました。
EF56の後期形と同じ形状の車体をもつ、一般的なスタイルです。
この車両は鋳鋼製台車を履いており、足回りから独特な雰囲気を醸し出します。

世の中の写真代がやっと安くなってきたのがちょうど昭和51年頃で、それまで写真の枚数があまり撮れなかったことや、茶色い貨物機に興味がまだ行っていなかったので、結果的にEF10の写真は殆ど残っていません。
2枚目の30号機を捉えた時点ではEF10の写真を狙っていましたが、EF12と合わせて既に殆どが首都圏から消えてしまっていた頃で、EF13や15の天下となっておりました。

子供の頃の写真なので、残す記録というものに限界がありますが、あと2年でも違っていれば、もう少し良い形で記録が残せたのではないかと思うと非常に残念です。
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さようなら!EF651001「北海ライナー」を牽く雄姿 

2008-02-26 01:25:22 | 国鉄・JR機関車(直流型)
私の年代で、北関東在住の鉄からすると、EF65と言われて真っ先に思いつくのは、貨物機でも東海道の花形のブルトレ牽引機でもなく1000番代、いわゆるPF型ではないかと思います。

確かに、東海道本線でヘッドマークを付けて華々しく駆けて行く500番代も魅力ですが、当時のEF57や58に比べて、特急「あけぼの」や「つばさ51号」に優先的に充てられる”特急牽引機”という花形スターは憧れでした。
旧型旅客機のように電機暖房装置(EG)を持たないため、貨物か20系・14系といった特急車両にのみ運用されることから、茶色い客車を牽く機関車よりも圧倒的な”格好良さ”がありました。

そして、さらにその”格好良さ”に輪を掛けたのが、コキ10000形コンテナを20両も引き連れて疾走する札幌行き「北海ライナー」でした。

50両を超える初期PF型でも、運次第でしかあたることの無かった1001号機は憧れ中の憧れであったに他なりません。

宇都宮運転所の英雄として在籍していた1001号機。貨物合理化、国鉄分割民営化の余波を受け、関東から一時期は遠ざかってしまいましたが、いつの間にか舞い戻っていたんですね。しかし、その1001号機もとうとう引退のプレスがされたそうな。残念ですが時代の流れとしか言えません。

東北本線で「あけぼの」牽引と並んで花形運用だった「北海ライナー」を引くシーンをたった2枚ですが押えてありました。
「さようなら」の言葉の代わりに、その功績を称え、ここにその雄姿アップいたします。






2枚とも 昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて
「北海ライナー」を牽引するEF65 1001号機

コメント (7)
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