今冬は度々寒波が襲ってくる。正月前はドカ雪だった山間部。
一昨年のカンジョウツナカケの日はもっと降ったという宇陀市榛原区の額井。
昨夜から今朝まで降ったがそのときよりはまだ少ないこの日。
急坂を登る車は四輪駆動でなければ額井岳山麓に鎮座する十八(いそは)神社には着けない。
特に下出の人にとってはそうである。
気温はマイナス2度。
早朝から集まった29軒の氏子たちは上出と下出の人たちだ。
社務所の前では竹を細く切って串を作っている。
弊を付ければそれは「外の神さん」。
10本ずつ作って29束。
それは氏子さんの数でもある。
青竹1本を丸ごとにしたのはカンジョウツナの中央に据える大弊用だ。
下部には半紙に包んだ五穀を入れる。
社務所内部では大勢の氏子たちが作業をしている。
「ネコジメ」と呼ばれる注連縄や長いカンジョウツナ、「七五三」の注連縄などだ。
男たちは力強くカンジョウツナを撚っている。
長さは22ヒロにするそうだ。
1ヒロは両手を広げた長さ。
人によってまちまちだがおよそ38メートル。
かつてはもっと長かった。
ツナを張るのは下出にあるケヤキの木とポール。
昔は一方がスギだったが消滅した。
その位置を示す場所には大石がある。
それを跨ぐのは拡張された道路道。
道路の真上を通すには日常生活に差し支える場合もあるということから跨ぐことを止めた。
そう、額井では道切りのカンジョウなのである。
氏子総代の一人が言うには「勧請とは神仏のおいでを願う意であって、その分霊を他の地に祀ることである」と話す。
カンジョウツナを掛けるその地は五穀豊穣を願う苗代の水口にあたるそうだ。
太い注連縄はもっと力が居るという。
ギュギュウと捻る注連縄。
ぶら下げるワラも通して4本作られる。
新頭屋の2人と神社に供えるものだ。
一方ではご婦人たちもツナ作りをしている。
カンジョウツナの房を取り付ける細いツナだ。
手慣れた作業は生産量が高い。
「サンバイコを作ってたらから」と笑顔をふりまきながら作業をしている。
そのころ長い丸太の竹を社務所前に設置した。
竹にぶら下げていくのが房でそれぞれが4本の足。
合計で12本もある。
それは月の数だといってうるう年は13本になる。
下がりの房には横に葉付きのサカキを3本通す。
それは1対になっている。
紙垂れを取り付け下部の足にはこれもサカキ。
少し小さめのものだ。
これらの作業をする役割は特に決まってはない。
毎年していることだ、得意分野に動く。
自然のなりゆきみたいなものだと氏子の一人は話したその手はツナを撚った際にできたマメを見せる。
その間、2組の頭屋家族は炊事場が忙しい。
一服の休憩にお茶出しにツナ掛けや祭礼を終えたあとの食事準備などにかかりきり。
正月に供えられたお下がりのモチも焼いている。
砂糖醤油をつけた餅は香ばしくも美味しい。
2時間かかったツナ作り。
出来上がったら掛けに行く。
そこにはケヤキとポールの間に鋼線が張られている。
それを降ろしてカンジョウツナを取り付ける。
中央の御幣位置を調整して房も取り付けた。
それぞれが落ちないように結束バンドで止められた。
グルグルとハンドルを回せば空中に浮き上がった。
ポールがなかった時代は「せーの せーの」と掛け声を合わせて引っ張ったそうだ。
一本のツナとなったカンジョウツナは青空にとけ込んだ。
後方の標高812メートルの額井岳はくっきりと稜線を描く。
秀麗な山は大和富士とも呼ばれている。
およそ50年前には山に登って雨乞いをしたと話す氏子総代。
中学生か高校生のときやったという。
ダケ(岳)の神さんに願うため岳のぼりをした。
火を点けた松明を先頭に山を登っていった。
鉦や太鼓を叩いて登った。
山の広場でとんどをした。
5月ころだったか、雨乞いをして下りてきたとたんに雨が降ったことを覚えていると話す。
台詞は特になかったそうだ。
