蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

高齢ドライバー

2024-03-07 | 老い
高齢の人は、自分より若い人と交流を持つと、それはそれで刺激になる。
ただし、程よい歳の開きが望ましい。
あまり離れ過ぎると相手の気持ちや感覚が理解できない。
少し前は自分はそうだった、とか、少し経つとこうなるのか、とか、参考になったり、自覚する助けになる。
さらに、高齢の人は、その人が若い頃、お近づきになりたくてもなれないほど、格段に差があっても、老化によって少し能力が低下して、以前より差が縮まり身近に感じる。
ではあるものの、プライドばかり高い、能力の低下を認めない高齢の人は、老害予備軍になる恐れがある。
そこそこ素直な、能力が低下しても、わたしよりまだまだ、うんと上だったりするため、プライドは保たれる。
しかも、惜しみなく知識や見解を示してくれる。
ただ、考えが偏っていたり、間違いを平気で押し通したりする人は、やはり老害予備軍となる。

しかしながら、正しくバランス良く老化するのは、実に難しい。
客観的に判断する力が衰えると思われる。
誰しも自分を正当化したい。

(自分とは歳の開きがある)お年寄りの人とは、脳内で自由に交流する。
そのほうが、お互いにウィンウィン。
一緒に行動するにはやはり壁がある。
体力の個人差がある。
自分の心身が無理のないように動きたいため、人に合わせるのは苦痛になる。
それに、人によって苦手な行動がマチマチ。
トイレ不安のある人や、長く歩くのが辛い人、色々。
なので、脳内で交流すると自由。
一緒に実際に同じ空間、時間で行動しなければ、感動を共有できないわけではない。

だが、体を動かさず、家から一歩も出ず、脳内だけで活動すると、リアルな瞬間的なライブ反応が得られない。
ネットの向こうで生動画で繋がるのもありだが、やはり、実物の息遣いは直接感じられず、脳内の感覚に近くなる。
コロナ真っ最中はそれしかないが。
在宅勤務ならそれでよいが。

同じウォーキングをしても、室内でランニングマシーンで歩くのと、屋外で歩くのでは目に映るものが違う。
天候、季節、空気、景色、人々、、、その時だけの状況を肌で楽しむ。
脳内だけでは、実際に直接、直に感じるものとは当然違って来る。
そのリアルな反応が嫌で、刺激が強すぎたり、不快に感じたりすると、外に出ない人もいるが。
自分をどのへんまで出すか。
プロテクターの強度はどんな程度のものか。

ある高齢の方。
車で運転して好きなところに出かけておられる。
ご自身の心身が自立出来なくなって運転出来なくなったら、落胆して、活力をなくして、どうしようかと嘆くだろうと仰る。
だが、、、わたしは実は(例え近所のランチ店でも)車で一緒に出かけるお誘いを受けても尻込みする。
高齢ドライバーの事故が多いからだ。
本人は自覚がなくても。

トラブルが起きてから免許返上するのではなく、車でなくても行動できる方法を先に考えたほうが良いと思う。
(地域によっては、車がないと生活出来ない状況がある。
が、都会で引き起こされる交通事故とはまた違う)

わたしが暮らしている生活圏においては、車がなくても、公共交通機関を使えばどうにかなる。
どうしても車でしか行けないところは、工夫するか、やめるか、である。
緊急ののっぴきならない場合はタクシー利用もあり得る。
援助の手がない、経済的にも苦しい人は、行政機関に相談し、尚、改善出来ない場合は、どうすればよい?
いざという時の身内が近くにいる人は、それでもそろそろ車の運転は見合わせたほうが良い。
高齢になり車の運転があやしくなった母の場合、姉が母の車を売り払ったので、強制的に運転出来なくなった。
身内でもないと、そんなことは出来ない。
が、どんなに車の運転が上手な人であっても、高齢ドライバーの場合、わたしは助手席に座るのは遠慮したい。
知人の高齢の方は、歩くのが嫌いで、前は近所のスーパーに歩いて行っていたが今は車で行くそうだ。
それは、逆にしたほうがよいと思う。
車をやめて、歩いて行く。
必要であれば、嫌でも歩く。
だが、身内でもない人にそんな忠告はお節介だろうと思い、何もわたしは口に出さない。
身内も忠告しているのかも知れないし。

足、腰が悪い、痛い、だから、歩くのは避けて車を使う。
これは悪循環だが、仕方ないのか。
車を使わず、歩くのも嫌、となると、家から出ない。
そうやって、徐々に老いのソフトランディングか。

わたしの周りの人たちを見ていると、そういう流れが多い。
わたしも、いずれそうなる。

車で出かけたい、外の世界を楽しみたい高齢ドライバーさんとは、しかしながら、今後は、わたしとしては、ドライブ同行は控えたい。
つまり、距離を置きたい。
ということは、やはり自分の年齢や心身能力に合った人と交流することが、しっくりいく。