はじめて訪れた、とあるブログ。
涙が頬を伝った。
わたしは、こういう路線に弱い。涙腺、大全開。
幼い頃の家族の光景が書かれていた。
今は亡き、ご両親と、妹さん。
お父さんの服装、いでたちがノスタルジックな風情を醸し出していた。
ちなみに、今、3歳になる、口のよく回る、記憶力抜群の我が孫。
(記憶細胞が毎日どんどん死んでいく、にぶいアタマのわたしから見ると)
彼が1歳前後の頃、まじっと彼の顔を真近で見て、なんと純粋な顔だろう・・・と涙が出た。
まざりっけのない、自然の彼は、知恵もなにもついていない。
かわいい、を通り越して、美しいと思った。
人は成長していくにつれ、自分を守る技を身につける。
身につけなければ、生きていけない。
その手助けをしてやるのが、親の役目でもある。
そんな教科書に書いてあるようなことは、十分わかっているが、
純粋なものは心惹かれ、吸い込まれそうになる。
それだけ自分のこころが濁っているのかも知れない。
純粋な彼の目に映るわたしは、どんなものなのだろう。
彼の目には、わたしが映っていた。
鏡を見るように、そこには、わたしの顔があった。
わたし自身が投影された姿だ。
だが、彼の目は鏡ではない。
彼自身が持つ目だ。
1歳では、彼の記憶にはまったく残っていない。
だから美しいのか。
理屈付けできない、わたしがいる。
さて、前述の、そのブロガーさんが幼い頃のシーン。
ご自分で覚えておられるので、1歳やそこらではないはずだ。
わたしも、祖父のお葬式の1コマをはっきりと鮮明に覚えている。
命日から計算すると、当時のわたしは3歳6ヶ月である。
現在、上の孫は3歳1ヶ月だが、似たような年齢だ。
祖父が亡くなる以前の様子もしっかり覚えている。
亡くなる直前などではなく、もっとゆるやかな時間が流れている頃だったと思う。
話したり、受け答えや、やりとりした記憶がある。
よく、祖父の臥している部屋に行って、お菓子をもらっていた。
祖父は、わたしが行くと、新しくお菓子の袋の封を切ってくれた。
ということは、現在の上孫の年齢の頃には、
わたしという人物は、もうすでに彼の記憶の箱に仕舞われているということだ。
幼い頃の田舎での風景、光景、今も目に浮かぶ。
蝶ブログにも何度も書いている。懐古趣味か。
何度か、大改造はされているが、ベースは同じ。
現在もなお、全く同じところに、同じものが、同じようにあるので、とても不思議なような、
過去・現在・未来をタイムライン号の船に乗って見るかのごとく。
玄関脇にある庭石。
この陰に隠れて、かくれんぼをよくした。
あんな小さな隙間によく身を隠せるなあと、いつも不思議な気持ちで見ている。
当時のわたしは、猫だったのか?
祖母が日常に使っていたお針箱。
その近くに、わたしの幼稚園時代の道具箱が置かれている。
旧姓フルネームで、わたしの名前が書かれているが、去年、発見して、よくまあ、あんなもの、まだ置いているなあと、びっくりした。
目をぱちくりと瞬きする瞬間に、ひとっとび半世紀前の時代にタイムスリップ。
ふたつ瞬きすると、百年前。
セピア色の残像が、NHK番組のファミリーヒストリーのようだ。
今も、私が子供の頃と同じ場所に、ツバメが巣を作っている。
・・・と、延々、残像シリーズは、きりがない。
話を戻そう。
そのお邪魔したブログには、クラシックの名曲が流れている。
いいなあ・・・。こころが洗われるようだ。
現在、抱えているわたしの悩みの解決の糸口にならないかと、記事タイトルをあちこちクリックして、
過去の偉人たちの名言を読んでみる。
現世の生煮えなわたしには、まだ、ちょっとすんなり取り入れるには、ハードルが高い。
煩悩がイキイキ。もやもやを通り越して、現役で暴れている。
あと十年は経たないと、しっかり枯れて、いい味が出ないような気がする。
じっくり寝かせて「熟成」などというと聞こえはいいが、
悟りなど、一生、開けないだろう。生きている限り。
【一口メモ】
あるがままを受け入れることを「受容」というらしい。
これは、決して自分を肯定するわけではないそうだ。
つまり、あがき、開き直りのあげく、あきらめて自分を赦し、認めるのではない。
赦すのでも、肯定するのでもなく、受け入れる。
これは、ニーチェさんの言葉ではない。自己流解釈。
いろいろ解釈の仕方は、それぞれ。
が、今のところ、「美味しく醸造」などという美辞麗句には、まやかされないぞ、とばかりに、
干物になっていないわたしは、机上でなにを言ってもだめ。
道、途中である。