『 ドジャース ワールドシリーズ制覇 』
ドジャースが 第4戦を 粘り強く勝利して
見事 ワールドシリーズに勝利した
戦略や 一つ一つのプレーには
賛否両論有り 反省点もあるのだろうが
大谷選手や山本選手の 嬉しそうな姿を見ると
そんなことは些細なことで 本当に良かったと思う
「楽しませて頂き ありがとうございました」
☆☆☆
『 君が往き来を 』
逢坂の 木綿つけ鳥に あらばこそ
君が往き来を なくなくも見め
作者 閑院
( 巻第十四 恋歌四 NO.740 )
あふさかの ゆふつけどりに あらばこそ
きみがゆききを なくなくもみめ
* 歌意は、「 わたしが逢坂の関にいる 木綿つけ鳥(鶏の異名)で あったならば あなたが行き来するのを 涙ながらに見ることが出来るのでしょうに 」といった切ない恋歌でしょう。
この歌の前書き(詞書)には、「中納言源昇朝臣の近江介に侍りける時、よみてやれりける 」とあります。作者の恋人であった源昇が近江介に任じられて赴任していたのでしょうが、しょっちゅう行き来していたようで、それなのに逢えないことを恨んだ歌なのでしょう。
* 作者の閑院(カンイン)については、正確な情報が残されていないようです。
命婦だったという情報があるようですが、はっきりしません。生没年も未詳です。
推定できますことは、源昇が近江介であったのは 888 - 891 の期間であったこと、古今和歌集の NO.837 の歌では、藤原忠房(従四位上。? - 929 )に歌を送っていますので、これだけを参考にすれば、900 年の前後 30 ~ 40 年の頃を生きた女性ではないでしょうか。
* また、名前の由来ですが、もし、誰かに仕えている女房だと推定すると、「閑院」という名前を勝手に付けたとは考えられず、閑院と何らかの関係のあったと考えるべきだと思われます。
その場合、おそらく当時、「閑院」として最も著名なのは、平安時代初期に藤原冬嗣によって建てられた左京にあった邸宅だと考えられ、900 年前後には清和天皇の皇子貞元親王(869 - 910 )が住んでいたようなので、貞元親王または近臣の高官に仕える女房であったような気もします。
交際相手からしても、歴とした身分の人に仕えていた女房ではないでしょうか。
* 残念ながら、作者について、単なる推定しか出来ませんでしたが、他の文献にも「閑院の御」という歌人も伝えられていますので、もし同一人物だとすれば、かなり高位の女性であった可能性も考えられます。ただ、それも確認することが出来ませんが、おそらく、平安時代前期に、上流社会において悲喜こもごもあるとしても、優雅な生活を送った女性だったのではないでしょうか。
☆ ☆ ☆
『 本音がいっぱい 』
衆議院選挙の結果を受けて 首班指名に向けての
各党の駆け引きが 激しくなっている
ある大御所議員が 他党の動きを非難をしているが
そもそも 選挙中 罵詈雑言を掛け合った他党に
協力を求めている党が 他の党の動きをを非難するのは
少し変
もっとも 政治の世界は
勝てば官軍 何でも有りのようなので
これからの発言に 本音がいっぱい 出てくるのだろう
☆☆☆
衆議院選挙は、多くの予想を超えるものだったのではないでしょうか。
自民が議席を減らすということは予想されていましたが、ここまで凄まじい減少には少々驚きました。公明も大幅に議席を減らしましたが、様々な要因はあるとしても自民に足を引っ張られた面は否定できないでしょう。
維新は、公明の地盤を蹴散らして、大阪府の小選挙区19を全勝したのには凄さを感じましたが、全体としては議席を減少させました。橋下徹氏がその原因について述べられていましたが、全国政党としては惨敗だったのかもしれません。
立憲民主は、大幅増で大勝利と言えますが、さて、本当に自民の数々の不祥事の受け皿になったのか、検証が必要な気がします。むしろ、国民民主やれいわや参政各党などに、政治に対するやるせない気持ちの票を集めたような気もします。
素人が評論家もどきの意見を述べても仕方がありませんが、今回の選挙は、何とはなく大きな転換点になるのではないかという気がしてならないのです。
