国会では、働き方改革について論争が続いています。
どの程度熱心かについては、与党側と野党側とでは相当の温度差があるようです。野党にすれば、他に論争を挑みたい問題があることや、どうせ最終的な決着の形が見えてしまっているためかもしれません。
それはともかく、労働者という言葉が現在も通用しているのかどうか知らないのですが、雇われている身分の者が、何かと制約を受け抑圧されることが多いことは、この数十年において、大きな変化はないような気がします。
かつて、といってもつい最近までですが、わが国の労働市場の主体は、終身雇用制であったとされています。それが、自由化の進展などと共に、能率給、成果主義、実力重視などといった言葉のもとで、労使関係には大きな変化が起こり、折から、バブル崩壊とともに労働市場は急激な縮小がおこり、働く者にとっては厳しい時代が続いてきました。
雇用者の福祉や人権さえも無視するような経営者が、利益さえ生み出せば大手を振って歩ける時代が生まれてしまったのです。もちろん、この期間に、長い歴史と重厚な経営基盤を有していると見られていた大会社が没落していった数も少なくありません。利益追求至上主義を非難することは簡単ですが、会社を潰してしまっては、社員の幸福も何も論ずることなど出来ないことになります。
わが国の、ごく一部の特権階級といえるような人は別にして、一般的な市民の生活の基盤には、「順繰り」あるいは持ち回り的な思想があったように思われます。
会社勤めの場合でも、年功序列といったものが給与ベースとしてあり、それは現在においてもなおある程度の比重を占めているように思われます。日常生活の中でも、例えば、町内会の役員やグループの世話役などは、現在でも「順繰り」とか持ち回りといった思想は根強く定着しています。
時代の変化とともに、最近でいえば、第二次世界大戦の惨敗後の社会においては、わが国の社会全体、あるいは日常生活が大きく変化してきました。
しかし、本当にそうかといえば、案外変わっていないような気もします。終身雇用だとか年功序列だといっても、そうそう絵に描いたように行われていたわけではなく、中途解雇や有能な人物の登用などは数多く行われていたようです。ごく日常的な業務分担などでは、「順繰り」が大きな地位を占めていたと思われますが、そうした中でも必要に応じてリーダーを誕生させたりしていたようです。
つまり、わが国のここ百年の社会は大きな変化をしていることは確かですが、「順繰り」という知恵は、長い時間をかけて生み出されたもので、そうそう簡単には消え去らない知恵だと思うのです。
当ブログでは、今昔物語を読み進める記事を掲載させていただいております。この膨大な作品の中心は仏教思想なので、抵抗を感じられお方もいらっしゃるかもしれません。筆者としましては、宗教的な観点ではなく、作品の面白さを追求することに重点を置いておりますので、ぜひご覧いただきたくお願い申し上げます。
とんだところでPRになってしまいましたが、実は今回のテーマを選んだのには、「順繰り」という知恵の根幹には、「輪廻転生(リンネテンセイ/リンネテンショウ)」という思想があるのではないかと、ふと思ったからです。
「輪廻転生」の輪廻は車輪のように回転することであり、転生は生まれ変わることです。古代仏教の教えによれば、「私たちは、『地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上』の六道を生まれ変わり死に変わり永久に煩悩から抜け出すことが出来ない」とされています。この中にある「天上」は、楽しみ多い世界ですが寿命があり、「極楽浄土」とは別のものです。私たちは功徳を積んで、六道の輪廻から抜け出して極楽浄土に生まれ変わらねばならない、というのが仏教の教えのようです。
「輪廻転生」といえば仏教の専売のように思いがちですが、他の多くの宗教にも同様の思想があり、もっと根幹的な、人間の本能の中にも埋め込まれているような気さえするのです。
最近、「順繰り」とか持ち回りといった考え方が、軽視されたり無視される例が散見されるようです。「順繰り」を受け入れることは、時には負担を伴います。しかし、輪廻転生という壮大な順繰りのことを思えば、少々の負担は甘んじて受けて、この長い経験から生み出された智恵を大切にしたいと思うのです。
