蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

家事をしない人

2025-01-10 | 暮らし
わたしの夫。
家事は全く全く全くしない。
生まれた時から。
たぶん、死ぬまで。
それは、兄も同じ。
それでも、ちゃんと暮らしていける。
不思議なような、オカシイような、どこか間違っているような。

ある程度の年齢の男性はそういう人は多いと思う。 
田中角栄がトイレ掃除とか、してなさそう。
だれが、家事をしているか?
家族または、使用人。
昔はそういう時代。

父や舅、祖父は、家事と言えるようなことはしていたと記憶する。 
掃除や修理、ゴミの処理、、、など。
人によるのか?

一人暮らし男性は、自分で家事をする。
きちんとこなす人もいるし、ゴミ部屋の人もいる。
女性もゴミ部屋の人もいるようだが。

昔、行っていた飲食店の、ある常連、高齢の大工棟梁。
奥さんをとうに亡くし、息子の嫁さんに、家事をしてもらっている。
「俺、洗濯できんから、、、」と棟梁。
「洗濯機がありますやん」とわたしが言うと、「よう使わん(使い方がわからん)」と。
ボタンひとつなのに。
あのかんじでは、到底、スマホやインターネットは無理だろう。
息子の嫁さんの手を煩わせることに、なんの抵抗もないことには驚いた。
棟梁は、寝たきりでもなく、健康そのもの。
飲みに出歩ける。
食事も、家事全てを息子の嫁のお世話になっているようだった。
他人の家庭だから、わたしには何の関係もないが。

その棟梁は、父世代。
兄や夫は、わたしと同じ世代。
家庭環境と、家族の意識のせいで、あんな人間になってしまった。
家事をしない、非・生活自立人間。
生活を共にしながら、ちゃんと教育できなかった、躾られなかった自分(わたし)の不甲斐なさを嘆く。
小学生でも、ちゃんとやっているのに、、、。

姉の夫は、家事はバリバリ。 
何でもかんでもしてくれ、姉は超楽ちんらしい。
料理は姉のほうが得意だが、頑張って挑戦中のようだ。
やはり、自分(わたし)に甲斐性がない。
あんな非・生活自立型夫にしてしまった自分、情けない。 
あんな人を残して死ねない、、、とは思わない。
そこは、わたし。敵も敵、わたしもわたし。
わたしがいなくなっても、家事などするわけがなく、ゴミ部屋にして、見るに見かねた娘たちが、なんとかするに違いない。
娘たちに迷惑をかけることになるが、本人は迷惑を掛けているだなんて思わないことだろう。
とは言え、娘たちはどう対応するのか、見ものではある。
令和の対応。

だが、夫を家事無能力者にしてしまったのは、やはり、わたしのせいか、、、。
娘たちに恨まれるかも知れない。
ちゃんと「立つ鳥跡を濁さず」にしないで、わたしがさっさと無責任に先にあの世に行ってしまったら。

だがしかし、大のオトナ。
実際のところ、わたしは手を放している。
自分とは関係ない。
人に迷惑を掛けていることぐらい気づかないのは、本人のキャラクター、個性、能力の無さ。
人に言われて気づくようでは、終わっている。
お金があっても、一人で暮らして行けないのは、かなりエグい。
死ぬまで気づかないなら、ずいぶん幸せ者である。
健康、お金、家族、、、以外の、また別のジャンルである。

健康寿命に翳りが現れたら、こんな悠長なことは言っていられない。
家事がどうこう、それどころではない。
まだ健康を維持できている今だけの贅沢なボヤキだろう。

ではあるものの、それまでの行いの積み重ねは、病気などで事態が悪化しても、わたしのこころの底に根強い意識として横たわっている。
だとすると、健康なうちに、理想的な行いをしておくほうが、精神的助けになる。救われる。
自分が我慢していると、それはやがて恨みに変わり、ろくなことがない。

食べかすを散らかしたり、こぼしたり、部屋などを汚される度に、ものすごくイラッとするが、自分はホテルの清掃員だと思えばよいのかも知れない。
深呼吸。
が、まだお互い健康なので、老人施設の掃除係には、なおかつ、なれない。

事態は必ず変わるので、良いことも悪いことも、今だけのことだ。
無常。





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