蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

どうしようもないことには、こだわらない

2017-06-13 | わたし
専門家から、経過や処置の説明を聞く。
わたしは必死で理解しようとする。
とりあえず、説明されたことの全ては理解できた。
説明してくれる人は、誰にでもわかる用語や、表現で、ゆっくり確認しながら話を進めてくれるからだろう。

全て理解できたが、いざ、それを第三者に伝達するとなると、、、できない。
結果しか伝えられない。

「長々説明してくれて、オッケーみたい」
「あれこれアプローチしたらしいけど、ダメみたい」

人を説得し結論に導くには、プロセスこそ大事である。
なのに、わたしは、そのプロセスを自分の中で納得し、キレイに消化してしまって、結論しか残っていない。

なので、人を説得できない。
「なんか知らんけど、こうなんだって」
そういうオシでは、誰もわかってくれない。

「あんたの説明は、よくわからん」と、もし言われたら、
「よく知りたかったら、自分でもう一度、説明を聞きに行ってちょーだい」
と、へんな開き直りとなる。

まったく頼りにならない。
自分本意の情報処理能力である。
理解分は、溶けて内臓に入り、あとは結論しかない。

しかし、理解できないことがある場合、そこで止まる。
わかろうと努力する。
が、結論に達しないまま、進まず止まっている。
そういう時は、消化されず、固形物のまま抱えることになる。

はたして、どっちがいいんだろう?

すんなり結論のみ、その事項はクリアするものの、人には伝達できないバージョンか、
四苦八苦、すったもんだ、だが、何時間でも熱弁をふるう難題未解決バージョンか。

ダメでもオッケーでも、自分がその案件に執着心や未練がない場合は、さらりとクリア。
たとえ、人生の重大事であろうが、「だいたい、なんでも、そんなもん」と、あっさりのこともある。

こだわるか、こだわらないか、なのだろう。

いくらこだわっても、どうしようもないことは、さっさと手から放す。
だから、気合いを入れていないから、第三者には伝達できないのだと推測する。

人の目には「なんにも考えていないアホ」と映るだろう。

しかし、精神的に自己弁護したところで、知識、記憶力、伝達能力としては明らかに脳の働きはよろしくない。
上等の脳とは絶対に言えない。
だから、やっぱりアホなのだ。

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しかしながら(自己弁護、追加)
これまで過去の中には、説明を受けて、わからないことが出てきても、細部をいちいち聞いていたら大筋の話に到達できないこともある。
話の流れを止めないために隅々まで理解できなくても、その部分は端折る(スキップする)こともある。
今回は、飛ばした箇所はなかった。
理解度100パーセントである。
が、人に伝達できない、、、脳みそ、、、。
自己肯定しようと思ったが、やはり高く厚い壁がある。