つまり、強大な自民勢力に対して、揚げ足を取るのが主戦力のように見えてしまう野党との対抗で国会の日程の多くが使われ、本当の論戦、政策の協同、と言ったことなどごくごく限られているといった状態から脱皮できるのか、それとも、自民を中心とした勢力、あるいは立憲民主を中心とした勢力、のいずれにしろ、与野党が入れ替わることがあっても、現状とあまり変らない国会運営が続くのか、与野党間で本気の協議が行われ政策に反映されるような政治風土構築に動くのか、そうした分岐点だと思うのです。
相手をこれでもかというほど非難し、自らを正義の味方のように増長していたかに見える人たちが、戦い終えたからといって、果してどれだけ実のある協議が出来るのか、期待するのは無理かもしれませんが。
「悪木盗泉」という言葉があります。「暑くても悪木の陰では休まない、渇しても盗泉の水は飲まない」といった意味です。
「盗泉」というのは、中国の山東省にあった泉の名前らしいのですが、孔子はこの名前を嫌って、その水を飲むのはもちろんのことその地に留まることさえ嫌ったという故事があり、中国三国時代の政治家であり文学者でもある陸機( 265 - 303 )がそれを題材にして詠んだ詩から生れた言葉のようです。
孔子の清廉潔白を称えようとしたものかどうか分りませんが、現代人であれば、名前がどうであれ、実害がないのであれば、暑いのであれば日陰に入らなくては熱中症になりますし、喉が渇いているのであれば水を飲まなくては命に関わる、と合理的に考える人も多いはずです。
しかし、これが政治の世界となれば、そうそう簡単にはいかないのでしょうね。
多くの国民の信託を受けてその身分を得た議員の方々ですが、残念ながら人格崇高な方々ばかりではないはずです。何も聖人君子を望んでいるわけではありませんが、国民の多くが、ごく普通に描いている程度の常識は習得し維持し続けて頂きたいものです。
ただ、残念ながら、お金を持てばお金に汚くなり、権限を持てばそれをもてあそぶ人を私たちはたくさん見てきています。当然、私たち自身も自覚する必要がありますが、権限ある公職にある人には、ぜひ初志を貫いて欲しいと願うのです。
折から、大波乱の選挙結果を受けて、首班指名が行われるまでは、各党間の交渉や綱引きが展開されることでしょう。清く正しく美しく、などとは望みませんが、国民に目を向けた真摯な協議が行われることを切に願っています。
『 存在感あった 』
ワールドシリーズ ドジャース3連勝
ワールドチャンピオンに 王手をかけた
無事出場できた 大谷選手
痛々しさを感じたが 存在感は示せたと思う
第一打席の四球は その象徴で
フリーマンのホームランは 出来すぎのストーリーだが
試合開始早々の ストーレートの四球は
試合の流れに 少なからぬ影響があったように感じた
明日も出場するらしいので
一気に 優勝決定と行きたいところだ
☆☆☆
『 存在感あった 』
ワールドシリーズ ドジャース3連勝
ワールドチャンピオンに 王手をかけた
無事出場できた 大谷選手
痛々しさを感じたが 存在感は示せたと思う
第一打席の四球は その象徴で
フリーマンのホームランは 出来すぎのストーリーだが
試合開始早々の ストーレートの四球は
試合の流れに 少なからぬ影響があったように感じた
明日も出場するらしいので
一気に 優勝決定と行きたいところだ
☆☆☆
『 もしかすると転換点か 』
衆議院選挙は 多くの予想をさらに上回る
与党の大敗となった
しばらくは 次の首班指名まで 両陣営の駆け引きが
激しさを増すだろう
まさか 政権交代までは 無いと思うが
自民党も 本当の意味で 体質改善を図らなければ
参議院選挙でも 同じ結果を見るのではないだろうか
野党各党も この程度で 天下を取ったと浮かれないで
政権を担うための 切磋琢磨を期待したい
もしかすると 今回の選挙は 国会議員の体質を
大きく変える 転換点だったかもしれない と思う
☆☆☆
哀しい方の人生 ご案内
石川は仕事上の偶然から敦子という若い母親と知り合う
敦子は自分は「哀しい方の人生」を歩く運命だという
「哀しい方の人生」は、全十七回の中編小説です。
ぜひ、ご一読下さいますようご案内いたします。
『 間もなく 開票始まる 』
総選挙 間もなく開票が始まり
数時間以内に 大勢が判明するだろう
事前予想通りなのか 乖離があるとすれば
どの程度 どちらに傾くのか
いずれにしても それが民意ということだろうから
