蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

住まい

2014-07-10 | 日々のこと

お隣のアカペラ ソプラノ歌手は、今日も歌声が続いている。
ひょっとすると、お隣の奥さんか?
すごぉ~い。
わたしは、芸術をある程度、解するので、プラス評価をするが、
人によっては、「うるさい」と感じる方もおられるかも。
わたしには、不愉快でないBGM。

車や、喧騒の音、生活の迷惑音、騒音より、ずっとずっといい。

今、住んでいる家は、静かである。
時には、小鳥のさえずりさえ聴こえる。

いささか、都会から遠く、不便ではあるが、
日常的に都会にどっぷり浸りたいわけでもない人にとっては、快適かも知れない。
けれども、この地から大勢の人々が(我々を含め)都会に通勤、通学している。
遠方からこちらに通学している学生も少なくない。
だが、我が家の近くにスーパーがない。
それは、ちょっと面倒ではあるが、致命的ではない。
しかし、一人住まいのお年寄りたちは、どうされているのだろう?


交通の便が非常に悪い、田舎の実家は、大型トラックなどが通る幹線道路沿いにあって、
道路側近くの部屋に居ると、時折、車の振動や音が気になる。
あんな田舎なのに、なんで、車の騒音に悩まされる?
ちょっと悲しくなる。
中途半端な土地に、実家は位置しているのだなあと思う。
まるで、僻地にあって、しかも、駅から徒歩30分のマンションのよう。
マンションは、立地が命。
マンションなのに、交通の便が悪いって、・・・??

とはいうものの、そんな理想通りの住宅に住んでいる人ばかりではない。
発言には要注意。

理想の住まいに住むというのは、なかなか至難である。
なぜなら、高い。
物件も高いが、維持費も高い。税金も高い。
住民のプライドも高く、敷居も高い。

とある知人は、京都生まれの京都育ち。学生時代も京都。
人生の半分を京都で過ごし、その後、芦屋に移られた。

「素敵ですね。両方とも上品な憧れの地じゃありませんか」
と、わたし。

「そうでもないですよ」
その方はおっしゃる。
とくに、「芦屋」は、首を傾げ、う~ん・・・と、沈黙の時間。

やはり、多くの人は、自分が生まれ育った地に愛着があると思われる。
その地が、どんな僻地であったとしても。

芦屋は、あまり歴史が長くない。
高級住宅地として定着し始めたのは、明治以降である。
おそらく、京都出身の方には、理解に苦しむようなことがあるのだろう。

どの世界に住んでも、その世界ならではの苦労や悩みはある。


自分の身の丈に応じた暮らしが、いちばん、心地よいと感じる。

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