マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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福住町別所の申祭り

2010年01月18日 07時19分56秒 | 天理市へ
往古から使われてきた七曲がりの峠道を数年前に整備された。

天理市福住町の別所は峠道の出発地。

そこから数百メートル先に永照寺下之坊がある。

かって上之坊を入れて七坊もあったとされる寺院は下之坊だけになっている。

その境内で注連縄作りが始まった。

在所23軒の男性は手に数束のモチワラを抱えてやってきた。

今日は申祭りと称される村の行事で、結った注連縄は東向かい側の山のモリサンに祀られる。

元々は25日であったが、集まりやすい祭日に行われている。

申祭りは子どもだけで執行される行事だった。

二十数年前は10人もいたが、年々少なくなって今年は二人。

対象となる子どもは中学生から下は幼稚園の男の子。

歩ければ幼年まで、年齢に制限はないという。

前日は各家を回って味噌、醤油や大根などの野菜をもらってくる。

その一部は近くのお店に行って蜜柑やお菓子に交換してもらう。

これを「コメ集め」と言っていた。

ヤドの家に集まって、アブラゲを入れて炊いたショウユゴハン(イロゴハンともいうがその昔はセキハンと呼んだ)をよばれた。

タイショウと呼ばれる中学生の年長者が仕切っていて、自分たちでご飯を炊いた。

カラウスで米を搗いて、米洗いもした。

シバは集めてタキギにしたという男の子の行事は女の子が入ってきたら米のとぎ汁をぶっかけたと笑って話す。

大人は横で見ているだけでかまっていなかった。

夜遅くまでヤドで遊んで一夜を過ごした。

前夜祭のような感じで賑やかだったというが、遠い昔のことである。

翌朝に注連縄を作る。

今は大人が中心になって作っているが子どもだけでしていたという。

注連縄は長さを競っていて遠くのほうまで伸ばしたそうだ。

子どもが少なくなってからは行事を継承するのに長寿会が中心となって行ってきた。

長老らは「デンボ」と呼ばれる太い注連縄のようなものを作っている。

木槌で藁を叩いて埃を取る。

それを柱に縛り付けて三本に捻っていく。

先っちょは細く仕上げる。

月の数の倍数ぐらいに仕上げるが本数に決まりはない。

下部は座りがいいようにL字型に曲げる。



一方、若手は葉付きのススダケを束にする。

これは結った注連縄を運ぶ荷い棒だという。

もうひとつは御幣作り。

これは住職の役目と決まっている。



一本は洗米、もう一本には和紙に小豆をくるんで取り付ける。

結った注連縄は大木の二本杉を通り越していった。

婆羅門杉と称されている杉は樹齢800年。

威風堂々たる山門風の姿で日本古木百選に選ばれているという。

(H21.12.23 Kiss Digtal N撮影)