蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

命のバトン

2025-01-18 | 人生
若い頃、いったいわたしは、何をしていたんだろう?
たいして特別なことはしなかった。
元々、温度が低いのか。
はしゃがない、浮かれない、騒がない、落ち込まない、悲しまない、、、喜怒哀楽、感情が乏しいのか。
冷めているのか。
さほど熱くならない。

せめて、思いっきり遊んだ記憶とかあったりすると、ワクワクするけれど。あまり思い当たらない。
黒歴史なら、どんより思い出されるが。

ディスコには一度も行ったことがない。
雰囲気と人種が嫌い。
かと言って、登山だとか、スポーツとか、爽やかに汗を流す系、そういうこともしたことがない。
何かに熱中したことがない。
淡々と、粛々と。低温。
いつも待ち時間。
計画通りの人生を歩むために、時間調整していたような気がする。

休まず遅れず働かず、、、という、シラケっぷりか?
何かに一生懸命、取り組んだことはあるか?

客観的成果はさておき、自分なりには、ある。
子供の頃は、道を踏み外さず、最低限のことは頑張った。
厳格で短気な父と、パワフルでヒステリックな母。(2人共、前向き)
(幼い頃は別として)家ではいつもヒリヒリしていた。安らぎはなかった。
やがて成長し、自分が最も自分らしく生きていくため、行く道を決めた。
大人になってからは、家庭を持ち、仕事もし、子供を産み育てた。
(とりあえず今は)孫5人。
老年には、趣味に明け暮れた時もあるが、今は、ひたすら、だらだらしている。

美味しいもの、旬のもの、地場のもの、希少価値のあるもの、手のかかったもの、高価なものは、あれこれ食べる機会があり、味は知っている。
だが、好物の一つは、お好み焼き。
中学、高校の時に、学校からの帰りに食べたお好み焼きが大好きだった。
だからといって、今、しょっちゅう食べるわけではないが。
最後の晩餐は、炊き立て白米か。
孫たちも大好きな、白ご飯。

外国には行ったことがある。
良いとこ取りの、上澄みの綺麗なところにしか触れていない。
だが、ホームステイで体感した、一般の日常も真実である。
その水面下にある、各国の深刻な面、悲惨な面は、存在を知りながら、触れないようにしている。
火の粉を被らないように保身、保全。
渦中に身を投げ出して、火中に栗を拾いに行かない。
世界のために戦う行動には移せない。
キョウイク(今日、行く)もままならないわたしなど、足手まといになるだけだ。
悪人でもないとは思うが。どちらかと言えば、善人寄り。
出来ることと言えば、地球温暖化抑制やSDGsを意識して、実践、取り入れる生活をすることぐらいか。

今までの人生、やりたいことは、やった。
というか、そもそも、やりたいことはあまりない。
やろうと思えば、もっと素晴らしいことはいくらでも出来た、、、が、しなかった。
悔いはない。
可もなく不可もなく。
中庸な人生。
真ん中だとしても、不幸ではなく、とても幸せ。
満足している。
ただ、人様のお役には立てていない。
自分が生きるのが精一杯。
それは不甲斐ないかも知れない。
が、迷惑はかけていない(はず)。
プラスでもマイナスでもなく、時代を跨いで先祖から今日へ、現在から子孫へと、命のネットワークを繋いだ。
これで十分だと思っている。
そう言えば、若い頃、究極の自分の道を決める岐路に立った時、同じ結論に至り、進む道を選んだ。
自分の存在意義を自問自答した。

さて。
少し健康寿命が余っている。
これをどう使うか。
贅沢な選択を前に、何もしない終極の贅沢を日々、味わっている。
毎日毎日、残り健康寿命が刻一刻と短くなっているが、重々にわかって納得して、何もせずに楽しんでいる。

ちなみに、これは「暇」とは言わないそうだ。
人生の次の時期に進んでいる、とでも言うのか。
遊行期を目前に控えた、林住期。
消滅する前の自由時間。


※写真は長女一家からの岡山(等)旅行のお土産。
前向き桃太郎クッキー、
高梁紅茶(生姜味)、瀬戸内レモン・ホワイトチョコ、桃太郎マスキングテープ。

昨日に引き続き、わたしも平気でこんなモノをブログ写真にアップするようになった、、、
もはや、ブログは忘備録。(開設当初から?)
だが、特別でない日常こそ、楽しみや幸せが詰まっている。


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