奈良市阪原に建つ南明寺は真言宗御室派。
いずれも重要文化財に指定されている本尊薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の藤原三仏を安置している。
本堂に初めてあがったのはこの年の3月16日だった。
その日は南明寺の涅槃会だった。
すべての扉は閉められた本堂は真っ暗闇。
ローソクの灯りや僅かに挿しこむ日中の光りに見えた涅槃図であった。
大きな涅槃図の後方にあるのが三仏だ。
この日、初めてお会いした住職は平成14年に副住職。
平成21年より住職を勤めてきた米田弘雅住職である。
涅槃会を終えてご挨拶をさせていただいた。
取材の意図、心がけなど話せば、「そうであれば、写真を撮ってもらってよかったのに」と伝えられた。
その後、阪原で行われた地蔵盆に念仏を唱えられた住職。
顔は覚えてもらったようで、これより始まる重陽薬師会の撮影許可をいただいた。
但しである。
本堂での立ち位置は限定。
中央は決して入らない。
立ち位置は決めた以上、その場から動いてはならぬ、ストロボは厳禁であるというお達しである。
涅槃会の際にご挨拶をさせてもらった檀家総代らも私の顔を覚えておられた。
ありがたいことであるが、入堂許可をいただいたのは私だけだった。
舞楽を奉納される天理大学の記録係は本堂柱、若しくは本堂内。
決して法要の妨げにならないよう気を配る緊張したなかでの撮影となった。
平安時代に寺を再興したという公家の信西入道(藤原通憲)を偲び、長寿を祈る重陽薬師会を興したのは平成18年。
舞楽や読経の後、菊の花を浮かべた酒を振る舞われる。
本堂にあがる人たちは大師講の婦人もおれば、村人檀家も、である。
南明寺に出向く直前に伺った富士講中。
お世話になったOさんやYさんも参られた。
受付を済ませば三仏に手を合わせる村人たち。
その前にはたくさんの菊の花を盛っている。
重陽に相応しい菊の盛りだ。
その横には樽酒や菊の花びらを入れた大きな深皿も置いてある。
さらに置いてあった金属鉢には菊の花びらを浮かべた酒もある。
菊の節句に相応しい振る舞いの菊酒である。
南明寺の重陽薬師会法要は、かつて南都や京都の諸寺などで行われていた法要などの次第から新しくした式次第をつくっている。
工夫を凝らした式次第は毎年異なる。
この年は「唄・散華・梵音・錫杖の四声明・作法からなる「四箇法要」に舞楽を加えた法要とされた。
始め1.は「振鉾(えんぶ)」である。
最初に舞われる儀礼的な舞いである。
式次第の詳しいことは受付でいただいた資料に書いてあるが、ここでは以下、引用・略記しておく。
左方(唐楽)と右方(高麗楽)より、それぞれ一人の舞人が鉾を持って舞台に登って場を清めるように振る。
舞い作法は廃絶した東大寺の華厳会の振鉾作法を参考に復元したそうだ。
次は2.「庭讃(ていさん)」。
真言宗では「曼茶羅供」や「伝法灌頂」のような大儀の法会・法要では、堂内に入る前に「庭讃」を唱えられる。
独特の抑揚で唱えた「庭讃」は「四智梵讃」。終わりに鈸が打たれ、法螺を吹く。
次は3.「惣礼」。導師以下職衆が道場に入って本尊や聖衆を三度礼拝する。

次は4.「供花」。本堂奥内より登場した天童、迦陵頻(かりょうびん)が整列して菊花を手渡し仏前に供える。
次は5.「如来唄」。佛の妙なる身体と、その教えの常住なることを称える声明を唱える。

次は6.「散華」。初段・中段・後段の三段からなる声明で各段の終わりに花弁をかたどった紙を散らす。
次は7.「讃」。この年は大日如来の四つの徳を賛美する「四智梵語(しちぼんご)」を唱える。

次は8.「満歳楽」。平舞の四人舞。襲装束の袍を片肩袒にし、鳥甲を被って四人で舞う。
涅槃の場合はすべての扉を閉めた本堂内でお勤めをされていたが、重陽薬師会は舞楽を披露される場と繋げた本堂。
すべての扉を開放する。