(H23. 1.10 EOS40D撮影)
一昨年のカンジョウツナカケの日はもっと降ったという宇陀市榛原区の額井。
昨夜から今朝まで降ったがそのときよりはまだ少ないこの日。
急坂を登る車は四輪駆動でなければ額井岳山麓に鎮座する十八(いそは)神社には着けない。
特に下出の人にとってはそうである。
気温はマイナス2度。
早朝から集まった29軒の氏子たちは上出と下出の人たちだ。
社務所の前では竹を細く切って串を作っている。
弊を付ければそれは「外の神さん」。
10本ずつ作って29束。
それは氏子さんの数でもある。
青竹1本を丸ごとにしたのはカンジョウツナの中央に据える大弊用だ。
下部には半紙に包んだ五穀を入れる。
社務所内部では大勢の氏子たちが作業をしている。
「ネコジメ」と呼ばれる注連縄や長いカンジョウツナ、「七五三」の注連縄などだ。
男たちは力強くカンジョウツナを撚っている。
長さは22ヒロにするそうだ。
1ヒロは両手を広げた長さ。
人によってまちまちだがおよそ38メートル。
かつてはもっと長かった。
ツナを張るのは下出にあるケヤキの木とポール。
昔は一方がスギだったが消滅した。
その位置を示す場所には大石がある。
それを跨ぐのは拡張された道路道。
道路の真上を通すには日常生活に差し支える場合もあるということから跨ぐことを止めた。
そう、額井では道切りのカンジョウなのである。
氏子総代の一人が言うには「勧請とは神仏のおいでを願う意であって、その分霊を他の地に祀ることである」と話す。
カンジョウツナを掛けるその地は五穀豊穣を願う苗代の水口にあたるそうだ。
太い注連縄はもっと力が居るという。
ギュギュウと捻る注連縄。
ぶら下げるワラも通して4本作られる。
新頭屋の2人と神社に供えるものだ。
一方ではご婦人たちもツナ作りをしている。
カンジョウツナの房を取り付ける細いツナだ。
手慣れた作業は生産量が高い。
「サンバイコを作ってたらから」と笑顔をふりまきながら作業をしている。
そのころ長い丸太の竹を社務所前に設置した。
竹にぶら下げていくのが房でそれぞれが4本の足。
合計で12本もある。
それは月の数だといってうるう年は13本になる。
下がりの房には横に葉付きのサカキを3本通す。
それは1対になっている。
紙垂れを取り付け下部の足にはこれもサカキ。
少し小さめのものだ。
これらの作業をする役割は特に決まってはない。
毎年していることだ、得意分野に動く。
自然のなりゆきみたいなものだと氏子の一人は話したその手はツナを撚った際にできたマメを見せる。
その間、2組の頭屋家族は炊事場が忙しい。
一服の休憩にお茶出しにツナ掛けや祭礼を終えたあとの食事準備などにかかりきり。
正月に供えられたお下がりのモチも焼いている。
砂糖醤油をつけた餅は香ばしくも美味しい。
2時間かかったツナ作り。
出来上がったら掛けに行く。
そこにはケヤキとポールの間に鋼線が張られている。
それを降ろしてカンジョウツナを取り付ける。
中央の御幣位置を調整して房も取り付けた。
それぞれが落ちないように結束バンドで止められた。
グルグルとハンドルを回せば空中に浮き上がった。
ポールがなかった時代は「せーの せーの」と掛け声を合わせて引っ張ったそうだ。
一本のツナとなったカンジョウツナは青空にとけ込んだ。
後方の標高812メートルの額井岳はくっきりと稜線を描く。
秀麗な山は大和富士とも呼ばれている。
およそ50年前には山に登って雨乞いをしたと話す氏子総代。
中学生か高校生のときやったという。
ダケ(岳)の神さんに願うため岳のぼりをした。
火を点けた松明を先頭に山を登っていった。
鉦や太鼓を叩いて登った。
山の広場でとんどをした。
5月ころだったか、雨乞いをして下りてきたとたんに雨が降ったことを覚えていると話す。
台詞は特になかったそうだ。
(H23. 1.10 EOS40D撮影)