2月28日(金)
朝、目覚めると真っ白な霧が立ち込め、とても視界が悪そうだった。
昨夜は雪の予報だったが、小雨が降っており、
きっと雪面はグチャグチャしていて良くないだろうと思った。
しかし、いざ滑り始めると気温が低いせいかどこもここも凍りついており、
私のもっとも苦手なアイスバーン状態だった。
風も強いので寺子屋はスキップして、
一の瀬のファミリーゲレンデの横にあるS字のゲレンデに向かった。
昨日は難なく滑れたものの、嫌な予感がして
初・中級者コースに迂回をしようと思ったが、
夫はもう先に入ってしまった。
仕方なくついて行ったが、恐怖のため、
急斜面で腰が引けて転んでしまった。
仰向けで、すごいスピードで落ちていくのが分った。
怖くて目も開けられない。
昨夜、圧雪した上に雨が降って、
そのままコース全体が凍ってしまったらしい。
突然、誰かが引き止めてくれた。
正之さんだった。
しかし、一瞬止まったものの、彼のスキーの上を越えて
彼を引き倒し、すぐにまた滑り落ちて行った。
そして、しばらくすると、いとさんが私を止めようとして下さったが、
これもまた、彼を倒してそのまま滑り落ちて行った。
今度はしっかり目を開けて周りを見ていた。
このまま行けば、間違いなく谷に落ちてしまう。
スキー板で何とか止めようとしたが、間違うと骨折をしてしまう。
足を上に上げて、板のテイルを雪に立てるようにし、
頭をゲレンデの中心の方に向けるようにしながら落ちて行った。
かなり落ちてから、大さんと黒さんが二人がかりで受け止めて下さった。
100m近く落ちたらしい。
一番初めに下りて、この様子を下から見ていた夫は、
このまま行けば私は谷に落ちてしまうだろうと心配したらしいが、
途中から、カーブをしながらゲレンデの中の方へ戻ってきたので、
少し安心し、
かえって、私に飛ばされた正之さんのことが心配だったらしい。
3人の上級者は皆ヘルメットを被っていらした。
一番心配だったのは、
私がヘルメットを被っていないことだったという。
そして、いとさんは「片山右京さんが山で遭難をして、
滑落をした友人を見捨てなければ、
自分も死んでいたに違いない、
という経験をされたというが、滑落というのは
こういうことなのかと思いました。」と言われた。
幸い、誰も怪我はなかった。
その後、焼額山を経由して、
奥志賀までツアーをしながら滑ったが、
この辺りは濃い霧のため雪面が見にくく、視界は7~8m、
コースをよく知っている夫が先頭に立ち、誰もはぐれないように
スピードを落としながら前の人を追った。
本当に辛いスキー行だった。
ホテル・グランフェニックスのレストラン、
ラ・ステラ・アルビーナで昼食を取った。
4人の命の恩人たちは心なしか疲れて見えた。
休憩の後、ホテル・ベルグのあるジャイアントまで滑って帰ってきたが、
私のショックを考えて、5人の騎士たちは私に寄り添い、
最後までしっかりサポートをして下さった。
奥志賀には皇族がお使いになる通称「愛子さまゲレンデ」がある。
「5人のSPに守られて、愛子さま気分だったでしょう。」と
口々に冗談を言い、笑いに変えて下さった。
その夜、いつもお米を送っていただいている三ツ和農産の清水さん、
ベルグでおいしいお料理を作って下さるシェフの相川さんもいらして、
楽しい酒盛りが続いた。
皆様、本当にお世話になりました。
私達は明日午前中に帰途に着き、
4人はお昼まで滑って帰宅されるという。
来年こそ、ヘルメットを用意しなければ・・・・・
自分がどういう状態か、どこにいるのかも分りませんでした。
幸い、何度か滑ったことのあるゲレンデで、形状が分っていましたから、
このままでは谷に落ちてしまうだろうと予測出来たのです。
落ちたくない、死にたくない、怪我したくない・・・と必死でした。
決して「沈着」ではなかったのです。
落ちている自分も必死でしたが、他の方達も本当に御心配だったことでしょう。
「結果・・・・・良し。」でした。
千草さんの作陶展、小木曽さんの写真展、ずっと気になりながら、アップできませんでした。
ヨーロッパの記事がようやく終わった途端、スキーの暴風雪・・・・。
今年は順調に書かなければいけませんね。
テニスもスキーもお花も才能がないのでなかなか上達しませんが、
継続は力、下手の横好きとも言いますから、
もう少しがんばってみようと思っています。
いつか御一緒したいですね。