外は真夏とも思える日照りで暑いが、お堂の内部は爽やかな風を撫でるように通り抜ける。
次は9.「錫杖」。「満歳楽」を演舞している終わりごろに迦陵頻が錫杖を職衆に手渡していた。
錫杖は僧侶が山野を遊行する際に用いる杖。
錫杖を鳴らして村人に来訪を知らせ、獣を追い払う金属製の環がある。
音色を聞いた人たちが発心修行して成仏することを願った「九条錫杖経」を声明する。
次は10.「延喜楽(えんぎらく)」。「満歳楽」と同じくおめでたいときに舞う平舞の四人舞。
襲装束に鳥甲を被って舞う延喜楽は別名に「花栄舞」の名がある。
次は11.「表白」。導師が本尊前にて仏事の目的や趣旨を告げる。
次は12.「分経」。供花作法と同様に雅楽を奏そうする最中に聴衆が読誦(どくじゅ)する経巻を天童・迦陵頻(かりょうびん)が分配する。
次は13.「神分・勧請」。道場に佛・菩薩・諸神を勧請して読経や法要の功徳を分かち合う。そして、魔隙から法会を擁護する。
次は14.「経釈」。般若心経を講釈する。
次は15.「読経」。般若心経を読誦し、本尊薬師如来などにご加護を願う。
次は16.「惣礼」。法要の終わりに再び本尊や聖衆に三礼して退出する。

導師以下職衆が退出されたあとは、左方舞楽<蘭陵王>を舞う。

17.「入調舞楽」。走舞に属する一人舞である。

この年は徳川宗武(徳川吉宗の息子)が『楽曲考』で考証した舞楽作法に則り奏舞された蘭陵王の舞。
9回目の重陽薬師会は。本尊薬師さんの供養に法要を終えた。
配られた資料には翌年の行事日も案内されていた。
10回目は「十種供養次第による舞楽法要」になるそうだ。
ちなみにこの年の10月26日から11月2日までは本堂が特別公開される。
その本堂で参拝者へ振る舞われる菊酒に行列ができあがった。
(H26. 9. 7 EOS40D撮影)
いずれも重要文化財に指定されている本尊薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の藤原三仏を安置している。
本堂に初めてあがったのはこの年の3月16日だった。
その日は南明寺の涅槃会だった。
すべての扉は閉められた本堂は真っ暗闇。
ローソクの灯りや僅かに挿しこむ日中の光りに見えた涅槃図であった。
大きな涅槃図の後方にあるのが三仏だ。
この日、初めてお会いした住職は平成14年に副住職。
平成21年より住職を勤めてきた米田弘雅住職である。
涅槃会を終えてご挨拶をさせていただいた。
取材の意図、心がけなど話せば、「そうであれば、写真を撮ってもらってよかったのに」と伝えられた。
その後、阪原で行われた地蔵盆に念仏を唱えられた住職。
顔は覚えてもらったようで、これより始まる重陽薬師会の撮影許可をいただいた。
但しである。
本堂での立ち位置は限定。
中央は決して入らない。
立ち位置は決めた以上、その場から動いてはならぬ、ストロボは厳禁であるというお達しである。
涅槃会の際にご挨拶をさせてもらった檀家総代らも私の顔を覚えておられた。
ありがたいことであるが、入堂許可をいただいたのは私だけだった。
舞楽を奉納される天理大学の記録係は本堂柱、若しくは本堂内。
決して法要の妨げにならないよう気を配る緊張したなかでの撮影となった。
平安時代に寺を再興したという公家の信西入道(藤原通憲)を偲び、長寿を祈る重陽薬師会を興したのは平成18年。
舞楽や読経の後、菊の花を浮かべた酒を振る舞われる。
本堂にあがる人たちは大師講の婦人もおれば、村人檀家も、である。
南明寺に出向く直前に伺った富士講中。
お世話になったOさんやYさんも参られた。
受付を済ませば三仏に手を合わせる村人たち。
その前にはたくさんの菊の花を盛っている。
重陽に相応しい菊の盛りだ。
その横には樽酒や菊の花びらを入れた大きな深皿も置いてある。
さらに置いてあった金属鉢には菊の花びらを浮かべた酒もある。
菊の節句に相応しい振る舞いの菊酒である。
南明寺の重陽薬師会法要は、かつて南都や京都の諸寺などで行われていた法要などの次第から新しくした式次第をつくっている。
工夫を凝らした式次第は毎年異なる。
この年は「唄・散華・梵音・錫杖の四声明・作法からなる「四箇法要」に舞楽を加えた法要とされた。
始め1.は「振鉾(えんぶ)」である。
最初に舞われる儀礼的な舞いである。
式次第の詳しいことは受付でいただいた資料に書いてあるが、ここでは以下、引用・略記しておく。
左方(唐楽)と右方(高麗楽)より、それぞれ一人の舞人が鉾を持って舞台に登って場を清めるように振る。
舞い作法は廃絶した東大寺の華厳会の振鉾作法を参考に復元したそうだ。
次は2.「庭讃(ていさん)」。
真言宗では「曼茶羅供」や「伝法灌頂」のような大儀の法会・法要では、堂内に入る前に「庭讃」を唱えられる。
独特の抑揚で唱えた「庭讃」は「四智梵讃」。終わりに鈸が打たれ、法螺を吹く。
次は3.「惣礼」。導師以下職衆が道場に入って本尊や聖衆を三度礼拝する。

