わたしが、今までの人生の道、途中で、考え選択したこと。
1、青春時代
世の中では、18歳は番茶も出花、なんて、18歳が女性のピークで、もてはやされていたのに、自分が18歳の春の時は、花の姿はいったい何処?の、どんより、さえない、単なる高校生。
おじさんたちには垂涎らしい現役女子高生、当時の自分は、おじさんに対しては何の価値も魅力もなかったので、へえ〜、関係ないわ、ぐらいのかんじだった。
自分と同世代にしか興味がなかったので、悪い縁もなくよかった。遊ぶ気持ちも全くなかった。
自分が正しいと判断したものとしか、関わりは持たず、その信念は相当固く、実践していた。
なので、出会い系などで、しょうもない男性に引っかかるなんていうことは、まるでなかった。
路上でも、隣の学校でも、知人の知人でも。
2、20代
誰とも結婚したくなかったけれど、年齢が重なり、魔の24歳、クリスマスイブを迎えることになり、バーゲンセールに転じた。
自分の売りは、若さのみ、と、見切り発車した。
自分の成長を待っていては、完全に(希望する結婚相手との)婚期を逃すと判断した。
自分が生まれてきた使命は、子孫を残し、次代に引き継ぐことだと結論づけた。
【おまけ】
子供を授からなかった、結婚して、ほんの4ヶ月ぐらいの間、まだかまだかと姑に聞かれ続け、女性はどんな人であっても子供を産まないと、全てピンからキリまで人権やら個性やら、何も識別、判別、区別されないで、いっしょくた、だと思った。
全人格、全スペックを否定された気になった。
0か1だけのコンピュータのごとく、「子供あり、なし」セグメントには、衝撃を受けた。
3、30代
ママ、妻、嫁だけの顔では満足できなくなった。
劣等生学生時代、不遇の時代をなんであんなに頑張って辛抱して乗り切ったのか、あのエネルギーを無駄にするのが惜しかった。
なので、自分だけの顔が持ちたくて、社会に出て働き始めた。
4、40代
世の中には、一見、外見は同じように見えても、いろんな層の人々がいることが、よくよくわかった。
後ろ盾のない、単身個人が出来ることは、あまり大きくない。
世の中の、縦の枠組み、力関係は強固だと実感した。
仕事と子育てを両立(共倒れ?)する経験をし、社会を知らないで自分を知らないくせに、自分を特別扱いして自己主張ばかりする奥様とは一生、接点はないと思った。
自分と家庭のバランス調整を学んだ。
なぜか有り余るエネルギーが溢れ出て、家を建て替え、そこに軸足をしっかり移した。
5、50代
子供も次々自立し、第二の自分時間。
後半になり、老化の足音が、遠くから聞こえてきたが、まだ人ごと。
次々と誕生する新しい生命に触れ、感激、感動する、と同時に親の老化に愕然となる。生命体、新旧、引き換え交替期。
こころの故郷、実家が消滅する危機に直面する。
選択肢がある、奇妙な喪失感に襲われる。
6、60代
それまでの絶対的価値観が崩壊した。
心身のバランスを乱し、ついでに自分まで崩壊しそうになった。
しかし60代に突入して、今はまだ半年。
持ち直し、立て直すと、また、息を吹き返し、健康的な60代を送れるかも。
振り返ると、精神的には、(マイナス時にしか)夫には全く影響を受けていない。
指針や導きを得る際には、夫の姿はない。
で、矛盾しまくりだとしても、わたしにとっての、キーパーソンは、父と夫と姑だろう、と、なんとなく思う。
なあんだ、自分なんて、自我なんて、無いのかも知れない。
が、家族、皆が健康で、今日まで来れたことは、全ての幸せにつながっている。
その日々には、有り難く感謝している。
1、青春時代
世の中では、18歳は番茶も出花、なんて、18歳が女性のピークで、もてはやされていたのに、自分が18歳の春の時は、花の姿はいったい何処?の、どんより、さえない、単なる高校生。
おじさんたちには垂涎らしい現役女子高生、当時の自分は、おじさんに対しては何の価値も魅力もなかったので、へえ〜、関係ないわ、ぐらいのかんじだった。
自分と同世代にしか興味がなかったので、悪い縁もなくよかった。遊ぶ気持ちも全くなかった。
自分が正しいと判断したものとしか、関わりは持たず、その信念は相当固く、実践していた。
なので、出会い系などで、しょうもない男性に引っかかるなんていうことは、まるでなかった。
路上でも、隣の学校でも、知人の知人でも。
2、20代
誰とも結婚したくなかったけれど、年齢が重なり、魔の24歳、クリスマスイブを迎えることになり、バーゲンセールに転じた。
自分の売りは、若さのみ、と、見切り発車した。
自分の成長を待っていては、完全に(希望する結婚相手との)婚期を逃すと判断した。
自分が生まれてきた使命は、子孫を残し、次代に引き継ぐことだと結論づけた。
【おまけ】
子供を授からなかった、結婚して、ほんの4ヶ月ぐらいの間、まだかまだかと姑に聞かれ続け、女性はどんな人であっても子供を産まないと、全てピンからキリまで人権やら個性やら、何も識別、判別、区別されないで、いっしょくた、だと思った。
全人格、全スペックを否定された気になった。
0か1だけのコンピュータのごとく、「子供あり、なし」セグメントには、衝撃を受けた。
3、30代
ママ、妻、嫁だけの顔では満足できなくなった。
劣等生学生時代、不遇の時代をなんであんなに頑張って辛抱して乗り切ったのか、あのエネルギーを無駄にするのが惜しかった。
なので、自分だけの顔が持ちたくて、社会に出て働き始めた。
4、40代
世の中には、一見、外見は同じように見えても、いろんな層の人々がいることが、よくよくわかった。
後ろ盾のない、単身個人が出来ることは、あまり大きくない。
世の中の、縦の枠組み、力関係は強固だと実感した。
仕事と子育てを両立(共倒れ?)する経験をし、社会を知らないで自分を知らないくせに、自分を特別扱いして自己主張ばかりする奥様とは一生、接点はないと思った。
自分と家庭のバランス調整を学んだ。
なぜか有り余るエネルギーが溢れ出て、家を建て替え、そこに軸足をしっかり移した。
5、50代
子供も次々自立し、第二の自分時間。
後半になり、老化の足音が、遠くから聞こえてきたが、まだ人ごと。
次々と誕生する新しい生命に触れ、感激、感動する、と同時に親の老化に愕然となる。生命体、新旧、引き換え交替期。
こころの故郷、実家が消滅する危機に直面する。
選択肢がある、奇妙な喪失感に襲われる。
6、60代
それまでの絶対的価値観が崩壊した。
心身のバランスを乱し、ついでに自分まで崩壊しそうになった。
しかし60代に突入して、今はまだ半年。
持ち直し、立て直すと、また、息を吹き返し、健康的な60代を送れるかも。
振り返ると、精神的には、(マイナス時にしか)夫には全く影響を受けていない。
指針や導きを得る際には、夫の姿はない。
で、矛盾しまくりだとしても、わたしにとっての、キーパーソンは、父と夫と姑だろう、と、なんとなく思う。
なあんだ、自分なんて、自我なんて、無いのかも知れない。
が、家族、皆が健康で、今日まで来れたことは、全ての幸せにつながっている。
その日々には、有り難く感謝している。