マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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横田柳生垣内の九月日待ち

2015年04月18日 08時16分25秒 | 大和郡山市へ
2月、5月、9月の年3回集まる大和郡山市横田町の南垣内。

近隣村の櫟枝町でも通称である柳生垣内と呼ばれている。

戸数は17戸。

各家の代表者が集まる日待ちに掛軸を掲げる。



5月も掛けていた雨宝童子の掛け図にはサカキを立ててローソクを灯す。

御供はお神酒である。

この日の当番は前回に勤めたM家の隣。

Tさんは村の最高齢者の80歳。

おじいちゃんを補佐する若奥さんに孫もついていた。

この日訪れたのは掛軸の図柄を確認するためである。

昨年の当家祭りの日に拝見した掛軸は中央に雨宝童子を配した図柄。

これであるのか、それとも同じであるのかの確認である。掲げていた図柄は5月日待ちを同じであった。



それならもう一つあると水利組合長のNさんが家にあった掛軸を持ってこられた。

マツリのトーヤで持ち廻る掛軸というが三社託宣であったのだ。

中央に天照皇太神宮、右が八幡太神大で、左は春日大明神の三社託宣神号図は三神のお告げを記している。

三社託宣の始まりは正応年間(1288~)とする説がある。

鎌倉時代初期にはすでに成立していたとされる三社託宣。

室町時代中期以降に吉田神道を提唱した吉田兼倶が積極的に導入したと云われている。

公家から武家へ、そして一般庶民に広がったという三社託宣の掛軸は、お日待ちと関係するアマテラスオオミカミのお軸を掲げることが多い。

前年の秋に拝見した掛軸は中央に雨宝童子像を配し、多賀大社の伊弉諾尊・熊野神社の伊弉册尊・大巳貴命・稲蒼魂命の5神を描く「開運壽福地神」図だった。

推定であるが、柳生垣内には三つの日待ち講があったと思われる。

集まった人は16人。

午前中は村の道作りに汗を流していた。

ローソクに火を灯して日待ちが始まった。



当番のおじいちゃんが挨拶をして始めに区長が村の連絡事項を伝える。

それで終わりでなく、日ごろの村の問題点を協議する。

あれやこれやの問題点は水利組合関係に時間を費やす。

終わるようで終わらない長丁場の議論に話題が沸騰。

終えたのは1時間半後だった。

頼んでいたパック詰め料理が配られて下げたお神酒を注いでいく。



当番の乾杯で歓談の場に移った公民館。

和やかに場を過ごす。

(H26. 9.14 EOS40D撮影)