( 2018.06.07 )
どの程度熱心かについては、与党側と野党側とでは相当の温度差があるようです。野党にすれば、他に論争を挑みたい問題があることや、どうせ最終的な決着の形が見えてしまっているためかもしれません。
それはともかく、労働者という言葉が現在も通用しているのかどうか知らないのですが、雇われている身分の者が、何かと制約を受け抑圧されることが多いことは、この数十年において、大きな変化はないような気がします。
かつて、といってもつい最近までですが、わが国の労働市場の主体は、終身雇用制であったとされています。それが、自由化の進展などと共に、能率給、成果主義、実力重視などといった言葉のもとで、労使関係には大きな変化が起こり、折から、バブル崩壊とともに労働市場は急激な縮小がおこり、働く者にとっては厳しい時代が続いてきました。
雇用者の福祉や人権さえも無視するような経営者が、利益さえ生み出せば大手を振って歩ける時代が生まれてしまったのです。もちろん、この期間に、長い歴史と重厚な経営基盤を有していると見られていた大会社が没落していった数も少なくありません。利益追求至上主義を非難することは簡単ですが、会社を潰してしまっては、社員の幸福も何も論ずることなど出来ないことになります。
わが国の、ごく一部の特権階級といえるような人は別にして、一般的な市民の生活の基盤には、「順繰り」あるいは持ち回り的な思想があったように思われます。
会社勤めの場合でも、年功序列といったものが給与ベースとしてあり、それは現在においてもなおある程度の比重を占めているように思われます。日常生活の中でも、例えば、町内会の役員やグループの世話役などは、現在でも「順繰り」とか持ち回りといった思想は根強く定着しています。
時代の変化とともに、最近でいえば、第二次世界大戦の惨敗後の社会においては、わが国の社会全体、あるいは日常生活が大きく変化してきました。
しかし、本当にそうかといえば、案外変わっていないような気もします。終身雇用だとか年功序列だといっても、そうそう絵に描いたように行われていたわけではなく、中途解雇や有能な人物の登用などは数多く行われていたようです。ごく日常的な業務分担などでは、「順繰り」が大きな地位を占めていたと思われますが、そうした中でも必要に応じてリーダーを誕生させたりしていたようです。
つまり、わが国のここ百年の社会は大きな変化をしていることは確かですが、「順繰り」という知恵は、長い時間をかけて生み出されたもので、そうそう簡単には消え去らない知恵だと思うのです。
当ブログでは、今昔物語を読み進める記事を掲載させていただいております。この膨大な作品の中心は仏教思想なので、抵抗を感じられお方もいらっしゃるかもしれません。筆者としましては、宗教的な観点ではなく、作品の面白さを追求することに重点を置いておりますので、ぜひご覧いただきたくお願い申し上げます。
とんだところでPRになってしまいましたが、実は今回のテーマを選んだのには、「順繰り」という知恵の根幹には、「輪廻転生(リンネテンセイ/リンネテンショウ)」という思想があるのではないかと、ふと思ったからです。
「輪廻転生」の輪廻は車輪のように回転することであり、転生は生まれ変わることです。古代仏教の教えによれば、「私たちは、『地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上』の六道を生まれ変わり死に変わり永久に煩悩から抜け出すことが出来ない」とされています。この中にある「天上」は、楽しみ多い世界ですが寿命があり、「極楽浄土」とは別のものです。私たちは功徳を積んで、六道の輪廻から抜け出して極楽浄土に生まれ変わらねばならない、というのが仏教の教えのようです。
「輪廻転生」といえば仏教の専売のように思いがちですが、他の多くの宗教にも同様の思想があり、もっと根幹的な、人間の本能の中にも埋め込まれているような気さえするのです。
最近、「順繰り」とか持ち回りといった考え方が、軽視されたり無視される例が散見されるようです。「順繰り」を受け入れることは、時には負担を伴います。しかし、輪廻転生という壮大な順繰りのことを思えば、少々の負担は甘んじて受けて、この長い経験から生み出された智恵を大切にしたいと思うのです。
( 2018.06.07 )