蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せと不幸の違い

2017-06-06 | わたし
わたしは、発達障害傾向の疑いがある。
(ただし、自己診断)
何にでも病名をつけると、人は安心するようだ。
◯◯が出来ない、
部屋が片付けられない、約束が守れない、計算が出来ない、じっとしていられない、すぐキレる、万引き癖がある、お酒や薬、ギャンブルに溺れる、
などなど、犯罪に至るものまで◯◯依存症と銘打たれ、ちゃんと病名がつく。

昔なら、クラスに必ず何人かいた出来ない子も、病名がつく。
病気なんだから仕方ないじゃない。
特別なんだから、普通と同じに扱っては差し障りがある、と。

時代が違えば「サボり」と見なされるところを心療内科系の精神的な病気ということで神聖な枠に入れてもらえ、保護してもらえる。
ご親切に薬まで出してもらえるかも知れない。

たとえば、アタマに来てキレたいが
臆病でキレられない、あるいは理性が勝って抑制機能が働き、キレられない、、、
別の病気になって現れる。
病名がつく。
新しい自分になって特別室に入れてもらい、認められたかのごとく。

例として、自分を全面否定されたと感じるとする。
昔の嫁。子供が出来なかったら離縁。
夫側に原因があるかも知れないのに、一方的に。
女性の人権は認められていない時代のことではあるけれど。隔世の観。

今でも、すがたかたちは変われど、それに底流で繋がる感覚が、続いていると感じることがある。
女性たちは、その蓄積された積年の怨みを抱き続け、現代男性を必要以上に猛攻撃しているかも知れないと思うこともある。

まあ、それは時代の流れ。
また揺り戻しがあるかも知れない。

それはそうと(前置き、長すぎ)
わたしの、発達障害傾向。
病名をつけて、デラックスな特別室で安心して、くつろいでいてよいのか?
とりあえずは、退院日も決まってないし、その日、出される給食メニューでも想像しながら、スマホでもいじりますかね。
(「読書」と書こうかと思ったが、わたしは、今はなんでもかんでもスマホである)

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恨まれても罵られても構わない

2017-06-03 | 趣味
踊ると、ただ単に脚が痛いだけではない。
将来が不安なのだ。
無理を重ねると、どんどん悪化していくのではないかと。
今、この瞬間だけを大切にして、健康寿命を自ら縮めている。
しかも、享楽的ならまだしも、脚が痛いのをぐっと我慢している。
苦痛を堪えている。

さらに、今後、この状態は踊ることで継続され、益々激しさを増していく。
1人で踊る種類のダンスなら良いが、2人で踊る。
「急に力が抜けた。トーンが、ゆるゆるで重い」とクレームを言われる。
脚が痛いのだ。
痛みを堪えて踊るが、どうしても、ちゃんと力が出ない。
技術を支える脚がトラブっている。

踊り以外の鍛錬も、脚が痛いなら痛いなりの工夫をせよ、と相手の人は言う。
上半身だけを使ってトレーニングせよ、だとか、体を伏せて脚は床に付いたまま、あれこれ、あーだ、こーだ、色々。

私には今はその気がない。
自分の脚が大事なのだ。
2人で作り上げるダンスよりも、自分の将来が大事。
なので、辞めることばかりを考えている。

我慢して苦労して良いダンスを瞬間的に手に入れても、あるいは継続して手に入れても、今後の健康寿命を減らし、生活の質を落として長らえる余生は、避けたい。

あと半年の辛抱と思っていたが、どんどん辛抱期間が縮まってきている。
相手に罵られようが、落胆、失望されようが、わたしの残り人生の質を犠牲にすることはない。

(そもそも、初めにペアを承諾したものの、脚の不安から、わたしはペアを辞退した。
で、一旦受理され白紙に戻った。
が、後で相手が白紙を撤回、リセットがリセットされ、スタートした。
最初から、ゴタゴタ出帆)


ただ、これで自分のまともなチャレンジダンスが終わりかと思うと、もう少し頑張れるかも?と思ってしまう。
だが、頑張りすぎると手遅れで、取り返しがつかない。
バブル直前の株や不動産みたいなものだ。
あと少し、まだまだ行ける、で、ある日、突然、暴落。
どんどん膨らんでいくものは、はじけないと、前夜には、わからないものである。
リスク回避、危機管理が重要であるが、時期、限界の見極めが難しい。

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