『 敦成親王立太子へ ・ 望月の宴 ( 134 ) 』
東宮(居貞親王)の行啓がある。
十一日にお越しになられたが、大変立派な有様である。
一条院(内裏焼亡後は、一条院に内裏が置かれていた。)では、帝がいったいどうなるのだろうかと、その事ばかりに心を痛めているが、東宮方の殿上人などは、何の憂いもなさそうなのが、それが世間の常のことではあるが、世の悲哀は束の間に変るものではある。
そして、東宮がお越しになると、帝は御簾を隔ててご対面なさり、当面の事などをお申し上げになる。
世間では帝のご容態を実に大袈裟に噂しているが、たいそう清々しいご様子で様々なことをお申し上げになられるので、世間の噂は作り事ではなかったのかと、東宮はお思いになったことであろう。
「天皇の位もお譲り申すことになったからには、次の東宮には若宮(敦成親王)をお立てしようと思っています。道理に従えば帥宮(ソチノミヤ・第一皇子の敦康親王。帥宮に就いていた。)であるべきだとは思いますが、しっかりとした後見などありません。その他の政(マツリゴト)なども、長い間身近で仕えている者たちにご相談なさるよう、ご配慮なさるのがよろしいでしょう。自分は、たとえこの病気がよくなろうとも、出家の望みを遂げたいと思っています。また、そうしなくても、そう長くはないと思うのです」などと、あれこれとしんみりとお話申される。
東宮も御目を拭われたことであろう。
このようなお話があって、東宮はお帰りになった。
中宮(彰子)は、若宮(彰子出生の敦成親王)が東宮にお立ちになることが決まったことを、ふつうの人であれば手放しで喜ぶはずだが、この御方は、「帝は道理に従って東宮をお決めになりたいと思っておいでであり、あの帥宮(定子出生)も、いろいろあってもご自分が東宮に立つものと思っていたであろうに、このような世評に押されて、帝は自らのお考えをお変えになって、このようにお取り決めになられたのであろう。帥宮も、あれこれの事情があるとしても、この事を心の内でお嘆きであろうに、まことにお気の毒なことよ」などとお思いである。
若宮はまだたいそう幼く(この時四歳)ていらっしゃるので、みずからの御宿世に任せていらっしゃればよいものを、などとお思いになって、殿の御前(道長)にも、「やはり、この度の事は、何としてもこのような決定にはならないで欲しいと思います。あの帥宮のお心の内には、長年そのおつもりでいた事と違うことが、本当にお気の毒で仕方がありません」と、泣かんばかりに訴えられた。
殿の御前は、「まことに、たいそうお優しいお心遣いですねぇ。また、仰せになることが道理だと思いますが、帝がおいでになられて、当面のことについて細々と仰せになられるのを、『いけません。仰せになる事は間違っております。順序通りになさいませ』などと、お言葉を返すようなことは出来ません。世の中はまことに儚いものですから、このように、私が世にあるうちに若宮の立太子を拝見することが出来れば、この世に思い残すことはなくなり、後の世も憂いなく安心して向かえると思うのです」と申されたので、御娘である中宮としても、それも道理の事なので、それ以上反論なさることはなかった。
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