蝶ブログの最初のあたりを、ただいま、製本化、準備中である。
なんと、鼻持ちならないことばかり表現していると、わが目を疑う。
自分でも目を背けそうになった。
そりゃあ、あんな内容なら、元同級生は、嫌になって読まないはずだ。
ほとんど、自慢。
しかも、まあ、たらたらと。行間から、あふれ、滴りこぼれている。
嫌味ったらしいこと、嫌味ったらしいこと。
もっと書きようもあるだろうに。
しかし、当時は、まるまるそう思って、茶化しもせず、まじめに書いている。
そのまじめっぷりが、意識なき浅はかな愚かさを増大させている。
(とはいえ、書いていることは、今日や昨日と大差はない)
あれで、閲覧数がある程度あるとすると、たいした驚き、びっくりものだが、
(証拠はないが、おそらく、一桁ぐらいではないかと推測する・・・)
閲覧数に関しては、安心することに、心臓に悪くないことになっている。
というのは、当初、閲覧数には目もくれず、まったくデータが残っていない。
閲覧数自体、存在するということを知らなかったのではないかという疑惑さえ浮かんできた。
閲覧数をチェックし始めたのは、ブログ開始2年後ぐらいからのようだ。
ブログをアップしていて、2年間も閲覧数をチェックしないというのも、すごいことだ。
完全に、完璧に、書くだけの世界にどっぷり浸かって、自己陶酔しきっている自分がいる。
我ながら、おそろしくて、固唾をのむ。
こうなれば、一日もはやく製本を完結して、はやくブログを消滅させねば。
いやはや、赤面というよりは・・・なんですかね・・・表現する言葉すら見当たらない。
そうこうして、徐々に自分のアク抜きをしていったのだろう。
わたしにとって、アク抜きは、不満や愚痴ではなく、自慢だったようだ。
ああ・・・なんという・・・。
(しかしながら、自慢は根強くベースにあり、それをあえて表現するか、しないか、であり、
本質は変わっていない)
上澄み液を捨てていって、さあ、自分のこころの深部、底にはなにがあるのか?
それが見えてくるには、やはり時間がかかるようだ。
自分と向かい合うには、書いて書いて書いて、アタマとこころの整理が必要だと想像する。