蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

古い自分に出会って、さあ、どんな挨拶をしよう

2017-01-18 | 思い出
わたしのブログは、超・中途半端である。

なぜなら、とても近しいリアル人が見にくるので。
(といっても皆さん、それぞれに忙しく活動的でヒマじゃないから、あまり気にしていないが)
なので、具体的なことを書くにも、話題を選別する羽目になる。

しかし、悪い面ばかりでもない。
ホンネそのものが、ブログには書かれているので、日頃、表現しないことが伝わる。
良い面も、悪い面もある。

どうしても知られたくない内容の場合は、ゴミ箱ブログに書く。
読む人はほとんどいないので、比較的安心しながら、鬱憤を晴らせる。
あるいは、趣味の内容の場合は、趣味SNSへ。
熱情を込めて必死で書いて、即、お蔵入りボツ、非公開にする場合もある。

また、人との接触を求めたい時は、人里離れた山から下りてきて、趣味SNS街をうろうろする。

非社交家の典型である。
孤高気取りの寂しがり屋。


来月行なわれる学年通しの高校同窓会に出席しようと、出欠・返信ハガキを出した。
高校同窓会には一度も出たことがない。
中学は皆勤。
この違いは?

どの学校、同級生が好きか嫌いか、だろう。好みの問題。
当時の自分が好きか、嫌いか。

年齢的に節目を迎え、心身の変化による価値観や好みの変化も出てくる。

で、各地から生徒が集まる、とんがっていた中学よりも、地元密着型の、ほんわか高校もいいかなあと。
そういう気になった。

当時のわたしは、中学校という高速洗濯機の中で、鳴門の渦潮に呑まれるかのごとく、全身全霊をかけ、毎日を過ごしていた。
危機感も、刺激も、悲壮感も、毎日が劇場。
高校に進学すると、周りは、ぽかぽか陽気の、しまりのない善人ばかり。
逆のケースもあるだろう。
中学では秀才だった人が、高校では周りも秀才ばかりで落ちこぼれて自暴自棄になることは、よく耳にする。
井の中の蛙、大海を知って、風船が萎む。プシューッ。
わたしの場合は、逆・井の中。
最初から鳴門の渦潮付き太平洋の大海。(矛盾強調表現。
地理には疎いですが、太平洋には鳴門の渦潮はないはず。知ってます、それぐらい)
あとから、ひねもすのたり瀬戸内海。

わたしは、陽だまりぽかぽかに、当時は何の魅力も感じなかった。
そのくせ、わたしの成績は、極寒のシベリア、凍てつく寒さ。
しかしながらグレることなく、悪すぎて笑える成績に、感覚はほとんど麻痺していた。
不思議と悲壮感は全くなく、不気味に、にたにたしていたことだろう。
先生も、叱り甲斐がなかったと思われる。
だから、(かどうか知らないが)高校の同級生で交流があったのは、学年ビリの子や、ヘンな問題児。
普通の生徒との交流はあまりなかったので、わたしのことを知っている人は、おそらく少ないだろう。

まあ、そういう、善良な高校の、一学年通しの同窓会に、なぜか、出てみようと思い立ったわけである。

突然変異?
変化のお年頃。
新しい自分が、古い自分を押し出し始めているのか?

楽しい老境まで、あと少し。
歳を味方につけるまで。

なんだ坂こんな坂、えいほっほ。
坂を超えると過酷な老後の現実が待っているなんて、知る由もなく。

知らない幸せ、今のうちに享受しよう。

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