昨年の9月15日に訪れた田原本町の佐味。
調べていたのは八王子講の人たちが催す子供の相撲である。
場は天神社境内社の八王子社であろうと思って来たが、どなたもおられなかった。
もしやと思って翌日の16日も訪れたが、前日同様に不在である。
仕方なく集落を巡って東側に流れる曽我川に辿りついた。
付近におられた住民に尋ねてみた。
子供相撲の行事は村行事でなく、数軒の礒橋家が主催する行事であった。
むかしむかしのこと。礒橋家が所有する田んぼに流れついたハッタサンを八王子社に祀った。
ハッタサンを祭る講は八王子講と呼ぶ礒橋家御一統である。
件の行事の詳細は礒橋家に聞かねばならない。
そう教えてもらった家は不在だった。
天神社には大和磯城ライオンズクラブが寄贈された佐味の歴史を記された立て看板があるが、八王子講のことはふれていない。
他の礒橋家を探す時間はなく立ち去った。
八王子講が主催する子供の相撲は15日辺りの休日だと聞取りしたお家の方が話していた。
その行事が行われる際にはマイク放送するとも言っていた。
もしやと思ってこの日に再訪した天神社は人影が見られない。
神社前におられた男性に尋ねてみた。
それならここより北に向かって東に折れた辺りに住む礒橋家が詳しいであろうと教えてくださった。
呼び鈴を押して訪ねた礒橋家。
訪れた経緯を伝えて行事の在り方を教えていただく。
応対して詳しく話してくださったのは当家の婦人。
かつては10軒の講中であった礒橋家御一統はウチワの親戚筋。
いつしか8軒になったが当家は長らくの間、講元を勤めていたと云う。
今では5軒になったが、今尚子供の相撲を主催していると云う。
いつの時代か判らないが、礒橋家の田んぼにハッタサンが流れ着いた。
ハッタサンを守る講が組織された。
それが八王子講である。
行事費用は稲作田で収穫した収益で賄っていた。
辻に提灯を立てて大きな長持(ながもち)を祠で祀ったハッタサンこと八王子社へ運んだ。
天神社が鎮座する小字は字八田。
まさにハッタサンの地である。
当日は朝から社殿周りを清掃する。
講中が集まるのは佐味の公民館。
かつては講家であったが、現在はそこに集まると云う。
半切りにしたカボチャに串を挿して先にミョウガやシイタケなどを取り付ける。
話す状況から御供の形状が見えてきた。
推定であるが、平成25年9月16日に拝見した大淀町馬佐の牛滝まつりの御供と同じように思えた。
おそらく長持に収納して運んでいるのだろう。
御供は二段の大きな餅もあったが、今では配りやすくするに前もってコモチにしているようだ。
御供はコブやスルメもあるというから神饌ものに違いない。
ハッタサンは相撲の神さんと崇められている。
社殿前に砂を敷いて土俵を作る。
行司が「はっけよい のこった のこった」と相撲を采配する。
勝者の子供にお菓子を渡しているが、佐味では子供が少なくなったと云う。
9時ころともなれば公民館に設置してあるマイクで行事案内を放送する。
聞き付けた子供たちがやってきて相撲をする。
子供は幼稚園児から小学生までのようだ。行事を終えた講中は公民館で会食する。
一連の在り方を伺ったが、この年の行事日は翌日の敬老の日。
送迎の仕事と重なりあいにく断念した。
(H25. 9.16 SB932SH撮影)
(H26. 9.14 記)
調べていたのは八王子講の人たちが催す子供の相撲である。
場は天神社境内社の八王子社であろうと思って来たが、どなたもおられなかった。
もしやと思って翌日の16日も訪れたが、前日同様に不在である。
仕方なく集落を巡って東側に流れる曽我川に辿りついた。
付近におられた住民に尋ねてみた。
子供相撲の行事は村行事でなく、数軒の礒橋家が主催する行事であった。
むかしむかしのこと。礒橋家が所有する田んぼに流れついたハッタサンを八王子社に祀った。
ハッタサンを祭る講は八王子講と呼ぶ礒橋家御一統である。
件の行事の詳細は礒橋家に聞かねばならない。
そう教えてもらった家は不在だった。
天神社には大和磯城ライオンズクラブが寄贈された佐味の歴史を記された立て看板があるが、八王子講のことはふれていない。
他の礒橋家を探す時間はなく立ち去った。
八王子講が主催する子供の相撲は15日辺りの休日だと聞取りしたお家の方が話していた。
その行事が行われる際にはマイク放送するとも言っていた。
もしやと思ってこの日に再訪した天神社は人影が見られない。
神社前におられた男性に尋ねてみた。
それならここより北に向かって東に折れた辺りに住む礒橋家が詳しいであろうと教えてくださった。
呼び鈴を押して訪ねた礒橋家。
訪れた経緯を伝えて行事の在り方を教えていただく。
応対して詳しく話してくださったのは当家の婦人。
かつては10軒の講中であった礒橋家御一統はウチワの親戚筋。
いつしか8軒になったが当家は長らくの間、講元を勤めていたと云う。
今では5軒になったが、今尚子供の相撲を主催していると云う。
いつの時代か判らないが、礒橋家の田んぼにハッタサンが流れ着いた。
ハッタサンを守る講が組織された。
それが八王子講である。
行事費用は稲作田で収穫した収益で賄っていた。
辻に提灯を立てて大きな長持(ながもち)を祠で祀ったハッタサンこと八王子社へ運んだ。
天神社が鎮座する小字は字八田。
まさにハッタサンの地である。
当日は朝から社殿周りを清掃する。
講中が集まるのは佐味の公民館。
かつては講家であったが、現在はそこに集まると云う。
半切りにしたカボチャに串を挿して先にミョウガやシイタケなどを取り付ける。
話す状況から御供の形状が見えてきた。
推定であるが、平成25年9月16日に拝見した大淀町馬佐の牛滝まつりの御供と同じように思えた。
おそらく長持に収納して運んでいるのだろう。
御供は二段の大きな餅もあったが、今では配りやすくするに前もってコモチにしているようだ。
御供はコブやスルメもあるというから神饌ものに違いない。
ハッタサンは相撲の神さんと崇められている。
社殿前に砂を敷いて土俵を作る。
行司が「はっけよい のこった のこった」と相撲を采配する。
勝者の子供にお菓子を渡しているが、佐味では子供が少なくなったと云う。
9時ころともなれば公民館に設置してあるマイクで行事案内を放送する。
聞き付けた子供たちがやってきて相撲をする。
子供は幼稚園児から小学生までのようだ。行事を終えた講中は公民館で会食する。
一連の在り方を伺ったが、この年の行事日は翌日の敬老の日。
送迎の仕事と重なりあいにく断念した。
(H25. 9.16 SB932SH撮影)
(H26. 9.14 記)