昨夜は、遅めの夕食をとる次女の横で、珍しく話した。
彼女の中高出身校の会報が送られて来ていた。
ひととおり食べ終わった次女がそれを見ながら言った。
「どの先生も、偉くなってないなあ」
勤務学校に長く居続けているだけのことで、まあ、それはよいとして。
「ひどいなあ、生徒の進学状況」
学校の特色であるスパルタ式で勝ち得た、かつての成果は、色褪せていた。
日本有数の超有名な大学は合格者数は減っているものの、それでも、合格大学は全国に散り、手堅い路線で固めてある。
派手さはないが、頑張っている、とわたしは感じた。
「あんな軍隊みたいな学校やのに、こんな結果じゃ、6年間の灰色生活、意味ないな」
と次女が言う。
と同時に、わたしは、次女に気の毒な可哀想なことをした、自責の念が溢れた。
「ごめんね、申し訳ない気持ちで、いっぱいやわ。
あんな学校に行かせてしまって」
と、ぽつりと、わたしは謝った。
「わたしは、そんなに苦痛じゃなかったよ」
と、ぼそっと言う次女の言葉に救われた思いがした。
が、わたしは、今でも、彼女の薔薇色であるはずの貴重な青春時代を真っ黒に塗り潰してしまった責任を感じている。
あのスパルタ学校を出た生徒たちは、2極に分かれている。
学業を活かした職業に就く人と、真逆の職業に就く人。
次女の学友たちは、どちらかに一方に偏らず、学業コースの人も、アンチ学業コースの人もアットランダムにいて、それぞれのコースを歩んでいる。
それはそれで、良かったようだ。
反発したり、受け入れたり、試行錯誤しながら自分の道を各自、見つけている。
今でも、お付き合いがあるようで、結婚式の招待状は、間隔は開いても、まだ途絶えることがない。
それぞれの身の丈に応じた結婚式をしていると感じて、安堵する。
わたしは子供を育てる時期はとうに過ぎた、卒業したと実感する。
あとは、この世に未練を残さないでサヨナラする日まで、しっかり楽しく幸せに生きることだ。
子育ての少し手助けし、少し楽しませてもらい、少し未来を見させてもらい、
そして、大きな夢と、大きな生きがいをもらう。
大きな夢といっても、誰が見ても輝かしい晴れ晴れした客観的な夢ではなく、子供や孫が成長し続ける姿を見させてもらうのが、過去、現在から未来につながる、わたしの中での大きな夢である。
それは、わたしにとっては、大きな生きがいとなる。
わたし自身は、この世とサヨナラする日まで、心配事も何事もなく平穏無事に、つつがなく、楽しく暮らしたい。
あくまでも、希望、理想だが。
もっと生きたいと思っている時期に、サヨナラを余儀なくされる可能性もある。
心身が下降し、やる気がなくなって、老人性鬱になるかも知れない。
が、その時々にある、わたしを面白がらせ、楽しませてくれるものと遊びながら、
流れに逆らわないで、さらりと生きることが出来たら、本望である。
彼女の中高出身校の会報が送られて来ていた。
ひととおり食べ終わった次女がそれを見ながら言った。
「どの先生も、偉くなってないなあ」
勤務学校に長く居続けているだけのことで、まあ、それはよいとして。
「ひどいなあ、生徒の進学状況」
学校の特色であるスパルタ式で勝ち得た、かつての成果は、色褪せていた。
日本有数の超有名な大学は合格者数は減っているものの、それでも、合格大学は全国に散り、手堅い路線で固めてある。
派手さはないが、頑張っている、とわたしは感じた。
「あんな軍隊みたいな学校やのに、こんな結果じゃ、6年間の灰色生活、意味ないな」
と次女が言う。
と同時に、わたしは、次女に気の毒な可哀想なことをした、自責の念が溢れた。
「ごめんね、申し訳ない気持ちで、いっぱいやわ。
あんな学校に行かせてしまって」
と、ぽつりと、わたしは謝った。
「わたしは、そんなに苦痛じゃなかったよ」
と、ぼそっと言う次女の言葉に救われた思いがした。
が、わたしは、今でも、彼女の薔薇色であるはずの貴重な青春時代を真っ黒に塗り潰してしまった責任を感じている。
あのスパルタ学校を出た生徒たちは、2極に分かれている。
学業を活かした職業に就く人と、真逆の職業に就く人。
次女の学友たちは、どちらかに一方に偏らず、学業コースの人も、アンチ学業コースの人もアットランダムにいて、それぞれのコースを歩んでいる。
それはそれで、良かったようだ。
反発したり、受け入れたり、試行錯誤しながら自分の道を各自、見つけている。
今でも、お付き合いがあるようで、結婚式の招待状は、間隔は開いても、まだ途絶えることがない。
それぞれの身の丈に応じた結婚式をしていると感じて、安堵する。
わたしは子供を育てる時期はとうに過ぎた、卒業したと実感する。
あとは、この世に未練を残さないでサヨナラする日まで、しっかり楽しく幸せに生きることだ。
子育ての少し手助けし、少し楽しませてもらい、少し未来を見させてもらい、
そして、大きな夢と、大きな生きがいをもらう。
大きな夢といっても、誰が見ても輝かしい晴れ晴れした客観的な夢ではなく、子供や孫が成長し続ける姿を見させてもらうのが、過去、現在から未来につながる、わたしの中での大きな夢である。
それは、わたしにとっては、大きな生きがいとなる。
わたし自身は、この世とサヨナラする日まで、心配事も何事もなく平穏無事に、つつがなく、楽しく暮らしたい。
あくまでも、希望、理想だが。
もっと生きたいと思っている時期に、サヨナラを余儀なくされる可能性もある。
心身が下降し、やる気がなくなって、老人性鬱になるかも知れない。
が、その時々にある、わたしを面白がらせ、楽しませてくれるものと遊びながら、
流れに逆らわないで、さらりと生きることが出来たら、本望である。