蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

新しいハッピーニューイヤー

2017-01-01 | わたし
明けましておめでとうございます。
暖かい元旦。
お天気もよく、気持ちのよい体感温度。
なぜか、お正月気分には、あまりならなかった。

のろのろ、渋々、気乗りしないで向かった夫の実家であった。
が、とりあえず、体調を崩して一時、寝込んだものの、大晦日には迎春準備を整え、紅白歌合戦の後、年越し蕎麦、元旦には、初詣、墓参り、御節料理、お雑煮。
と、通り一遍の行事は進行した。
そして、姑とたっぷり一緒の時間を過ごした。
姑とは相変わらず一方通行の会話ではあるが、わたしはここのところ、姑のところに顔を出してなかったので、引け目もあり、さして重い気分にもならなかった。
それよりも、姑が病気になる前と同じぐらい回復していたのを目の当たりに見て、驚き、嬉しく思った。
涙が不意に、はらはらとこぼれ落ちたのには、自分でも、涙腺の弱さにまいった。

気温と同じような、和やかで穏やかな時間だった。

しかし、今日はまだ一月一日なのか、もう随分、日が積み重なったような気がして、時間が経つのがとても遅く感じる。


長女一家は、お婿さんの実家に、娘の仕事の関係で年末キワキワに帰省し、年末年始を過ごす。
あちらのご両親は大変だろう。
こちらは、まあなんと楽々。
まるでなんの手応えもない、わた飴のような楽さだ。
ゲストもなし、ちびっ子ギャングもなし。
大人だけの生活の、まあなんと静かなこと。
黙々とゴロゴロ、TVばかり観ている夫が、ある意味羨ましい。
初詣などの外回り以外には、何もすることはないが、御節料理はすぐ飽きて、お三どんをする羽目になる。
お正月なので、食事の支度と後片付けだけ。楽で楽で。
お正月って、こんなに楽で、こんなに退屈だったかしらん?

正月客がどんどん来る家は、てんてこ舞いだろう。
長い年月をかけて落ち着いた、家の方針なので、客が多いから良いとか、悪いとか、そんなことは思わない。
わたしは、親戚などのお客さんがゾロゾロ訪問してこない家風に、ただただ感謝するのみである。
落語家の師匠の家や、手広くお商売をやっている家、大勢のゲストにおもてなしをする社長の家など、そんな家に嫁いでいたら、即、わたしはダウンだろう。
苦手、キライ。


と、だらだら書いて、締まりのない文章は続く。
まだまだ、だらだら書きたいことはあるが、ちょっと中断。
どうも、だらだらしていると、一気に書きたい気分まで緩む。
すみません〜。ゆるゆる、だらだら文。

元旦には、年頭の誓いやら、目標やら、書くべきところだが。
姑と、たいそう平和的に、すんなりバトンタッチが行われ、かえって拍子抜けしている。

家のあちこちや、外、周辺を歩いて回り、今更ながら、よく熟知した、なんの変化もない風景なのに、なんだか懐かしいような眩しいような、新鮮な思いがした。


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