めいすいの写真日記

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映画「マンデラ・・・自由への長い道」と南部アフリカの旅(2)

2014-06-10 | 映画


映画「マンデラ・・・自由への長い道」を6月9日に見ました。

たまたま、5月23日から6月1日まで、南部アフリカを旅していたため、反アパルトヘイト運動の行われたヨハネスブルグ、ケープタウンなどの
地域を訪れていたので、映画が身近に感じられました。

生い立ちから、大学を卒業し、ヨハネスブルグで優秀な弁護士として活躍していた青年時代、最初の結婚と反アパルトヘイト運動への参画、
運動にのめり込んだための離婚、運動への理解を示す若いウィニーとの再婚、政府のアパルトヘイト政策が強攻策を増す中での武闘闘争
を選択、「民族の槍」という組織を作り上げ、テロを行うが逮捕され、国家反逆罪で終身刑、ロベン島18年を含め、27年間の激烈な収監生活
を送る。その間、民族の英雄として尊敬され続ける。

その後、解放されるが、迫害された白人への復讐をやめ、未来の南アフリカのため愛と共存を説き、悲惨で泥沼化つししあった武闘闘争を止
めることを黒人、その仲間達に理解させる。ここに指導者マンデラの大きな意義があった。その軌跡を映画は分かりやすく示してくれます。
膨大な数の黒人の運動と政府の軍隊・警察の争いも迫力を持って描かれ、なかなかの名画となっていました。

アパルトヘイト(人種隔離政策)とマンデラという言葉は耳にしていましたが、歴史的に実際どのような運動が行われたのか、ほとんど理解
していなかったのですが、現地を見、説明を受け、映画を見ることによって、一通りの知識を得られたような気がします。

☆ ケープタウンにて ロベン島

この船の5月25日午前便でロベン島に渡る予定でした。しかし、強風ということで「終日欠航」となってしまいました。

船の待合所には、ロベン島の航空写真がありました。ケープタウンからは12Kmでよく見えます。泳いで渡れそうですが、海流の流れが早く、
サメもいるため脱獄者はいなかったとのことです。

また、ここには刑務所で使われていた寝具も置かれていました。

☆ヨハネスブルグにて ソウェト地区、マンデラハウス

ヨハネスブルグ、反アパルトヘイト運動の中心地であるソウェト地区。

ヘクターピーターソン博物館。館内は写真を中心に多くの展示がありますが、写真撮影禁止。南アフリカ政府は、アパルトヘイト政策の一環
として学校で、支配者層のオランダ語系のアフリカーンス語の導入を決定、それに反対する高校生が1976年反発しデモを行った
(ソウェト蜂起)。これに対し、政府は武力により、高校生を押さえつけようと発砲し多くの死傷者を出しました。この時、警官によって
13歳の若さで、ヘクター・ピーターソンは射殺されました。
しかし、この時のヘクターピーターソンの死体を運ぶ写真が世界中に報道されため、南アフリカのアパルトヘイトは一気に知れ渡りました。

1976年6月16日のソウェト蜂起の記念碑。ヘクター・ピーターソンの死体が抱きかかえられている写真が脇にあります。

マンデラハウス付近。高校生達は坂の上からマンデラハウス(マンデラはロベン島に収監中)方向に向かい、
デモを始めました。それに対して、待ち構えていた警官隊は、こちら側から高校生達に向かい発砲しました。

マンデラハウス。南アフリカの公営住宅だったようです。

マンデラハウスは現在記念館となっていて、壁には妻のウィニーの写真がありました。
ウィニー自身も収監生活を送るなど反アパルトヘイト運動の先頭に立ちましたが、迫害を受けた白人を赦すことが出来ず、武力闘争を
主張。27年間の別居生活で二人の心は完全に離れてしまいました。

詳しくは、

めいすいの海外旅日記 南部アフリカ 第3日 ロベン島」、「めいすいの海外旅日記 南部アフリカ 第5日 ヨハネスブルク ソウェト地区

をご覧下さい