蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の人生を自分が決められないと他者が決める?

2017-01-11 | わたし
一人暮らしについて考えてみた。

身寄りはあるが、独居。
親きょうだいは、別に住む。
配偶者は、鬼籍に入っているか、あるいは、もともと結婚歴無しの未婚。子供なし。

で、病気になるとする。

自分では何も考えない、考えられない性格だとする。
必然的に、見るに見かねて、近親者、身内があれこれ気遣いし、世話を焼く。
ほっといてくれ!の頑固タイプではなく、よろしくね、の依存型だとする。

もし、身内が世話を焼かないとする。
最悪の場合は、孤独死。
あるいは、ギリギリに発見されて、病院に運び込まれ、文字通り、そのまま死ぬまで家には帰らず。

どちみち、生きとし生ける者、生まれたからには必ず人は死ぬ。
が、死ぬまでが問題。

まず、年齢。
人生の状況、死因。

超高齢なら、枯れ木が自然に土に帰るかの如く、老衰安楽死おめでとう。
しかし、超高齢なのに、怖い目には遭っての事故や事件、災害が原因なら、どうか。
人生の運、不運。
順風満帆が、最後にどんでん返しのオセロゲーム。
最後の最後の瞬間まで、人生ゲームはわからない。

若い場合、どんな原因であろうと、早すぎる人生エンドは、悲劇。惜しまれる。

で、話を戻す。
愛する人が、治る見込みのない病気の末期だとすると、最悪の状況の中でも、その人が余生を送るのに最も快適な環境で過ごせるように手を貸したいだろう。

そういう身内が居ると、居ないでは、やはり、大きな違いがある。

身内とは?
家族、親きょうだい。血の繋がった関係。
中には、血が繋がっていても絶縁している人もいる。
絶縁もせず、できる限りのことをしてあげようという想いや行動は、やはり、親に愛情をかけて育ててもらったからではないだろうか。
(血が繋がっていなくても、誠心誠意、尽くす人もいるらしい)

親に愛情をかけて育ててもらっても、親きょうだい達も高齢で、人を助けるどころではない人もいる。

人を助けるだけの、体力、知力、行動力、経済力があるということは、恵まれている。
助けられる側も、恵まれている。

恵まれていない人は?
覚悟が出来ているか、そうでないと、自分や人や世の中を恨むか。
運命に身を任せると、多少なりとも苦悩は和らぐと思う。
苦悩や苦痛は大きすぎると、脳から苦痛を和らげる物質が分泌されるとか?

だとすると、苦悩はMAXでありながら、まだまだ更に苦悩が大きくなっていく恐怖に怯えるより、自然に任せるほうがいい。

自分を律することも大事だが、ある程度の段階になると、手綱を緩める、いや、手綱を手から放すとよいのかも知れない。
自分の身を自分で背負いきれなくなったら、無責任に、ぽんと投げだすのも、ひとつの方法だ。

どこまで、踏ん張るか。
ギリギリのラインは、人によって異なると思う。
踏ん張らなくなったら、自分という人間を棄てることになるのだろうか。
生きる芯を放棄する。
人生そのものをリタイアする。
スイッチを切り、自分で運転せず自動運転にする。

冒頭の一文から、離れてきた。
一人暮らしだと自分の身は自分で決める、
家族と暮らしていると、自分、または家族が決める。
一人暮らしは、自分しかいないので、選択肢がない。
なのに、決められない人は?
身内が手助けする?
またまた、話が、ぐるぐる。