ここのところ、ブログで、さんざん悪態をついてきた。
わたしを悩ませている人物について。
しかし、ここにきて、鬼(悪魔)の登場を待たずして、自分自身が自滅しそうだ。
相手ばかりを責め、悪い原因が相手にある、と言い切り、思い込んでいた。
わたしは、脚も悪いし、理想通りに出来るわけがない、と。
労わりも気遣いもせず、自分の理想ばかりを押し付けてくる相手を憎悪していた。
積もり積もって、相手に呪いをかける直前で、ある時(昨日です)、自分に非があることに気づいた。
あ〜あ。
せっかく呪いまくってやろうと思っていたのに、自分も悪いのであれば、五分五分ではないか。
ヘタをすると、わたしのほうが、悪い率が高いかも知れない。
苦言を呈する権利があるのは、わたしではなく、相手なのではなかろうか。
今までは、脚の痛みばかりにとらわれていた。
一日もはやく痛みから逃れたいと願っていた。
そのためには、相手を悪者にして自分は優先席に座っていた。
が、、、である。
昨日は、たまたま脚が痛くなかった。
五分五分で備わっていなくてはいけない技量や知識がわたしにはないことが明白になった。
ハンディが無くなった途端、言い訳が出来ず、相手のせいに出来なくなった。
自分も頑張らなければいけない。
しかし、またいつ脚が悪化するかは予想できない。
ところが、脚が悪かろうが良かろうが、わたしの技量、知識が不足していることは、揺るぎない事実である。
で、自分を甘やかす状況が変化したせいで、鬼の出番が無くなった。
また、いつ鬼が出るかも知れないが、今は、自分のダメさを反省し、努力方向に自分を持っていこうと思っている。
脚が痛くなったり、痛くなくなったり、で、自分ではコントロールできないで、安定しないと、わたしの殊勝な心がけも安定しない。
マイナス要素から自分を守ることに必死な人は、それだけで精一杯で、プラスへ浮上するのは並大抵ではなかなか出来ない。
だが、自分のマイナス要素を嘆いていればいい優先席は確保される。
自分に厳しいか、甘いか。
成し遂げるか、成し遂げないか、山を乗り越えるか、乗り越えないか、そのあたりが鍵のようだ。
やたら、わかりにくい文章になりました。