たとえ 激変が起っても 受け入れる覚悟が必要だ
とりあえず 8時を待とう
☆☆☆
先日行われたプロ野球のドラフト会議、毎年のように見ていますが、希望にあふれて飛び立とうとする若武者たちの姿に、そのお裾分けを頂戴したような気持ちになって楽しませてもらっています。
そして、これも毎年のようにですが、指名を待ち焦がれながら果たせなかった人や、意中の球団でなかった人たちの気持ちを思い、あるいは、これから入団が決まっていく人の数だけ、選手生活を打ち切ることになる人のことが気にかかります。
これもまた毎年のように、「『人間至る処に青山あり』だから、頑張れよ」と声をかけたくなります。
「人間(ジンカン/ニンゲン)到る処青山あり」という言葉の意味を、私は「人間が活動できる場所は、どこにでもある」といった意味で使っていますし、辞書などもそう説明しているものが多いようです。しかし、厳格に言いますと、少し意味が違うのかもしれません。
この言葉は、幕末の僧である月性(ゲッショウ・1817 - 1858 )の漢詩から引用されています。なお、西郷隆盛と入水自殺を図った月照とは別人です。
『 男児立志出郷関 学若無成死不還 埋骨豈惟墳墓地 人間到処有青山 』
「 男児志を立てて郷関を出づ 学もし成る無くんば
骨を埋(ウズ)むに何ぞ只墳墓の地のみならんや 人間到る処青山あり 」
( 墳墓の地は、先祖の眠る墓地。青山は、青々とすばらしい墓地。)
この詩の最後の部分からの引用です。
最後の部分だけを見れば、言葉の意味として間違っていないと思うのですが、詩そのものが訴えているのは、むしろ、初志を貫徹せよ、もしうまく行かなくてもおめおめと故郷に帰るな、人間どこであっても骨を埋める青々とした墓地はあるのだから、と言ったものだと思うのです。この詩は、月性が二十七歳の頃に詠んだものですから、決して、青年が勢いだけで詠んだものでもなく、相当の知識や経験を経たうえでのものだと考えますと、そうそう安易に使えないような気もしてしまいます。
月性は、周防国大島郡(現在の山口県柳井市)で生れました。実家は本願寺系の妙円寺というお寺です。ただ、月性の母は、この寺の長女ですが、他のお寺に嫁いでいましたが、不縁となり身重で実家に戻り、月性を生んだのです。
月性は、そのお寺でかなりやんちゃ坊主だったようですが、母親の指導もあって十三歳で得度し、十五歳の時に豊前国(福岡県)の私塾に入門し五年ほど学びました。この間に広島・佐賀・長崎・平戸などに行っており、この間に先進的な考えを見聞したようです。
二十三歳の時に帰京しますが、四年後に再び大坂に出て学ぶことになりました。この出立にあたって作られたのが掲題の詩です。
三十二歳の頃帰郷し、1848 年に妙円寺内に私塾「清狂草堂」を開設し、六十人ほどが学んでいます。その評判は高く「西の松下村塾、東の清狂草堂」と称されたと言います。
三十六歳の時、叔父の跡を継いで住職となり、その娘と結婚しています。
私塾では尊皇攘夷を中心とした教えを進め、特に海防の重要性を説き、藩政に対する改革意見を建白したときには、「長州藩こそ倒幕の主唱者たれ」と提言しているそうです。
吉田松陰などと親交があり、若者たちに少なからぬ影響を与えたようです。因みに吉田松陰は月性より十三歳年下でした。
1585 年 8 月末ごろ、萩に出掛ける途中の船中で急な腹痛に襲われ、自寺に引き返しましたが、十日ほど苦しんだ後亡くなりました。病死とされましたが、暗殺との噂もあったようです。
安政の大獄と呼ばれる弾圧が始まるのは、その死から三か月ほどしてのことです。
「人間到る処青山あり」という言葉には、「だから頑張りなさい」という言葉も付属しているように思われます。また、初志貫徹というのも、一度や二度の挫折によって投げ棄てて良いものではありませんが、自分が行く道はここしか無いと固執しすぎるのも考え物です。
若い人の夢は大きく突き進む力は逞しいものですが、齢を重ねるにつれて夢は小さくなり突き進む力が弱まることは否定できません。
しかし、反対に、歩いて行く道幅は少しずつ広がっていくもののようですよ。そして、それに従って、「人間到る処青山あり」という言葉の味わいが増してくるように思うのです。つまり、挫折の度に新しい『青山』を見ることが出来ると言うことかもしれませんよ。