わたしには、両親がいる。
父は他界、母は、おひとりさま。
わたしは、この両親と結婚するまで一緒に暮らし、彼らに育てられた。
嫁いで初めてあちらの義・祖母(姑の姑)に言われた。
結婚してからは、義理の両親に育てられた(ようなもの)。
婚家で学んだことを、今、実母に逆輸入している。
婚家での、当時、腑に落ちないことや、大嫌いなことも、
今では、よかったんじゃないかなあ・・・と感じるようになった。
従うべきことを全部否定して、反論して、逆らうこともできた(はず)。
でも、わたしは、しなかった。
できなかった、のかも知れない。しなかったのかも、知れない。
婚家も義父は他界し、義母は、おひとりさま。
実母と義母の年齢の違いは、たったの1歳である。
しかし、彼女たちの人生には、微妙なアップダウンがあり、
この「おんなたちの人生レース」は、今、実母を義母が追い抜かした。
勝因は、日々の心がけ、行いの積み重ねなのか、時代の流れなのか、まったくの、たまたまの偶然なのか。
はたまた、全部か?
義母の、黒田官兵衛のごとき、戦略勝ちかも知れない。
今、実母に、ちょっとずつ、その戦略をアドバイスしている。
しかし、人には「合う」「合わない」がある。
彼女たちの性格は、まったく逆だから適応しないかも。
逆に、意外にぴったり、的を得ているかも知れない。
姉は、姑さんに苦労した。
人生の半分~3分の2近くを疲弊したと思う。
でも、旦那さんが良い人だから、足して引いたら、幸せのほうが上回る。
わたしは、重箱の隅をつつくような、つまらないことで夫にケチをつけるものの、
それは生活のスパイスである。
あふれる幸せを、実母にリターンバックしようと思っているぐらいだから、やはり、それぐらい幸せである。
昨日も、実母に、恥ずかしげもなく言ってしまった。
「わたしが幸せになれたのは、おとうちゃん、おかあちゃん(実母)が、ちゃんと育ててくれたからやで。
ありがとう。感謝してる」
(わあ、美談!
出来すぎで、気持ち悪い、安モノのホームドラマの脚本みたいになっている。
あるいは、結婚式で読み上げる、両親に捧げる謝辞メッセージ作文!?)
母は、わたしが言ったことの意味が、わかっているのか、わかっていないのか、わからない。
そういう母の状況にならなければ、こんな、気恥ずかしいセリフは決して言えない。
実母が、肉体的にも、精神的にも、権力的にも、強い時は、
とてもそんな気持ちにもならなかった。
わたしも、年をとったということだ。
これを書いて、ふと思ったが、キャストに夫が出てこない。
ひょっとして、これからは、わたしが夫を育てる???
固く辞退、遠慮申し上げたい。
わたしは、そんな器ではございません。
「ほんとうは怖いグリム童話」のごとく、
幸せの裏には、死ぬまで続く苦悩があり、
幸せを裏側から、しっかり強く支えているのだろうか。
そうやって、幸せは成り立っているのかも知れない。