次は4.「供花」。本堂奥内より登場した天童、迦陵頻(かりょうびん)が整列して菊花を手渡し仏前に供える。
次は5.「如来唄」。佛の妙なる身体と、その教えの常住なることを称える声明を唱える。

次は6.「散華」。初段・中段・後段の三段からなる声明で各段の終わりに花弁をかたどった紙を散らす。
次は7.「讃」。この年は大日如来の四つの徳を賛美する「四智梵語(しちぼんご)」を唱える。

次は8.「満歳楽」。平舞の四人舞。襲装束の袍を片肩袒にし、鳥甲を被って四人で舞う。
涅槃の場合はすべての扉を閉めた本堂内でお勤めをされていたが、重陽薬師会は舞楽を披露される場と繋げた本堂。
すべての扉を開放する。

外は真夏とも思える日照りで暑いが、お堂の内部は爽やかな風を撫でるように通り抜ける。
次は9.「錫杖」。「満歳楽」を演舞している終わりごろに迦陵頻が錫杖を職衆に手渡していた。
錫杖は僧侶が山野を遊行する際に用いる杖。
錫杖を鳴らして村人に来訪を知らせ、獣を追い払う金属製の環がある。
音色を聞いた人たちが発心修行して成仏することを願った「九条錫杖経」を声明する。
次は10.「延喜楽(えんぎらく)」。「満歳楽」と同じくおめでたいときに舞う平舞の四人舞。
襲装束に鳥甲を被って舞う延喜楽は別名に「花栄舞」の名がある。
次は11.「表白」。導師が本尊前にて仏事の目的や趣旨を告げる。
次は12.「分経」。供花作法と同様に雅楽を奏そうする最中に聴衆が読誦(どくじゅ)する経巻を天童・迦陵頻(かりょうびん)が分配する。
次は13.「神分・勧請」。道場に佛・菩薩・諸神を勧請して読経や法要の功徳を分かち合う。そして、魔隙から法会を擁護する。
次は14.「経釈」。般若心経を講釈する。
次は15.「読経」。般若心経を読誦し、本尊薬師如来などにご加護を願う。
次は16.「惣礼」。法要の終わりに再び本尊や聖衆に三礼して退出する。

導師以下職衆が退出されたあとは、左方舞楽<蘭陵王>を舞う。

17.「入調舞楽」。走舞に属する一人舞である。

この年は徳川宗武(徳川吉宗の息子)が『楽曲考』で考証した舞楽作法に則り奏舞された蘭陵王の舞。
9回目の重陽薬師会は。本尊薬師さんの供養に法要を終えた。
配られた資料には翌年の行事日も案内されていた。
10回目は「十種供養次第による舞楽法要」になるそうだ。
ちなみにこの年の10月26日から11月2日までは本堂が特別公開される。
その本堂で参拝者へ振る舞われる菊酒に行列ができあがった。
(H26. 9. 7 EOS40D撮影)