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弟のこと。その3。

2022年06月08日 | まるっきり非映画
今年に入ってから先週の木曜日までは毎日このブログを更新してきたので、
ずいぶん長く空いた気がします。
 
先週金曜日の朝、が永眠しました。
5月5日の「子どもの日」生まれ。ひとつ歳をとってからひと月も経っていません。
 
5月18日、通常の診察の予定日、弟宅に迎えに行ったら、すごく調子が悪そう。
前々日には行きつけの美容院へ散髪に行ったのに。
帰り際、「あと1回来ます」と弟自ら宣言していたのに。
なんとか弟を病院へ連れて行ったら、緩和ケア病棟へ緊急入院になりました。
 
弟との連絡手段はもっぱらChatwork。
緊急入院の翌日、看護師さんが忙しなすぎるから転院したいと伝えてきました。
弟の言葉ありのままを病院に伝えると角が立ちそうやなぁとも弟と相談し、
「いずれホスピスでお世話になることが決まっている病院へ、できれば早く、
緩和ケアの段階から移りたい」と希望したところ、5月31日に転院できることになりました。
 
弟にとって、18日から31日までの時間が長かったか短かったかはわかりません。
ただ、その間にも病状はとどまることなく進行して、傾眠がちになり、
Chatworkで連絡が来る回数も激減しました。
大谷翔平打ったねとか、阪神勝ったねとかいう話もできなくなってしまった。
 
そんな状態だったのに、何を思ったのか、
24日頃から私がFacebookで繋がっている友達に片っ端から弟は友達申請を始めた模様。
自分が生きた証を残したいのか、自分の亡き後も姉をよろしくと言おうとしてくれているのか。
文字を入力するのも大変なのに、時折メッセージに返信すらしていたようです。
「弟さんから返信もらったよ」という話を複数の友達から教えてもらって驚きました。
どこにそんな力が残っていたのか。
 
26日の朝、弟が「どうしても話したいことがあるから病院に寄って。
僕が寝ていたら叩き起こしてほしい」と連絡してきました。
夕方寄ると、よたよたと起き上がり、「ここにすべてのパスワードが入っている」と言って、
パスワードマネージャーのこれまたパスワードを教えてくれました。
 
その翌日からさらに体調が悪くなり、ほぼ連絡が途絶えました。
「転院先の病院は張り込んで特別室にしたよ」と私が連絡したのに対し、
「わーい」のリアクションマークが3つ並んで届いたのが最後。
 
31日、転院先の病院へ付き添い。
ほとんど何も食べられなくなっていると主治医から聞いていましたが、
元の病院を出発する前に売店に寄りたいと言った弟が選んだのは、ポテチと揚げおかき。
ぼんやりしながらもじっと商品を見つめて選ぶ弟の姿が忘れられません。
 
ホスピスに転院してからは本当につらそうでした。
泣き言ひとつ言わなかった弟が初めてイライラする態度を見せました。
それでも、私が「帰るね」と言うと、必ず「ありがとう」と答えてくれる。
凄い奴やな、私の弟って、と改めて思いました。
 
6月1日、両親を連れて行った後、会社の人が来てくれました。
弟は私の目の前では決して泣かなかったのに、会社の話をするときだけ泣くんです。
お見舞いに持ってきてくださったのは、写真いろいろが切り貼りされたパネル。
たくさんの同僚、上司、先輩後輩と共に映るその写真パネルを弟は大事そうに胸に抱きしめていました。
ベッドの上に起き上がって、「これが誰で、これは誰で」と私に教えてくれました。
 
いつもは病室に昼から晩までいて、家に寝に帰っていた私ですが、
2日の晩、なんとなく「今日は晩もいようか」と聞きました。
そうしたら、「そうしてくれると助かる」と弟が答えました。
私は一旦帰ってお風呂に入り、病院へとんぼ返り。戻ってきたときも「ありがとう」と言ってくれて。
 
溜まった腹水のせいで、足がパンパンにむくんでいるから、とても歩ける状態ではないのに、
弟は最後まで尿瓶を使うことに抵抗を示し、なんとしてでもトイレに行こうとしました。
若い美人看護師ふたりに見守られて用を足す姿に、
「美人女子に囲まれてトイレなんて、ちょっとないことやで」と私。
 
明け方、「おかしい。今日はなんかおかしい」とつぶやく弟。
目は見開かれているのに、次第に息が弱くなってゆく。
弟の手を握っても、わかってくれているのかどうかがわからなくて。
ひとつ大きく息を吐いたあと、亡くなりました。
 
すみません、もう1回続けます。

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